お散歩。

夜が明けた。

今年になって毎日行くようになったお散歩へ今朝もまた。
2020年はCovid19の影響で例年とは全く違った年になったけれど、その影響は決して悪いものばかりだったわけではなかった。少なくとも僕自身に関して言えば。できるはずだったことができなくなり、その代わりにできなかったことをやる時間ができた。それら様々な事柄についての見直しもすることになったし、いろんなことを考えるきっかけにもなった。

とはいえ今年になって表出した身体のメッセージは主に皮膚に顕れた。
腕、お腹、太もも、外耳炎、同時多発口内炎、片目同時に4つの2種類のものもらい。全て汗腺が詰まって炎症を起こし、ひどく腫れ上がり、パンパンに腫れきった挙句、大量の膿が血と一緒にドロドロと出るような種類のものばかり。よくわからないけれど、自分の中ではこれは人間としての経年劣化によるホルモンバランスの崩れとそれに伴う免疫力の低下なのだろうなって勝手に思ってる。
それでお散歩に行くことにしたのです。毎日30~40分程度の簡単なもの。荷物を持たず、他の用事と絡めず、ただただ両足の体重のシフトを楽しみながらぼんやり歩くだけ。空気の匂いを嗅いでゆっくり移り変わる景色を見るともなく眺めながら。お散歩をするようになってから皮膚の炎症は起こらなくなった。たまたま偶然なのかもしれないけれど。
コロナ禍になってライブの本数は圧倒的に少なくなった。毎年そうしてるように今回も数えてみたところ、2020年は合計121本の確定していたライブのうち23本が中止もしくは延期になり、そのうちのやるはずだったいくつかのお店が潰れた。残りの98本の実際に行うことのできたライブのうちのおよそ1割は完全に無観客配信、3割はお客さんを入れて同時に配信をするというスタイルのもの。自粛要請や時短要請が出たこともあり、普段ならもっと組んでいたスケジュールをあまり積極席には組まなかった(組めなかった)というのもある。例年、平均165本〜175本くらいの数を入れてたという見地から考えるとやはり圧倒的に少なくなったと言わざるを得ない。
でも、僕がブログを書かなくなった比率から考えるとブログの方が圧倒的に減った。これはこの1年に限ったことではなく。SNSを使ってることもあるけれど、もはや自分には書きたいことなんてそれほどないのだと思う。以前は長文を書くこと、またそれを読んだ他人がストレスを感じずに最後まで読み切れること、そしてその長い文章の中で自分なりの考え事をする、というのが自分のブログのスタイルだったのだけど、だんだんと以前のような考え方をしなくなってきたから、ということもある。
というのは、僕は"1人ディベート人間"だったので、一つ何かテーマを持ち出してはその都度アンチテーゼを同時発信することで思考的堂々巡りが延々と行われることになった。そのことで考えをより濃縮させ、より深い部分まで辿り着くことはできていたのだけど、自分に残された時間が少なくなったと感じるようになって、また体力の衰えを意識するようになって、自分の思考はアタマの中だけの戯れではなく、実際の身体性の方に興味が移行したのだと思う。
これは、おそらく老化あるあるですね。
おそらく多くの人々がそういう道をたどる気がする。だからこっち側に完全に移行しちゃうのは間違いな気もする。やはり意識のタワムレを繰り返し、意識のコンデンス化を行えることも立派な体力なのではないかと思う。体力が落ちたことを理由に急に身体至上主義みたいになるのはどうかと思う。
でも、結局は身体とココロは共存してるので、身体を使いながら物事を考える方が実はより核心に近いのではないか、というのはずっと思ってるのだけれど。
楽器を弾くことそのものは極めて身体的で、そのことをアスリート的な見地から意識するようになる時期が音楽やる人なら誰しもあると思う。大抵、人は弱ってきてからそのことに気付いたりするものなのだけど。でも身体性に頼った音楽をやってる人は実はもっと早くに気付いていたのかも。
2021年が自分にとってどのような1年になるのかわからないけれど、今までの自分自身に対して良い方向に裏切っていかないとって思う。まさか自分がそんなことするとは思わなかったよって後からびっくりしたい。
朝のお散歩写真を眺めつつ。