Movin' out

引越を控えて大量の私物を捨てる。
この何年間ものあいだに溜め込んできたもの。
部屋が狭かったわけではないのだ(狭かったけど)。
でも管理がずさんなだけなんだな。
こういうことでもなければなかなかリセットできない。
 
 
荷物をまとめるために私物を選別し始めて気づいたけど
また本ばかりだ。あれほど溜め込まないように気をつけて
いたつもりだったのに。紙でできたものがこれほどスペースを
奪うとは。電子書籍については特に賛成派ではなかったけど
場所を節約できることは確かだなと実感。
 
 
それにしても本だけでなく大量の楽譜。
いつの間に溜まったのか膨大な量だ。
 
楽譜というのは不思議なものでそのほとんどが名前のある
楽曲だったりする。つまり1枚1枚をチェックしては捨てていいのか
保管しておくべきなのかを選ばないといけなくて。
1枚ごとに名前がついた独立した楽曲だったりするので気が重い。
 
 
捨てる理由はいくつかあって。
もう2度と弾かないだろうという曲達。
もしかしたらもう2度と会わないかもしれない人々との記憶の残骸
みたいに見える。雨降りの日にこんなことをしてると気が滅入る。
 
 
楽譜と言っても自分で譜面に起こしたものがたくさんあって
それは共演者の横で弾くために自分にとって理解しやすくする為に。
何枚も何枚も何枚も何枚も書いて時間をかけて記憶に刷り込ませて
そしてある時期を境に恐らくもう2度と弾かれなくなってしまう。
もちろんそれで良いのだけど。
あんまりそういったことを不毛なことのように考えない僕だけど
これほどの膨大な量を選別して捨ててるとアタマがぐるぐるしてきて。
きっと引越ってそういう類いのものなんだろう。
 
 
つい数週間前までは引越すつもりなんてサラサラなかったのに
引越すと決めてからもう今月末にはここを出ていかないといけないまでに
話が進んでしまった。僕にとっては非常に珍しいことかもしれない。
でも腰が重くてなかなか大きな決断ができない代わりに
一度決まってしまうと早く進めてしまわないと気が済まない。
そんな性格だったかなぁ。(おそらく昔からだ)
 
 
引越について考えると何故かコンステレーションを連想してしまう
ユング派の人のいうところの布置のこと。
別に引越さなくたってコンステレーション的なことは常に起こり続けてる
のだろうけど、場所を移るというのはやはりちょっとしたことだもの。
水の流れが変わる。良くも悪くも。僕以外の他人も影響を受ける。
 
 
しかしたまには越してみるものですね。こうして様々な自分自身の過去に
まつわるもの達を選別して捨てるという行為はなにかしら価値のあること
のように思える。必要なことだったんだと後から気づくような。
見る夢にもその影響が出てる。
 
 
今ではメールが増えたから以前ほどには手元に残らなくなったけれど
手紙の類い。手紙ってなかなか捨てられない。でも10年に1回くらい
集中して選別して捨ててしまう・・・こともある。
不思議なのは仲の良かった友人からのものは捨ててしまえるのに
知人のおかあさんから頂いた何気ない手紙は捨てられなかったり。
きっと仲の良い友人とはこれからも関係性を継続させられるほど接する
機会があるだろうと思い込んでるからかも。錯覚だ。
 
 
空っぽになった本棚が空虚な感じがしてさみしいのと気持よいのと
ないまぜな感じ。きっと空っぽであることは可能性でもあるからだろう。
 
 
だんだんと「引越が好き」と公言する人の気持がわかってきた。
まだそこまでハッキリと言えないけれど。
でも自分を見つめ直す良い機会なんだな。自分の傾向について考える。
溜まってしまってその上から時間が経過して身動きとれなくなった状態から
少しだけ身軽になれる。精神的代謝率が一時的に上がる。
 
 
さっきも書いたけど自分が歳を重ねるほどコンステレーションについて
考えずにはいられなくなる。だんだんとシンクロニシティを実感する機会が
増えたからかもしれない。もしくは歳のせいなのかもしれない。