it is true, but it is pity you have said it

育つ石
育つ石
大事な友人達の結婚をお祝いし、大事な友人の娘が1歳の誕生日を迎え、
日本から遠く離れた国でテロのような事件があった翌日。
台風の影響か2〜3日涼しい日が続いていたけれどまた夏な感じに戻って
きたみたい。



最近どうも口数が多いような気がする。人と話してもメールを書いても。
ちょっと控えよう。直接的過ぎる言動は自分をダメにする。
喋らない生き物だったら良かったのにね。そう、たとえばカエルとか。
カエルならきっと無口ではなくても言語化できないだろう。



言語化しないことをこのごろよく考える。
それで逆に最近書かなかったブログに矛盾しながらも書いたりして。
でも直接誰かと会話したりメールしたりするよりもずっと間接的だ。
自分の口数が多くなってくるのは危険信号だと思う。




ところでアルバムの話。



1枚目の「えんちょうじが」を出してから音源がまた溜まってきて
しまったこともあり、そろそろ2枚目を出すことに。
1枚目の時もそうだったけど、アルバムの為に音源を作るのではなくて
溜まったからアルバムにするという記録式のやり方なのでそれがCD
なんかになる頃にはもう随分過去の作品ということになる。


まあタイムリーではないけれどこれはこれで良いペースだと自分では
思う。売れてないことの良い側面だ(^_^;


アルバム1枚の曲数が少なくなる傾向にある昨今、15曲入りという
今どき珍しいことになってしまって。
まあ1曲がそんなに長くはない(ライブで弾くときほどにはという意味)
のでそれだけの曲数でもCDというメディアの容量に収まるのですね。


今回は自分でずっと否定してきた声を入れてみた。実に6曲ほど。
とはいえ明らかに声とわかるのは1曲だけで、あとは目立たない程度に
ちりばめてあるだけ。自分の声はとにかく嫌いだったけれど
でもそれは何はともあれ自分のものなので使ってみようかと。


「声」という素材はすきで。人の声ってのは個性そのものだから。
それが自分のものでさえなければ本当に愛すべきオリジナリティを
それぞれに感じられる。自分の声が許せないのは自分の顔が許せないのと
同じような事で、ずっと毛嫌いして放置してあったのだけど。
でもまあ歌を歌うというほどの感じではない程度でなら使ってあげても
いいかな、くらいの年齢になってきたということかな。


今月の最初にみた夢は「嘔吐しながら歯が全て抜け落ちる夢」だった。
そういうのと関係があるのかも。ないのかも。



1枚目のジャケットは自分で絵を描いた。それも僕にとっては自分で
声を出すことと同じようなステップのことだった。
今回はライブで知り合った山口稔さんという写真家が写真を提供して
くれたばかりかジャケットまで作ってくれた。


2年近く前に栃木県の益子にあるお店でライブをした日、その写真家は
同じお店でギャラリーとして展示会を行っていたのです。
イチトニブンノイチカフェというアート空間なスペース。
主にモノクロ作品を好む人で僕もその場で作品を一目見て惹かれてしまった。
実を言うと その日会ったきり一度も再会してないのだけど
メールのやり取りを続けていて それこそ禅からシュタイナーからユングから
グノーシスからフーコーみたいな会話をいつも文面上で交わす関係になり
おかげで今回のジャケットが実現したというわけです。


僕のサイトの主な写真は彼がそのライブの日に撮ってくれたものだし
今度7/28に新高円寺のStaxFredでやるライブで使うスライドショーも彼が
作ってくれたもの。僕が弾く遅いテンポに合うようなとてもゆったりした
スライドショーです。僕が自分で作ると異常なスピードのものになってしまう
ので、そうすると写真を殺してしまうから。何故かはわからないけれど
自分で作るとちょっと分裂症気味な作品になってしまう。どうしてかな。



というわけでアルバムジャケットとスライドショーは敬愛する
写真家・山口稔 氏の手によるものです。



それから最近 僕のフライヤーや一緒にバンドをやってる泥流(不自分)
フライヤーに絵を提供してくれている画家のセキネコさん。
彼女の作品を盤面に使わせて頂きました。セキネコさんという画家は
カオス的な方向には行かずに 主に一点もので表現するタイプの人。
特定のモデルを必要とせず 頭の中のイメージのみで生み出していく人です。

作品はいつも様々に不思議な生き物というカタチをとって生まれてくる。
それらは異形の者達でありながら超がつくほどのバランスで自立してる。
そう、なかなか転ばない不思議な安定感がそこにはあります。
優れたアーティストはみんなそうだけど大した集中力だといつも思う。

僕には集中力が欠けてるのだけど、でも僕が音に変換することで自分の
バランスを保ってるのと近い感じのする作品の人だと思う。
その行為が自分自身を救ってることに無意識に反応してるような。
言うなればセキネコさんも僕も「自分の影」にカタチを与えているような
スタイルなのかもしれない。ユング的にみると。
制限連想的掘り下げ/飛躍 型ですね。タイプファイするなら。




それから僕よりもmacに強くて僕が持ってないCS4を駆使して手伝って
くれた泥流。彼もなかなか忙しい男だけれど快く協力してくれて。
関わってくれたみなさんには本当に感謝です。言い表せないくらい。
幸せ者です。




とはいえ、まだ入稿してなくて(^_^;
間に合えば今度の7/28のライブには持って行けたらなあと思ってるのだけど。



1枚目同様、ライブ会場では1枚¥1,000にて。
iTunesやAmazonでのダウンロードは恐らく¥1,500になるかな。
ダウンロードの場合は僕のサイトの「about me」の欄に3枚の色違いの
ジャケットがあるのでそこから好きなのをコピペして使ってもらえたら。


そうそう。ジャケット3枚あるんです。いろんな人に「どれが好き?」って
尋ねてまわったのだけど、面白いくらいみんなそれぞれに違って。
割合で言うと丁度 均等に意見が分かれたのでじゃあってことで。




アルバムは「消滅ノ時間」と名付けたのだけど、これは同名の曲を
前に作ってあったもので。去年の9月くらいかな?いつだったかな。

江崎稔子さんというシンガーの一番最近のアルバムに1曲書いたんです。
その中では江崎さんの声が絡みつつ、もともと作ったものの半分くらいの
長さで収録されています。タイトルも僕が決めて良いとのことだったので
物理を職業にしてる親友の男にもらった「差分」という本の中から言葉を
拝借して2案提出して。それが「浮遊する白」と「消滅の時間」。
江崎さんのアルバムには「浮遊する白」で収録されています。
聴き比べたい方はそちらも是非。(はは。コマーシャル)

というわけで今回のアルバムに入ってる「消滅ノ時間」はおおもとの
テイクです。声なしの。同じ曲が違うカタチで別のアルバムに入ってるのって
良いじゃないですか。そういう意味では1枚目のアルバムに入っていた
「amnesiac penguin」と「areia」は泥流と二人で作った4曲入りの
共作「砂と紙と日光と記憶でできている鳥」にも収録されています。
特に「記憶喪失のペンギン」は泥流がアレンジしてくれて オリジナルとは
全くイメージが違う同一の曲。


さらに1枚目でピアノと歌を担当してくれたえこと弾いた「aieu」も
カタチを変えて今回のに入ってます。えことはたぶん10/1辺りに
水中写真家の中村さん(下の名前なんだっけ・・)の映像を使ったライブを
やる予定。彼女は出産/育児を経て久しぶりのライブになる。



・・・うーむ、口数を減らす宣言をして書き始めたブログに大量な文字を
打ち込んでしまった。。。(短い文章にまとめる才能がないのだろう)



結局ほとんど宣伝のブログでした。  
*最近のライブのお知らせ;


 

7.28 新高円寺StaxFred     タカスギケイ/BlueHourボンバードラミNilla+Midoriyama

      *Staxと共同企画といいますか、僕が映像と一緒にライブをやる為に発案してもらった日です。

 

 

7.30 池ノ上ルイナ   ミディ.ヨロシクvol.5 -島崎智子プレゼンツ-  千春/沢登秀信/mayuluca

   *この日は千春ソロ名義での出演ですが、3曲ほどお手伝いで僕も弾きます。


8.03 渋谷WastedTime       不自分(泥流/林/タカスギ)

 

 

 
8.06 静岡市Living Room    Asia SunRise/opening act: タカスギケイ

 

 

8.07浜松市エスケリータ68    Asia SunRise/opening act: タカスギケイ

 

 

 

 

*Live Scheduleの欄と同じ内容ですが↑