"Le Bateau-Lavoir"   

2017年

1月

13日

A man of few words.

今年もめまぐるしい日々の中でいつの間にか新年を迎え。そしていつの間にかすっかり2017年という数字が当然のような感覚になっていて。

 

意識ってすごいなと。
だって本来なら2016年だろうと2017年だろうと時間軸的な違いはないのではないかな。時間の概念を意識しない人間以外の動物にとってはまず無関係なこと。動物たちは「今」を生きてるだけだから。そしてそれを人は「自然」と呼んでいるのでしょう。

 

いい大人になってしまって、自分という役割を社会の中に見出すような生活をする中でいつの間にか年の移り変わりをハッキリ意識するようになって。今年はどう在りたいのかについて考察して、また実際にそのように生きていこうと心に誓ったりして。全く動物としては不自然な態度ではあるけれど、やはりどうしてもそうしないわけにはいかない。「意識が高い」っていう言い回しがあるくらいで、それは一般的に良い意味で扱われる言葉だ。

 

僕自身ずっと無意識について興味を持っていろんな角度から考えてきたせいか、意識レベルが社会的な意味では低い人間だったように思う。にも関わらず毎年、年が明けるとその年の抱負というか、テーマのようなものを決めたりして。

 

去年2016年の年明けに決めたテーマは文字通り実現されたように思う。それはやっぱり「言葉」というものに一度落とし込んで、それによって意識のどこかに引っかかるようにしたからなのだろか。「言葉」と「実現」は密接な関係にあるとは常々思う。とゆうか「意識」と「言葉」が人にとってすごく大事な関係にあるからなんだろうけれど。

 

つまり「2017年」というのはただの言葉なのに。

猫に向かって「2017年」と何度呼びかけてみてもその1年をどう過ごすかについての返事なんて返ってこない。まあそれは猫はなかなかクレバーだから、本当はわかっているんだけど、喋ると面倒なことになるとふんで何も言わないことに決めているだけなのかもしれないけれど。でもそれは聡明な選択だ。

 

人って面倒な生き物だから、言葉によって意識を形成し、言葉で未来に希望を見出し、言葉に傷ついて言葉で人を傷つける。そして言葉によって行動の規範を意識して言葉によって実現し、その実現を言葉で実感する。言葉で後悔し、言葉で言い訳しながら言葉でルールを作り、言葉で救われて、言葉で愛し合う。とゆうか、愛も未来も傷も意識も全てただの言葉であって、それは人が作った「不自然」なのに。

 

いや、それは語弊があるな。愛も未来も傷も意識も全ての動物にあるし当てはめることができる「自然」のこと。でも動物たちは聡明だからそこに名前をつけたりしないだけだ。愛も未来も傷も意識も本当はイメージも形もない混沌の中に混ざり合って存在してることなんだろう。つまり「名前を与える」ことが言葉の役割。人は全ての物事に名前をつけずにはいられない。名前のついたものは全て意識の領域にカテゴライズされることになる。人は意識(言葉)として世界を捉えているんだなと思い知らされる。

 

だから人にとって「名前」というものがどれほど大事なのかということが想像できる。

名前というのは「言葉力の最たるものだ」とも言える。だからこそ「名前」と「呪い」とはとても似ている。

 

他人の無意識に放った何気ない一言が時間を経ても思い返されて後からじわじわと傷つくようなこと。そのことが気になりだしてずっと意識の片隅にあり続けるようなこと。それは言葉にとらわれているだけだったりするのだけど、もはや自分の意識の一部に組み込まれてしまってる。「自分とはこういう人間だ」と無意識に決めつけてしまってる背景にある言葉。動物たちはこんなことでくよくよ悩んだりしない。つまり、あまりに賢いことは聡明ではないのだ。

 

そんな自分の作り出した意識=言葉に縛られる人間としては、よくよく注意深く言葉を選択していかなくてはいけないのだと思う。かといってあまりにも意識しすぎると柔らかくいられない。生きていくには柔らかさが大事なポイントになってくるはずだ。あまりにも堅いと自分を追い詰めることになる。でもだらしないほど柔らかいと迷惑をかける。やっぱりこれもバランスだろう。

 

A man of few wordsというのは口数の少ない人、寡黙な人ということだけど、これだけの言葉をここに書いてる自分というのはどうしたものでしょう。普段 誰とでもこんなに大量の言葉を共有するわけではないけれど。でもどこかでこうして言葉に置き換えて外に出すということが人には必要なんだろうな。いや、そういった意味ではこのブログは必要なアウトプットということではないのかもと思う。これはどちらかといえば意識的な表現の方に属してる。本当にやむを得ない無意識からの表現というのはもっと別の何かに置き換えられるんだろう。

 

今年の年明けは今までのどの年ともまた違ったカタチで迎えることになった。でもとても幸せだった。「幸せ」と感じることについてもっと思いを巡らせても良いのかもしれない。

 

 

 

 

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2016年

12月

19日

"Pain is inevitable"

考えてみたら去年もそうではあったけど、今年も再びいくつかの録音を来年に持ち越す事になりそうだ。録音というのは完全に終わらせるまでずっと落ち着かない。絶対に落ち着かない。長期間ひかない微熱のように、靴の中の小石のようにそれはお腹の奥深くに居座って絶えず信号を発している。

 

それは実にストレスフルな事実なのだけど、それでも個人的に録音を起点とした一連の作業が大好きなんだなとしみじみ考える。生き甲斐を感じると言っても大袈裟ではないと思う。宮崎駿がなんだかんだ言っても作品作りをやめられないように、と書くとなんだか逆に大袈裟な気もしてきたけれど。。

 

録音とライブというのは2つの大きなライフワーク(?)だ。その2つがあるから今 何を練習するべきなのかがわかる。まあ練習はまた別の話かもしれない。ともかく自分の技術が安定してくればくるほど自信が損なわれていくことに気づいて。それはみんながみんな十把一絡げにそうなるという訳ではないのだと思うのだけど。

自信が持てない事は音楽生活における一つの大きなイシューだと感じるようになった。それはライブで例えたらリラックスできてない状態みたいなもの。ではなぜ自信が持てないのだろう?元々持っていなかったのだろか。いや、根拠のない自信はいつもそこにあった気がする。もっと今よりも若い頃。以前はやはりもっと無邪気にただただ音楽が好きでギターが好きで、それで十分だったんだな。好きな事をやるのに自信を失う必要なんてなかったんだろう。とはいえ、20代の頃はいろんなことがうまく噛み合わなくて鬱々とした日々を過ごしていたのだけれど。精神的にも今よりももっとコドモだったし。今でもコドモですけど。

現時点での年齢になってみて、自分よりもずっと大きなステージに立つ先輩たちと接する機会が増えて、それで彼らの多くも仕事が回りだしてその質が上がるほど自信を失っていくと語ってるのを耳にしたりも。なんかそういうものなのかな?と思ったりもした。でも先輩の中でも既にもうどこか腹をくくって自分の才能の枠を自分である程度設定して楽しそうに苦悩してる人もちらほら。それもちょっとわかる。

もしかして「理想」の問題なのかな?とふと思った。他の多くの人々と同じように、僕も常に理想を持つタイプの考え方をする人間だったかもしれない。理想があるから理想に近づくための努力をする。でもその理想の持ち方が僕にとってはある種のギターの「鳴り方」に集約されすぎてるのかもしれない。それは角度を変えて言えば理想の傾向であり、偏りであり、オリジナリティでもある。その3つは同じことだから。

 

それは僕にとっての「信仰」なんだ、と気づく。

「信仰」を原動力にしてここまでやってきたし、その部分で自分の精神的安定が保たれていたりする。

なのだけど、理想とは目の前にぶら下げられたニンジンみたいなもの。

それは届きそうで届かないことに意味を持つ。なぜなら全く届かなさそうな物事に人はなかなか反応を示さないし、届いてしまったらそれは急速に興味の対象外となる可能性が高い。幸いにも楽器の演奏というのは人の一生では足りないくらいに懐が深くて、理想に届いてしまうということはまず起こらない。それは個々人の理想の設定レベルにもよるのだとは思うけど、それ以上に、人の理想というのは人の技術レベルに比例して向上してしまう傾向があるものだから。でもそのこと考えると音楽というのは人が見出した事(発明とは敢えていわない)の中でもっとも優れたものの一つだなと常々思う。何より音は目には見えないものだから。目に見えない物事に一生を捧げられるなんて人間のする事の中のもっとも非効率なことの一つでもあり、それが同時にもっとも豊かなことだったりもして。

 

・・・話が逸れた。。

つまり、自分の才能の枠を自分で「これくらいだろう」と決めてしまってその中で腹をくくってやるというのはひとつの生き方だろうと思う。それもまたカッコいい。むしろ仕事面ではその方が上手くいきそうな気もする。そのことで心が揺れない、というのはある種の強さだから。

 

でもやはり心は揺れてなんぼな気がする。

揺れる心を抱えていれば人は苦しい。幸福も苦悩も同じベクトルでやってくる。だからこそ「痛み」の深さが大事なのかもしれないと思う。人は無意識に痛みを求めているのかしらん?わからない。もしそうだとしたらそれはちょっと悲しい習性な気もする。でも死ぬ事をリアルに考える事は同時に生きる事を真剣に考えることに通じているように、痛みを感じる揺れる心は健全なのだと思う。でも痛みの大きさによっては人は耐えきれなくなったり根負けしてしまったりすることもあるんだろう。痛みもまた届かないニンジンのようにバランスのとれた距離感にないといけないのかも。だってもし僕が今 交通事故にあって下半身がもげて血だらけで死にそうになっているときに「痛みは生きるために大事なのです」なんてセリフが自分の口から出てくるとは思えないもの。

 

ココロがそのようにして自分の置かれたカラダの環境に全面的に依存しているように、カラダもまたそれを取り巻く環境に全面的に依存することに。では環境を整える事はやっぱり大事なんだな。

痛みとか苦しさとか。

それによってすごくゆっくりではあるけれど前に進んでいるのかもしれない。痛みを感じなかったら、それはそれで幸福かもしれないけれど、でもやっぱりね。だって実際のところカラダが実質的に死に至るまで痛みは存在するのだものね。という事は「生きる=痛い」「死ぬ=痛くない(痛みからの解放)」ということでもあって。まあ生きてるあいだじゅうずっと痛いわけではないものだし。自信を喪失することもまたパッケージに含まれているんだろうと思ったり。ココロの揺れの振り幅を自分で支えられるのかどうか。バランスですね。

 

例によってとりとめのない言語的アウトプット。

こんなこと書いてないで録音進めないとだ。。(ー_ー;
年内は残りライブ9本。・・バランスだな。

 

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2016年

12月

10日

Macbook, 高熱, 紅葉

12年間使ってきたMacが玉虫色的に重たくなってきて、録音やミックス作業に支障をきたすようになりとうとう新しいMacを手に入れてしまった。今でも古いコのほうをメインに使ってはいるのだけれど。でも新しいコでブログを書くのはこれが最初。

なんとなく体調がすぐれないなあと思いつつ友人を招待。僕が積極的に他人を家に呼ぶなんてこといつ以来だろ。親友が誕生日を迎えたところだったのでお祝いにと。

 

日々の些末なことを話しながら料理を作って少しずつテーブルに並べつつ。お酒の封を開けてグラスに注いで一口飲んでみて全く味がしないことに気づく。実は料理を作っていても味がわからず。あれれ?と戸惑いつつ、とにかく作って2人でそれらをつまみつつ。

 

まあ単に風邪だったんだろう。ここまで見事に味覚と嗅覚がやられると不思議と野良猫のことを考えてしまう。もし僕がノラで外での生活をしていたとしたら、こんなに鼻が効かない状態では食べて良いものか危険なものなのか嗅ぎ分けられず、変なものを間違って食べてお腹を壊すだろうな。そしてそれで体力を奪われて、この寒空の下、体温も奪われていくのかもしれない。特に野良猫に限らず、動物が野生で生きてたら、歳を重ねたらこういったリスクが増えるのだろうけど。でも何しろ野良猫は野生というよりも街中に生きてることが多いわけだから、間違ったものを口に運ぶ機会が多いだろうなとふと思って。

 

風邪っぴきの人間に招待された友人も気の毒ではあったけど、料理とお酒を美味しく味わってくれて嬉しかった。久しぶりに一緒にギターを弾いたりした。チャーリーヘイデンのノクターンに入ってる1曲め。随分と前に聴いていた曲なのに記憶の枝にしっかりと絡みついてる。ゴンサロルバルカバの弾くピアノの旋律が正確で、あたたかい。

 

美味しいと言って食べてくれる親友の横で味のないお酒を飲みつつ、なんだか次第に体調が悪化してきた。ボトルを1本空けてしまって、さて次に何を飲む?という段階で「ケイ、具合悪そうだな、すごい涙目になってるぞ」と言われて初めて自分が涙目なことに気づく。彼は気を利かせて少し早めに退散していった。駅まで送ろうと上着とマフラーをあたふたと身にまとおうとしている僕を制して、「ここで大丈夫」と言って。

 

彼が出ていったのと入れ違いに猛烈な頭痛と急な高熱がチャイムも押さずにやってきた。

急な高熱ってもしかしてインフル?と疑う間も無くベッドに倒れこんでそこからはもう頭痛との戦い。痛さで無言でのたうちまわってるうちにいつの間にか寝落ちていた。どれくらい時間が経過したのかわからないけど次に目を覚ました時にも頭痛はまだそこにいて僕の頭のあらゆる部分をギリギリと締め上げているところだった。水を飲みたいと思ったけど動けずしばらくそのままにしていたのだけど、やはりトイレにと無理やり起き上がって。そしたらびっくりするくらい絵に描いたような玉の涙がポロポロポロポロと次から次へと落ちていって、特に泣きたい気分でもなかったし、涙が出る前兆のようなものもなかったのでちょっと驚いた。こんなふうに自分が涙を流すことがあるんだって思って。

トイレから戻ってまたベッドに潜り込みなかなか帰ろうとしない頭痛と一緒に横になった。痛みに耐えているうちにいつしかまた寝落ちていた。

 

ふと目が覚めた。いつもよりも早くに寝落ちてしまってきっといろんな人間からいろんな連絡事項が来てるだろうとiPhoneを確かめる。そこでハッと気づく。頭痛と高熱が嘘みたいに消えて無くなってる。さっきまでの拷問のような感覚が消えて、台風一過の空のように雲ひとつない。自分の身体ってこうして僕の知らないところで頑張って体温あげたりして菌を殺したりしてるんだなってぼんやりしたアタマで考える。コーヒーでも飲みたいなと思ったけどスッキリしてたのはアタマだけで、身体のほうはひどく重かった。咳も出始めていた。しかたない、身体は僕が眠ってる間も戦っててくれたのだから。

 

Macを手に入れてからのこの1ヶ月弱、アルバム制作で本当にバタバタしていて。ましてやベーッシクな部分のみとはいえミックスダウンという作業は素人の人間がやるにはあまりにも意識しておかないといけない事柄が多すぎて。それに耳ってすぐにバカになるので急いで進めたくても耳の回復を待つ時間も必要で。でもそれはイースト菌を発酵させるように大事な時間でもあって、それがないときれいに膨らまなかったり。つまり楽曲や言葉を1日おくというのも過程の一つだなって。それによって全体の聞こえ方がまた変わってたりするし。

ミックス作業の中で僕やもう一人関わってもらった方も含めて何度もやり直しと意見交換ががあり、時には感情的にもなり、その後のマスタリングでノイズが乗ってしまってることが発覚して、通常のマスタリングとは異なり3日間くらいかけて直せる分だけ直してもらって。思えばもっと最初の段階での録り音に気をつけていればこんなノイズは生じなかったのだろうとかいろんなことに悔やみつつ。

 

ある日、アルバムのレコ発の宣伝のためのキャッチコピーを集まって決めたおりに、近くの公園でSNSや新しいHP用に使う写真を撮って欲しいと頼まれカメラを手渡され公園へ。写真も本当はプロにお願いした方が腕も機材も違うだろうにとも思いつつ、まあ僕でよければといくつかの写真を。赤や黄色の紅葉との対比、緑や逆光との混ざり具合とか。いくつか本人の納得のいくものが撮れたので撮影会も無事終了。

 

こうした依頼がなかったら心が忙しすぎてゆっくり木々を眺める気持ちにもならなかったんだろうな。もっとも今回だって木々をゆっくりとなんて眺めてないけれど。。

 

病み上がりな午前4時過ぎのブログ。相変わらず思いつくままの支離滅裂な。

数時間後には下北の某スタジオでガットギターの録音。その後 茨城に移動してライブ。もう少し寝ておくか。

 

 

 

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2016年

11月

07日

「是くふて茶呑むさい」

レッスンを終え帰宅してLage Lundの弾く古典的なようでコンテンポラリーなまるっこい音に耳を傾けながらぼんやり。まる(○)について思いを巡らしつつ。

 

○というのは禅で言うところの○ですね。

一休禅師の言うところの「墨絵に描きし松風の音」と同じような。その○を描いて、「これでも食べてお茶を飲もう」というのです。円相ですね。

 

それを言った人はカエルについても言及しているみたいで。座禅をしてるだけで佛になれるのだったらカエルだって佛になれるよ、ってカエルの絵を描いてる。これだけ読むとなんだかただのひねくれた人なんだろなとも思うのだけど、それが「禅」なのだとしたら?と考えつつ。てゆうか「練習してるだけで良いギタリストになれるよ」というのと同じことですね。そんなわけない。修行は自己満足ではないのだと。それにしてもこの絵のカエルくんの顔がなんだか悪そうで良いですね。仙厓という人の独特なユーモアと表層からは見えないネガティブな厳しさ(と書くと違うって言われそうだけど)が見え隠れしてとても好感が持てる。トムヨークのようにシニカルだ。

 

ここで語られてること。つまり墨絵で描いた松風の音や○と言ったものは「ココロ」についての表現なのだそう。しかも「それ」を食べてお茶でも呑みましょうと仙厓和尚は言う。ユング的に言えば象徴的表現とゆうことになるんだろうな。

 

僕が「是くふうて茶呑むさい」という表現を知ったのは7年程前だろか。もちょっと前かな。思い出せないな。でもそんなことを読みながら日々を送っていた頃は本当に苦しい時期で、でもこれらの言葉が本当に救いで。いや、言葉そのものに救われたわけではないな。そういった感覚に反応したんだなと。顔が固まってそのまんまな日々を送っている中で少しずつそういった感覚的反応に溶かしてもらって。

 

その頃に学んだことはまず「意味」ということの無意味さ。意味って大事ではないってことだったような記憶がある。何で大事ではないのだろか? それは意味があとから来るものだからということだったように思う。後づけのこと。つまり音楽で言えば「理論」と同じような。後づけだから大事ではないのだろか? んー、それはわからない。でも後づけでならいくらでも解釈できる。一番大事なその瞬間には意味なんて意味をなさないのではないのかなと。

 

もちろんこれだけでは語弊がある。

言い方を変えれば「意味」というのは後からだからこそ意味を成すのかなっていうことですね。「その瞬間」をではなく、「その後」をどう生きてるのか?ということ。意味が大事じゃないわけではないけど、意味はその意味に気づいた瞬間にこそ意味を発揮するようなこと。

 
音楽は禅で語れるのだなとは思う。禅も音楽で語れるのかも。
もしそうだとしたらそれは記号的な話であって象徴的な話ではないのかもしれない。日々の日常についてエフェクターで喩えたとしても表現できるように。いや、これは説明が面倒なのでここまでに。互換性のある置き換え表現についてはどっちでも良いのです。どっちでもいいですよね?

大事なポイントは相互的に「置き換え可能」ではない話。

つまり記号的ではないという部分。だから「○」で表現するしかないようなことに至ったようなこと。だって○=ココロではないでしょう。○とココロは記号的に同義ではない。でもそれは象徴的に表現されているからこそ○はココロであり、同時にそれを食べてお茶でも呑もうと言える。つまり○であるココロはメタフィジカル的に饅頭に置き換えられているし、それは常にあらゆる角度で一方通行であるということ。まあそれが「禅」ですね。

 

ココロは「○」で表現されるかもしれないけれど、○は「ココロ」で表現はされない。これは記号的ではない。このことがどれくらい人のココロを救ってくれるのか・・・みたいなことを書きたかったのだけど、んん、うまく見えなくなってきちゃった。。うまく見えない目で文字をタイプしてもうまく表現されないのかも。今夜はここまでにしましょう。

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2016年

7月

24日

時間と夏の花

前回最後にblogを書いた時期から約半年が経って2016年も7月に。

約3年前を境に7月が1年の節目と実感するようになり。

思えば最初にblogを書き始めたのが初めて奄美大島に田中一村の原画を観に行った年に現地で書いたのだから(それがいつだったのかもう定かではないけれど)、ちょこちょこと書き始めるようになって10年ほど経つのですね。初めて書いたときは「日記」だったのだけど、書き出しの文章を今でも覚えているのが自分でも不思議。

 

『日記なんて書くものかと思っていたけれど。』

が一番最初に書いた文章だ。

 

旅先で感じたことを描写して記憶にとどめておきたいと思ったのでしょうね。他人に読ませるためというよりは、どちらかといえば備忘録的な感覚で書き始めた気がする。でも口調は架空の「あなた」に向かって書かれていたり、不特定多数の「誰か」に向かって書かれていたり。つまりそのほうが話を前に進めやすかったんだろう。

 

旅先での情景を描写して、起こった様々なハプニングを描写して、一村の作品のひとつひとつを描写して、ふとした時間に感じたサウダージを描写して。文章を書くということイコール描写だった時期。アチラにあるものをできる限り正確にコチラ側に移す作業。自分の思いのたけを伝えるのではなくて、「それ」をできるかぎり在りのままに別の言葉に置き換える作業がその当時、自分で始めてみて思いのほか自分自身を癒すことになった。翻訳作業みたいなことだと自分では感じたのだけど。

 

でも自分で書き始めてみるまで気づかなかったのだけど、自分は癒しを必要とするほど傷ついているとは考えもしなかった。その時期に何か大きな不幸が自分を襲ったというわけでもなかったし、純粋に楽しく南の島をオリオンビール片手に旅していただけだった。

 

でも僕だけに限ったことではないけれど、人は生きているだけで傷ついてるし、それは自分との向き合い方ひとつで自然と蝕んでいたりするものなので、それがこうしたある種の置き換え作業によって回復する、ということにたまたま偶然気づいたということなんだと思う。

 

そういった回復作業みたいなものを自分が必要としてるなんてアタマでは理解していなかったのですね。でも気づいてみるとアートというのは基本的に個人の回復の為にあると言っても過言ではないものだし。それが絵画であれ音楽であれ、もしくは言葉であったとしても。アートは基本的に人間しかやらない最も効率の悪い作業・・・と書くと語弊があるけれど、社会的な実質性でみると効率の悪い作業になるのだけど、個々人のココロのバランス調整という人にとって本質的に大事な部分を扱うことにかけては最も効率の良い作業に属すると思う。睡眠と同じように。

 

というか、睡眠とアートはセットと考えても良いんじゃないのかな。またいい加減なことを書いてしまった。苦情は受け付けませんが。

 

 

「ブログはアートか?」

と聞かれたらそれは違うと思う、と答えるかもしれない。でも岡本太郎的な視点で見ればそれほどはずれた見解ではないと思う。つまり人間しかしない無意識レベルの調整作業という意味合いにおいては。それが他人にも影響を与えたり他人を自分の知らないどこかで救うことがあるのだとしたら、それはアートに近い意味合いを持つかもしれない。もちろんブログで他人を救おうなんてことを思ったことは一度もないですけど。いや、これは乱雑に2つの異なるものを並列に扱ってるだけで、これをもう少し厳密に言うなら言葉選びと組合せと置き換えの中に含まれるアート性について言ってるだけのこと。"Blog = ART"と言ってるのではありません。

 

ともかくそもそもそんなつもりで書き始めたわけでもない文章なのにいつのまにか自分自身が救われていたり、気づかされたり、他人を真剣に怒らせたり、他人と間接的な交流をはかれたり。言葉を扱うということは考えることだし、イメージすること、置き換えること、さらにはアウトプットすることで、同時にすごく危険も含まれていて。

 

その危険な部分に意識が及ぶと書けなくなったり。

でもどんな理由なのか(思い当たるフシがいくつもあり過ぎて 笑)自分ではわからないけれど、だんだとブログを習慣的には書かないようになってきたのですね。

 

 

これは大きな時間軸のなかでのこと。

「時間」というファクターが大きく影響してる。去年の自分と今現在の自分とは別人なように。人間は変化するという事実を受け入れるのには時間性について考えないといけなくなる。時間を抜きにしたら人は変わらないし癒されないし死なないし。

 

歳を重ねるなかで自分というのは時間の一部なんだと思えるようになってきて。もっとも無意識の世界では時間というのはクロノロジカルに流れてないので時間軸に依存してるとは感じないのだろうけど。てゆうか、感じたらそれはもはや無意識ではないですけど。

 

でも興味深いのはその感じる/感じないだったり気づく/気づかないだったり。つまり無意識の世界のものをコチラ側に持って来たり、コチラ側から知らないうちにアチラ側に移行していたり。それを日常的に繰り返してるのが人々の営みなわけで。

 

全然「時間」についての考察にはなってないですけど、7月になってお花をもらいまして。僕は生き物を扱うのが苦手でせっかくお花を頂いてもどうしていいのかよくわからない。植物というのはとても生々しい生き物ですよね。でもとにかくそれを大事に扱いつつ毎日お水をとりかえたりせっせと茎を切ったり。

 

毎日それを見るともなく眺めていて漠然とだけどそこに見出したものは「時間」の流れるスピードだったのです。想像してるよりも早い。それは感覚的な問題で時間のスピードが変化するわけではないのですが、僕みたいな植物を扱わない人間が普段 自宅で花をじっと見たりしないことでぼんやりとしか見えていなかったこと。それは形式的には冷蔵庫の中の野菜が劣化していくことと同じようなことではあったとしても、やはり違う意味合いで感じられる。

 

でもそこで感じた経時変化=劣化はある種の「美」だったりもして。

これは美しくて良いのだ、というのが正直な気持ち。色とりどりの夏の花を見ているのと同時に時間を見てるのだと思った。それをはかないとも感じるしせつないとも感じる。いろんなことを感じるなかで一言で総合的に表現するならそれは美しいなってゆうシンプルな事実。"諸行無常"に「美」を感じられることは悪くない状態なのではないかな。それに1つの節目に時間を感じるというのはある意味まっとう至極なことですね。

 

あ、洗濯機がそろそろ止まるのでこのへんで。

洗濯機にはいつも時間性を強要されてる気がする。。

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2015年

12月

31日

大晦日再び

2015年。年の瀬。
地味に、内的に、波瀾万丈(大袈裟^^;)な1年だったな。
予期していたことではあったけれど。
この1年間 さまざまなアップダウンを繰り返し体力的にも精神的にも
上下したように実感してるけれど、その実 年間を通じて安定してはいた
と思う。「安定」とは上下左右に揺れ動く感情の変化の中にあるんだな。
数えてみたら今年は年間のライブ本数が合計171本。
ほぼ2日に1回の割合で人前に立っていたということになるのかな
それに付随するリハーサル、楽曲の準備等々考えるといかに普段まったく
練習をしない僕とはいえかなりの時間を楽器や楽曲と向き合えてる
と言えるのかもしれない。人前に出るからにはやはりいろんな意味で
楽器との関わり方が目的的になる。それは精神衛生上とても良かったと思う。
ただ、それだけの時間を割いてしまってることによるある種の弊害、
つまり録音の頼まれ仕事がどんどんずれ込んでしまったことが無念
〆切の明確なものはどれだけ無理をしてでも、納得がいかなくても(実際には
納得いくものしか提出してないけど)、なんとか終わらせて提出した。
提出してから報酬を頂く、というふうに今年のアタマに決めた。
先に頂いてしまうと更にずれ込む可能性があるかもしれないと懸念して。
それでも全ては録り終えることができなかった。
2016年に持ち越すことになる楽曲のいくつかについては本当に申し訳ない
と思う。関わる相手との関係性も含めて少し甘え過ぎてしまった。
それからレッスン。何人かの生徒さんには「今月はちょっと・・」
「ああ、今月もちょっと・・」と待ってもらったりして。これも失格(u_u;

作曲。これについては例年よりもたくさん書いた。
生きた楽曲を扱う喜びを今年は実感した。創作というのはどうしても
必要なことのひとつなんだろうな。今までは漠然とただ「曲」として書いて
いたのだけど、今年はむしろアンサンブルや編成を意識できたと思う。
誰と弾くのか、どんな組合せと演奏するのか、そんなことも考えながら
曲を書きながら同時にアレンジを決めていくのが楽しかった。ライブの直前
になってまで1音の違いにアタマを悩ませてるのが幸福に感じられた。
ライブの本数が多かっただけに本当にたくさんの人々と関わった。
音楽的に関わった人とはより深いレベルで。ツアーに同行した仲間とは
一種の共同体のように。お客さんでどこかで僕の音を耳にしてついてきて
くれる人たち。他人の人生の一部に自分がいるんだなあと考えさせられた。
ライブ会場を提供してくれる店主達とも。ミュージシャンの身内である
家族や友人達, 恋人達とも。
自分が楽器を弾かなければ関わらなかったであろう人たち。
毎年のことだけれど今年1年間、いろんな人がこんな僕のようなマイペースな
人間に関わってくれて、みんな本当にやさしくて、よわくて、かわいくて、
つよくて、そんな人々によくしてもらったことがいちばん恵まれたことでした
いつかお返しできたら。
なんだか真面目なブログになっちゃった。笑
2016年にまたお会いしましょう。くれぐれもココロと体調に気をつけて。

 

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2015年

6月

24日

また節目?

去年あたりからなんとなく感じていたことなのだけど

6月が終わって7月に切り替わるとなんだか流れがまた1つ
変わったんだなという不思議な手応えのようなものがあって。

今まではそんなこと全く思わなかったのだけど。
なぜ今頃になってそんなふうに感じるようになったのか。

6月の次はただの7月で、それが過ぎれば8月がきて
そのようにして1年の月日が連綿と経過していくように考えてた。
たぶん実際にそうなんだとは思うのだけど。

でも人の代謝が自分で気づかないうちに繰り返し行われているように
1年前の自分と今の自分ではやっぱり1年分違うように
特定の周期の中で自分自身に付随するものごともまた新陳代謝を
繰り返してるような感覚を覚えるようになって。

それがもっともっとくっきり感じられるようになってきて
その境目が6月と7月のあいだにあるような実感を持つようになった。
それは例えば日々のライブ活動の中に垣間見えたり
他者との関係性の中で動きを感じたり。

自分がどこへ向かってるのかは全然わからないけれど
とにかく代謝が生じてる感覚。自分のあずかり知らないところで
自分にまつわる何かが更新されていくような感覚。
その感覚について思いを巡らせていると深い思索というのはまあ
常に大事ではあるけれど、それよりも直感ということに意識がいく。

直感てなんなのかよくわかってないのだけど。
でもそれは何かを感じ取るひとつの基準なのかなあ。
無意識の声なのかもしれないとふと考えたりもする。無意識の声に
耳をすませて、それが聴こえてしまったとしたらそれはもはや
無意識の領域に属さないものに変化してしまうのかしら。

それともそもそも無意識の声は聴こえないものなのだろか。
でも「気づき」ってゆうのがある。
「気づき」ってゆうのは・・気づくまでは気づかない。
気づいてない間はある意味では無意識的領域に属してるとも言える。

人は恐らくその経年変化の中で気づきが増えていく生き物なんだと
僕は考えてる。まずその「変化」そのものに気づいて不安になったり
管理しようと考えたりするものなんだから。

でも「気づく」ことと「直感」とはまた少し違う側面がるような。
気づきが何かの結果として感じられる/知ることだとしたら
直感というのは何かの前段階に特定の理由もなく漠然とだけれど
確信的に感じることなんじゃないか。

無根拠であることを人は疑うかもしれない。
でも何かを確信的に信じられたりするのであればそれは因果関係を
抜きにしたところでの根拠なんだろうと想像する。

この際、結果そのものの重要性は置いておくとして、やっぱり大事
なのは「無根拠に何かを信じられること」なんだろう。
目には見えないこと、因果関係では説明のつかないこと。

そんな曖昧なことをどうやって信用できるんだろう?
理屈では説明がつかないようなことを心から信用するようなこと。
それはやっぱり自分を信用することなんじゃないだろか。

「直感を信じるということは自分を信じるということなのでは?」
というひとことがアタマの中をぐるぐるぐる。

でもですね、直感というのは行動と結びつけて考えることなのだと
僕は思う。直感を感じるだけではそれはまだ半分しか完了していない。
それを信じて行動に移せるかどうかということこそが「信じる」と
いうことの意味になってくるんじゃないかなあ。

ということは「信じること」=「行動すること」である・・と言える?


さて、「行動」についての考察。

「行動」ひとつとっても意志のちからで目的的に動くことと
無意識的に結果的に動いてしまっている行動というのがあると思う。
そしてそのどちらにも意味は生じる。

でも意味なんてどうだっていい。意味はいつもあとからついてくる
主張の足りない友人みたいなものだ。理論と一緒だ。
何もしないで無言でうしろをくっついてきてやっと一段落ついた頃に
ぼそっと本質的なひとことを喋るだけの存在。

目的的な行動には常にギャンブル的要素がつきまとう。
結果は見えないけれどでもある種の結果の為に動くこと。賭け。
無意識的な行動はどちらかというと川にぽっかりと浮いてる木の切れ端
につかまって漠然と少しずつ流されていくようなことに近い。

いや、目的的に行動をしていたって川の流れというものは常にそこに
存在していて無視はできない。流れの方向はある程度 意識しているべき
かなと思う。でも普通はその流れがどんな海に向かうのかなんて
知らされていない。泳いでも泳がなくても流れには逆らえない。
でも泳ぐことと泳がないことには違いが生じるのかも。

いや、生じることもあるし生じないこともあるのかも。
全てに当てはまる理屈というのはあり得ないものだから。
仮にあったとしたら、そんなものは本質的にさして重要じゃない。


ああ。また踊り場に出てしまった。
1Fと地下室の中間地点。
僕の考察は踊り場的思考なんだな。なかなか地下室には辿り着けない。


これが恐らく今年の6月に書く最後のブログ。
次に書くときは7月以降になる。そしたらそれはまた境界線の向こう側
になるのかも。わからない。わからない。

フシメ的セルフポートレイト?ケンソラくんのギターを抱えてるところをケンソラくんが撮影。
フシメ的セルフポートレイト?ケンソラくんのギターを抱えてるところをケンソラくんが撮影。
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2015年

4月

02日

Hum黒須さん, FJ's, それからKhat feat.Kenji Yoshiura

たまの早起き。

ヨーグルトをミルクで割って飲みながら。
部屋の温度は18℃、湿度44%
ずいぶんと暖かくなってきた。鼻がむずむず。。

溜めに溜め込んだ自宅での作業。宿題の山。
過ぎた〆切り。ほんとはブログなんて書いてる場合じゃ
ないんだな。(わかってますとも)

それでも変わらないマイペース。自分のそういうところ
本当に人デナシだなと実感しつつ。こっちのペースを
社会に(他人に)おしつけるようなことだろうから。
世の中の人々がみんな自分みたいな人間だったらきっと日本は
ブラジルみたいなお国柄になってしまうんじゃないかと思いつつ。

************* ***************

いつも髪を切ってくれる黒須さんのところで様々な人と出会う。
それはHumというサロンが様々な人間を通過させる場所だから。
みんなそこで髪の毛をデザインしてもらって各々の個性の顕われを
実感する為に訪れてるわけなのだけど。

切られた髪は作品としては黒須さんの個性なのだけど、生き物としては
お客さんそれぞれの個性となる。つまり黒須さんというエフェクトを
通過した各々の個性。「黒須エフェクト」をかけるということを
選んだ部分にそれが主観的に顕われてるというべきか。

サロンという空間によってそのようなコミュニケーションが保証されてる。
ヘアカットアーティストとクライアントとの接点を包む空間。
そこでは誰しもがアノニマスないち個人であって、それぞれの背景なんて
互いに関与しないでコーヒーを飲みながら普通の世間話をしつつ
自分の髪にハサミを入れてもらうのを待っている。


でも当然のことながらその個々人にはそれぞれの背景があり
それぞれの世界で仕事をして生活をしてたりする。
ある日なにげない会話の中で深町純という名前を黒須さんが口にした。
まるでふと何か思い出したみたいに。たぶん僕が即興演奏について
たわいもない世間話をしていたからだと思うんだけど。


深町純さんという名前は失礼ながら僕はそのとき存じ上げなくて。
あとで周囲の音楽関係の友人にこっそり尋ねたら当然のようにみんな
知っている人物だったのだけど。その深町さんが自ら経営してる
バーがあって、毎月最終土曜日に定期的に即興演奏をしてるという話を
聞いていつかお邪魔してみようと思っていた。でも土曜には自分も
演奏が入ったりしてなかなか行けず。

せっかく黒須さんが教えてくれた名前だったので行かなくてはと思い
意を決してスケジュールを空け、今月こそ行こうと思って場所や時間を
チェックしてみようとネットで検索をかけた。

そこで初めて深町さんが亡くなられたことを知って。
突然の死だったらしく驚いたのは僕だけではなかったようだった。
後日、せっかく紹介してもらったのに逢えずじまいになってしまったことを
伝えにHumを訪れそこでまた少し深町さんの話をした。


それからしばらく年月が経過して。
僕は黒須さんの絵画作品を展示するパーティーでソロ演奏させてもらえることになり
そこで故・深町純さんの奥さんと出会う。
奥さんとは初対面のはずだったけど、ついその数週間前に中目黒 楽屋でやった
よしうらけんじさんと当時ASIA SunRiseと名乗っていた畑崎大樹さんと僕とのライブに
その深町夫人はいらしていたみたいで。というのもパーカッションのよしうらけんじさん
と深町純さんは一緒に仕事をしていたようで奥さんとも既に深い面識があったらしく。


という、いくつかの繋がりから今回"Anthology Jun Fukamachi"と銘打ったライブを
深町さんのお店FJ'sにてやることになって。つい数日前に弾いて来たというわけです。
こういうのってやる前に書かないと宣伝にならないですけど。笑



ライブは僕がkhatという名前で定期的に(不定期的にと言うべきか)活動している
ユニットで、それはそれぞれにバックグラウンドの違う3人が即興性を
軸にしながらコミュニケートするようなもので、なんというか一般の方々に
深い共感を得られる種類のものではないのだけれど、今回 思いのほか沢山の
オーディエンスに恵まれて、終始温かく耳を傾けてもらって、失礼極まりない
僕のMCに歯を食いしばって耐え抜いてもらって、人間的にも温かく才能ある
共演者2人に支えられてなんとか無事 終了できたことにホッとした。
良い空間をみんなで共有できたことが本当に嬉しかった。アンコールまで頂いて◎


この一連のできごとは黒須さんの厚意と思いやりによって成り立っている
話だと思っていて。人と人が繋がる空間を常に提供しながら物事を回転させて
いくようなことをさりげなくハイレベルに実践してる人。
その前提にある職人としてアーティストとしての確かな技術やセンス。
人々はその技術とセンスの為にサロンに訪れているのであって、もともと
背景の違う人々同士で繋がる為に髪を切りに来るわけではないはずなのに。
でもそういった人と人との繋がる目には見えない力を1つのアート空間に
昇華してしまうほどの起爆装置のスイッチをなんの見返りも期待しないで
楽しそうに押し続けている黒須さんという人の奥行きに、深い感謝の気持ちを
表現したくてこの文章を。


それが「黒須エフェクト」なのかもしれない。^^
ウィキペディアに出て来そう。「バタフライエフェクト」との関連語彙として。


FJ'sという故・深町純さんのお店で7/4(土)に再び同じ3人で演奏します。
とても雰囲気の良いお店なので是非チェックしてみてください。

深町夫人と。
深町夫人と。
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2015年

1月

07日

湿度、置き換え作業、アート

photo: Minoru Yamaguchi
photo: Minoru Yamaguchi


目覚ましに起こされずに起床。

部屋の湿度39%、部屋の温度12度。ふむ。



お湯を沸かす。

バナナを剥いて切って冷蔵庫からヨーグルトを。

コーヒーを淹れてメールの返信、それから少しFBの

タイムラインをぼんやり見て。すぐに消す。



考え事に45分くらい費やしてしまった。

時間の経つのが早い。でも集中して考えたおかげで

いろんなことが幾分納得できた。

今の時点では理路整然としてる。説明しようと思えば

きちんと言語化できる。人に伝わるような言葉回しを

選べる。でもしない。



理解を深めることと、本当に言葉にしてしまうことには

大きな隔たりが。でも言葉にしてみないと本当には理解しない

こともあるので躊躇してみたり。



でもいいんだ。今はそれを言葉にしないことが必要と

されてる気がする。言葉はまた別の言葉に置きかえられなくては

いけない。本当の言葉は別の文脈で語られなくてはならない。

童話やお伽噺みたいに。



音の世界はもっと抽象的で曖昧で。それが無意識にも似てるし

夢にも似てて。言葉のない世界とある世界をまるで夜の湖面

のように区切っていて。それでいつも救われてる気がする。



僕は詩を書かないので、置き換えられた言葉というものを

扱う事がほとんどない。もちろん絵本作家や小説家だったら

言葉の置き換えを日常的にしていたかもしれない。僕にとっては

そもそも言葉にすることが置き換え作業になるわけだから

それを他人の目に触れるところに書く時にはさらなる置き換え

をしないとなのだけど、あいにくそのような手段を持っていない。



しかたがないので描写をすることにした。

もう10年以上も前の話。

最初は旅のことを書いた。旅行記というと聞こえはいいけれど。

旅のあいだに自分の身に起こった事、感じたことを他者に

伝わるように描写した。



それから夢のこと。夢のことのほうが描写には適してると思った。

余計な私感を挟まないように注意深くなれるから。

徹底的な描写をすることがそのまま置き換え行為になるのでは

ないかとふと直感的に思った・・・と思う。

実際にすごく本質的な夢を観てその徹底的な描写をしたときに

それをブログで公表したら複数の人間が怒って抗議をしてきたことが

あった。彼らのことを夢に観たわけでも書いたわけでもないのに。

でもそれがある種の説得力を持つということは理解してもらえると思う。



描写ってある意味では情景を伝えること。

僕の目に映っているもの(たとえそれが夢の中での出来事だとしても)

が僕以外の人間の目にも喚起されるように工夫すること。

もちろん100%の再現率なんてありえない。70%も怪しいんじゃないかと

内心疑っている。でもそれはパーセンテージの高さだけの問題では

ないんだね。パーセンテージが高いほど、それを絵に喩えるなら

質の高い写実画になるのだと思う。じゃあ抽象画の価値は低いかというと

そうではないでしょう。質の高い、説得力のある抽象画の「何か」を

伝えるパーセンテージは非常に高い。でもそれが再現率の高さとも

比例をしていながらも同時に写実的ではない、という逆説の在り方を

とるところに面白さがある。



僕はその方がより幅広く多くの人にきちんと伝わるように思う。

それは何故か。



何故だろうね。たぶんそれは、人というものがみんなそれぞれにモノを

観るからなんじゃないかと思う。僕が見てるものはあなたとは違う。

同じモノを観ていたとしても。でもそのことになかなか気づかない。

バナナを観ればみんな同じようにバナナを観てると思い込める。

だけどそれはバナナという価値基準を軸に、その周辺の側面を部分的に

認識してるだけなんじゃないかと思う。実質的な側面もそうだけど

もっとパーソナルな側面もね。つまり、自分はバナナを通して自分自身を

見つめてるわけだから。



総体としてのバナナは自分というフィルターによって全く別の存在となりえる。

僕はバナナを観ながらバナナに付随する何に思いを巡らしているのか

他人には伝わらない。しばしばそれはバナナでさえない全く別の事柄を

観てることも。だからバナナの絵をそっくりそのままきれいに書いても

それは他人との共通のアイコンとなるだけで「表現」にはならない。

自分の観ているバナナを他人に伝えるにはある程度の抽象化が必要だろう

というのがまあこの見解の大雑把な認識。



つまりそれが置き換え作業ということの意味。

置き換えることの深さは表向きにはあまり伝わらない。伝わるときは

深いところで伝わる。だからあまり目立った社会的効果はない。

社会的効果のないものは一般的にたいした価値のないものと見なされる

傾向もあるのでそれは仕方ない。でもそんなことよりも、置き換え作業の

大事なポイントは、基本的にそれは個人的なものである、というところ。

でも完全なる個人というものはないので、個人が個人の為に置き換えてる

その作業は結果的に社会にも反映するという事実。



それがアートというものが鑑賞者によって評価され認知されるという

こと。本当はアートに限らず全てそうなのだけど、アートが一番 現実生活

において無駄と認識されがちなものだから。「何の役にたつのか」という

具体的な問いかけに弱い存在というのは必ずどこかで誰かの役にものすごく

たっているものなのだけど。その証拠に人々はアートに救われているし

アートに依存してる。人によってはアートの定義が曖昧な人がいるだろうから

自分ではそうではないと思っていても、それは本人の認識不足なだけで

全ての人は必ずアートしてるから。



アートが「役にたたないもの」として扱われてしまうのは天変地異や

戦争や重い病気にかかるとわかる。優先順位が後回しになるから。

それは現実的に空腹を満たしてくれないし、わかりやすく命を救ってくれないし

雨風をしのいでくれないから。アートはそもそも置きかえられたものだから。

別の何かに置き換えられたものをアートと言うのだとしたらそれは何か。



それは個人の内面なんだね。

個人の内面が本質的に抽象化されて、置き換えられて、それが他者にも

伝わってしまうほど説得力を持っていると一般的にはアートと認識される。



だから全ての人間は常にアートしてるということになる。

それが伝わるほどのレベルでなければ認識されないだけのこと。


 

 

 


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2014年

12月

12日

ふふん。チャオ。

珍しく昼間にblogを書く。

今年は「僕にしては珍しく」というアプローチをいくつか試みた。

具体的に何をしたのかはともかく日常の些細なことから主に。

やっぱり自分を形成してるのは日常だから。環境も含めて。

そういう意味では些細なことしか変化させてないのに大きな変革の

1年になったようにも思える。


今年の始めに手帳の空白のページを真ん中で区切ってそれぞれを

プラスの項目とマイナスの項目に分けてことあるごとに自分の身に

起こったことについて主観で+/-に分別していった。


今年は骨折もしたし引越しもしたし。何を持ってそれらをどちらの

項目に分別する判断基準とするのかはあまり明確ではない。

なので一見とりあえず負の出来事のように見えることにはマイナスを。


ライブは年間を合計したら今年は123本だった。

ばらつきはあるものの、月に平均10本程度というところか。

普段ツアーにはあまり行かないし、いわゆる営業ライブはカウント

してないのでこの数字は都内近郊で細々と活動した記録。


でも本数だけが問題ではないものね。もちろん。

去年と今年ではライブそのものの内容に大きな格差が生じたかな。

もちろん関わる人々も変わったのだけど。それだけでなく。

今年の方が意識的に試みたことが多かったと思う。それによって

手に入れたものが少し増えた。1本1本のクオリティが少しずつ

上がったとも思う。お客さんが気づくほどではないレベルの話。


というのも、本当に自分で評価してる良いところというのは

逆に目立たなく表現されている部分だからこれは仕方ない。

「けーくん良くなったねえ」ってみんなに褒めてもらいたくても

こればかりは価値観の置かれ方の問題だから。


だからクオリティの変化というよりも表層部分においてより地味に

なった、というのが近いんだろう。そのかわり関わる人々との関わり

かたというものも変化してきていて、これはどこかクオリティの

変化と呼応してるような気がする。あくまでも主観ですけど。



自分自身の器の小ささのことを考えると胸が痛む。

ちょっとしたことで浮き沈みを起こすのはみんな同じだろうけれど

なんてゆうか、バランスをとることの意識と、バランスを崩すことの

面白さにいつも翻弄されてしまう。バランスを崩すときというのは

諸刃の面白さで。崩し方の度合いによっては数年間も立ち直れない

ような大怪我をするから。精神的な大怪我。


意味だとかそういったものはいつも向こうから来るからこちらは

普通にいつも通り歩いているだけなんだけれど。



それから夢。

今年は見た夢の絶対数が少ない年だったな。

その中でも象徴的と思えるものは片手で数えるほど。

それは日常のほうでまかなってる無意識の稼働率が少しだけ上がってる

のか。もしくはその逆なのか。でもとにかく夢なんて見たくてみるものでは

ないのでそれでいい。今の自分はそういう状態なんだなってくらい。



大雑把に言うとそれが僕の2014年でした。

まだあと半月あるけどもう今年は書かないでしょ。ふふん。チャオ。


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2014年

11月

05日

瞑想氏

<瞑想氏> 『白と黒』41号 1933年11月
<瞑想氏> 『白と黒』41号 1933年11月

おはよう。


うたた寝してしまった。

ぼんやりしたまま歯を磨いてたら目が覚めて。

でもまだちょっと眠いような。

それでふたたびおふとんにもぐりこんでみたのだけど案の定

眠れなくてまたもぞもぞと起きてきてMacの電源入れたりして。


明け方のMacってひんやり。この季節だからか。

ひざかけを肩からかけてるからひざが寒い。あたりまえだ。

カップに残ってたコーヒーも冷たい。かといってお湯を沸かし直すほど

いまコーヒーをのみたいわけでもなかった。むむむ。


とにかく明け方のそういうよくある時間なのです。いま。

目は覚めてるけどアタマは半分節電中。



谷中安規の版画展。

町田に版画美術館があるなんて最近知った。大きめな公園を抜けた先にある。

町田ってこんなに犬と暮らす人々が多い街だったっけ。

もはや犬の街だ。飼われてる犬にとって生活しやすい環境を作ったら

そこに犬の人達が住みつくようになって循環が始まったような印象。



公園を歩いててまた季節について考える。いつも室内作業ばかりだから

あんまりそういう匂いとか感じてなかったな。最近。

版画展に着いたらその日は期間中2日間だけ存在したらしい無料の日。なんか不思議。


展示会のポスターに使われてる作品からして初めて見る。

1930年代頃のヒトなのだけどポップで象徴的でどこかかわいい。

僕がそれまで持っていた「版画」という価値観をあっさり塗り替えてくれた。


あたりまえなのだけど絵の熟達したヒトだったんだなと感心した。

絵もポップで象徴的でまるでアニメーターのような資質もあるのでは、と思わせる。

けどそれは語弊を生みそうなので言わない。



本の挿絵ってだいすきだ。

まずその立ち位置に惹かれる。あってもなくてもいい場所にあること。

挿絵の必然性ってどれくらい本人達は感じてるんだろう。

あの必然性のなさにおけるもっと広い意味合いの中での必然性のようなもの。


それらがいてくれるだけでまるで森のなかでふと立ち止まって

辺りの空気の匂いをかぐようなはたらきをしてる感じ。

それはエフェクトなんだね。アンビエント効果をもたらしてる。


谷中氏の挿絵はその象徴性においてとてもよいはたらきをしてる。

シンプルで説明的でなくて、それでいて重層的に置き換えられていて

軽くなくて重くなくて、単体でも機能して、そしてなによりかわいい。



音楽におけるエフェクトというものが楽器の実音そのものではない部分が

あるように、肉声と環境音の境界線をさりげなく抽象化してる感じ。

ボーダーを曖昧にするっていうのはある種のやさしさだと思う。

ボーダーを明確にできるのはある種の強さかもしれない。

やさしさと強さは相反するファクターではないはずだけれども。

白と黒の中間。目には見えないグレーの部分。ハンドルの遊びの部分。

ひざで言ったら・・・軟骨?? なんかそれはちがう。




曖昧なものやグレーなものがすばらしいというのではなくてね。

それがあるからいろんなことがいろんなカタチで許される気がする。

強く太い線はそれによって更に強さを感じさせるし、逆に曖昧でないもの

を強調する。そういう間に挟まってクッションのようにいる一見なんの

役にも立たなさそうな存在に惹かれてしまう。


クッションがなければ相殺しあってしまうものね。

まるで一神教の対立と仏教との比較みたいになっちゃうけれど。

でもエフェクトというのは「効果」ということなだけあって

それを活かせないと本当にただの「無駄」だったりする。

その目的は「別の何かに光を当てる」こと。

目的ありきな行為なんだね。


光を当てると影ができる。それによって白と黒に分離する。

その分離感と淡さのダイナミックスの移り変わりに影響するんだと思う。

谷中の挿絵を眺めながらぼんやりとそんなことを考えつつ館内を徘徊。

もちろん彼の作品の中で挿絵として使われていたのはほんの一部なのだけど。



それにしても版画というのもある意味ではやはり白と黒の世界で

まるで影絵そのものみたいに見えるし、ロールシャッハテストのインク

にも見える。つまり人々は影に何かを見出すんだろうなって。

影に見出すのはやっぱり自分なんだろうなあ。これはある種の投影行為

なんだろう。「投影」っておもしろい言葉。誰が考えたんだろ?

影を投げる主体は意識的なのかしら。無意識的なのかしらん。



でも実は主体も客体もあまり関係なくて、ヒトという生き物は常に

無意識的に影を投げ合って暮らしてるのだとも思う。

そうやって距離をはかるんだね。何の距離だろか。

たぶん社会なんじゃないかな。社会的な唯一の生き物だから。

本来 問う必要のないことでしょう、自分の存在なんて。

でも自分自身が一番のブラックボックスだからみんな自分の影を

何かに投げて、アートしたり建築したり宗教したり哲学したりして、

つまりそれが投影なんだろう。それはやっぱり全ての生き物は死という

大きなイベントを内包していて、「死」という概念を模索してるのは

人間だけだからでしょう。はじめに言葉ありき、だ。

聖書にこの一文があるということが一神教の複雑さを決定づけてる。



全てを概念化してしまうのだね。「言葉」というものが。

その強制力について思いをめぐらせるといつも無力感に襲われる。

だってネコたちは自分達のことを「ネコ」とさえ思ってないのに。

ヒトは概念化しないと生きていけない生き物だから「社会」というのを

必要とするんだろう。家を作るように。自分がその中に住むように。

家も高層ビルも大聖堂もすべてヒトがアタマの中でイメージしたものを

具現化したものだから。だからそれらは「言葉」と同じもの。

言葉によって自然界以外の全てのものが作られてる。音楽も。部分的に。



でも音楽が特殊なのはやはり目には見えないという特性にあると思う。

楽譜は情報ではあるけれどサウンドそのものではないものね。

サウンドというのは言語の誕生よりも前にあったもの。

もちろんそこに音階という意味合い(ルール)を設けてしまったのは人間だけど。

ルール、法律みたいなこと。音階は意味合いであり、リズムは社会性そのもの。

だからあまりにもフリースタイルな音楽をやるヒトは

社会性そのものに対してなにか反応してるんだろう。無意識に。


これもいきつくところは個人の投影だ。

つまりヒトはここでも個を投影して生きてることになる。岡元太郎のいう

人間は芸術だというのは正しい。それが爆発であるかどうかは表現の問題。


アートというのは人間そのものでありながら同時に社会における境界線の

クッションだから。グレーゾーンに当てはまるもの。ハンドルの遊び。

遊びの部分だからそこはただの空白なんだ。そこには「何も」無い。

「何も無い」ということがこれほどの影響力を持つ事が大事と僕は思う。


ということは構造的には宗教とほぼ同じこと。(語弊あるけど)

でもある意味では宗教性というのもアートと同じで全ての人間の中に最初から

デフォルト状態で存在してることになる。当然だけども。なぜなら「はじめに

言葉ありき」だから。この1文はキリスト教の専売特許ではないと思う。

人間と言葉はイコールで結ばれてしまうほど言葉には実現力があるのだから。

都市にある全てのものは実際に言葉でできてる。街も飛行機も。

コンピュータも0と1だし。それって一神教の発想でしょう。0か1かというのは。

でもそれが悪いわけじゃない。自然科学が一神教の延長線上にあることは

自然科学の領域内だけで語る分にはとても有効なこと。


 

宗教性。これは純粋にただの本質的なエレメントの1つ。

でもそれが社会化した途端に「分裂」が生じて。分裂すると派閥が。

それで互いに殺し合わないといけなくなる。

殺し合う理由は思想/信仰の不一致を政治的に利用されたりすることによるもの。

それも言葉なんだね。個人個人ではなく集団という環境の中では理想はシンプルに

しないと伝播していかない。シンプルをつきつめると原理主義みたいになる。

色をシンプルにしていけば原色になるように。 

 

そう思うと人間というのは最初から殺し合いを回避できないように

プログラムされた存在なんだなって思えてしまって、これもまた

「はじめに言葉ありき」の本質に立ち戻る。

そしてやっぱり無力感に襲われる。僕ひとりでさえこんな堂々巡りを

繰り返すのだから人類がずっと同じような事を繰り返すのも仕方ないと思う。



あれ、谷中の版画の話をしてたはずなのにな。笑

 

彼の作品はほんとうに奥ゆかしくて素晴らしいけど最後は餓死した。

あんなにたくさんの作品を作り続けていたのに。時代背景とタイミング。個人の病理。

そういう事実を知って作品を眺めるとまた勝手にストーリーが生じてしまうのだけど。

そう、ヒトというのは物語の生き物でもあるから。



すっかり目が覚めてしまった。コーヒーでも淹れよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

谷中安規 <自転車A> 1932年

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2014年

10月

22日

記録。記憶。


ひさしぶりに悪夢で目を覚ます。

はーこわかった。どきどきどき。。

もともとあんまり夢をみないほうなのだけど一時期よく

不吉なものばかり見てたことがあって。


起きたら胃が痛くてしょうがない。

胃が痛いからあんな夢をみたのかあんな夢だから胃が痛いのか。

しばらく動けず。。


割と子供の頃から自分の感情を偽る傾向があったからか

そういうことをすると「はいタカスギさん、それではバランス調整を

行いますからね」といった感じでこういう夢を見てる気がする。

意識のちからでムリに整合性を持たせていたものの代償だ。



自分自身には正直なほうではあると思うのだけど、自分の感情に

関しては止めてしまうんだね。そういう訓練がなされてる。

社会に対して開いてない証拠だ。一般レベル以下という意味で。

なので感情に対して素直な人をみるとすごく羨ましい。

そういう人は人としてとてもまっとうだから。



これは入力レベルの問題。

一定レベル以上の信号が入力されると僕の感情にはコンプがかかって

しまう。いや間違えた、リミッターだ。だからあまり割れない。

波形も整ってる。だけどそれは妙に人工的。



人工的ということは意識的というべきか、無意識的にと言うべきか

僕の場合は半ば無意識的に抑えつけてるところがあるような気が

するので経験による条件反射の習慣化された傾向なんだとは思うけど

いずれにしてもそれは表層部分では上手く機能しているようにみえて

実はバランスを崩してることになる。と思う。


その崩れたバランスを親の敵のように取り戻しにくるのが今朝のような

夢なのかもしれない。一時期は見た夢が象徴的なものだなと感じると

言葉にして描写してた。それは一連の流れを言語化することに意味があって。


でも時々こうして言語化する気にもならないような重たいのがくる。

ほんと久しぶり。僕もまだまだ若いなあ。子供。無邪気ではないけど。


10月の出来事についての記録、記憶。








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2014年

7月

02日

七月と象徴

車通りの激しいところに引越した。
なんか懐かしい喧噪。
象徴的な日々を過ごしてあっというまに七月になった。
 
 
引越の準備はただただ心楽しいだけのものではなかったけれど
今までの引越の中では最も有意義な時間のひとつだったように感じられた。
今までは引越に意味や象徴を見出すようなことはなかったから。
まあ意味についてはともかく、象徴的な何かを感じられるということは
僕のココロがまだ柔らかくて機能してることの証拠だ。
 
 
新居の外では何か大規模な工事が行われていてまるで残暑の蝉みたいな
ひっきりなしのノイズがトラックや救急車の騒音と一緒に窓から
飛び込んでくる。けれどそういうのもある意味ではこちらの問題だ。
それが癇に障る精神状態でなかったことに感謝。誰に感謝していいのか
わからないけれど。
 
 
なんでもかんでも象徴化しちゃうけど、今回新しくヤカンを買った。
お湯を沸かす為(あたりまえ)だ。なぜだか僕の中ではヤカンというのは
引越の象徴になっていて、そこまでこだわったような高価なものでは
ないけれど自分の生活感に合った質素なものを見つけてきた。
とりあえず毎朝それでお湯を沸かしてコーヒーを飲む。
台所に置いた安物のスピーカーから出てくる音が窓からの喧噪と混ざる。
ぼんやりとした時間が大事なんだな。眠る時間が大切なように。
 
 
世界を変えようとは思わないけど自分自身のことなら変えられるか
しれない。少しずつなら。自分自身というのは自分の抱えた傾向そのもの
だから今までの自分を否定しないまま超低速に塗り替えていく。
自分が変わっても自分を取り巻く世界ってそう簡単に変わったりしないけど
少なくとも何かが変わっていくのだとしたら、それを積極的に主観的に
行うのだとしたら微量のバイアス変化を自分にかけていくようなことかなと。
 
 
それには時間がかかる。自分のことひとつなかなか変えられない。
そこに必要とされるのは適量の負荷と継続、それから目に見えないほど
僅かな日々の軌道修正。あとはただただ膨大な時間。
地球の自転みたいに自分に見合った自転速度で同時に公転しながら、みたいな。
周期というのは未来に用意されてるものではないのだ。
 
 
それが毎朝ヤカンでお湯を沸かすことで始まっても良いと思う。
そんなことを徒然なるままに思いつつ。別に今までだって朝にお湯を
沸かしてコーヒーを飲む生活だったのだけどね。
でもまあとにかくそれが象徴の話。自分にとっての。
 
 
ひとつの節目に。
 
 
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2014年

6月

14日

Movin' out

引越を控えて大量の私物を捨てる。
この何年間ものあいだに溜め込んできたもの。
部屋が狭かったわけではないのだ(狭かったけど)。
でも管理がずさんなだけなんだな。
こういうことでもなければなかなかリセットできない。
 
 
荷物をまとめるために私物を選別し始めて気づいたけど
また本ばかりだ。あれほど溜め込まないように気をつけて
いたつもりだったのに。紙でできたものがこれほどスペースを
奪うとは。電子書籍については特に賛成派ではなかったけど
場所を節約できることは確かだなと実感。
 
 
それにしても本だけでなく大量の楽譜。
いつの間に溜まったのか膨大な量だ。
 
楽譜というのは不思議なものでそのほとんどが名前のある
楽曲だったりする。つまり1枚1枚をチェックしては捨てていいのか
保管しておくべきなのかを選ばないといけなくて。
1枚ごとに名前がついた独立した楽曲だったりするので気が重い。
 
 
捨てる理由はいくつかあって。
もう2度と弾かないだろうという曲達。
もしかしたらもう2度と会わないかもしれない人々との記憶の残骸
みたいに見える。雨降りの日にこんなことをしてると気が滅入る。
 
 
楽譜と言っても自分で譜面に起こしたものがたくさんあって
それは共演者の横で弾くために自分にとって理解しやすくする為に。
何枚も何枚も何枚も何枚も書いて時間をかけて記憶に刷り込ませて
そしてある時期を境に恐らくもう2度と弾かれなくなってしまう。
もちろんそれで良いのだけど。
あんまりそういったことを不毛なことのように考えない僕だけど
これほどの膨大な量を選別して捨ててるとアタマがぐるぐるしてきて。
きっと引越ってそういう類いのものなんだろう。
 
 
つい数週間前までは引越すつもりなんてサラサラなかったのに
引越すと決めてからもう今月末にはここを出ていかないといけないまでに
話が進んでしまった。僕にとっては非常に珍しいことかもしれない。
でも腰が重くてなかなか大きな決断ができない代わりに
一度決まってしまうと早く進めてしまわないと気が済まない。
そんな性格だったかなぁ。(おそらく昔からだ)
 
 
引越について考えると何故かコンステレーションを連想してしまう
ユング派の人のいうところの布置のこと。
別に引越さなくたってコンステレーション的なことは常に起こり続けてる
のだろうけど、場所を移るというのはやはりちょっとしたことだもの。
水の流れが変わる。良くも悪くも。僕以外の他人も影響を受ける。
 
 
しかしたまには越してみるものですね。こうして様々な自分自身の過去に
まつわるもの達を選別して捨てるという行為はなにかしら価値のあること
のように思える。必要なことだったんだと後から気づくような。
見る夢にもその影響が出てる。
 
 
今ではメールが増えたから以前ほどには手元に残らなくなったけれど
手紙の類い。手紙ってなかなか捨てられない。でも10年に1回くらい
集中して選別して捨ててしまう・・・こともある。
不思議なのは仲の良かった友人からのものは捨ててしまえるのに
知人のおかあさんから頂いた何気ない手紙は捨てられなかったり。
きっと仲の良い友人とはこれからも関係性を継続させられるほど接する
機会があるだろうと思い込んでるからかも。錯覚だ。
 
 
空っぽになった本棚が空虚な感じがしてさみしいのと気持よいのと
ないまぜな感じ。きっと空っぽであることは可能性でもあるからだろう。
 
 
だんだんと「引越が好き」と公言する人の気持がわかってきた。
まだそこまでハッキリと言えないけれど。
でも自分を見つめ直す良い機会なんだな。自分の傾向について考える。
溜まってしまってその上から時間が経過して身動きとれなくなった状態から
少しだけ身軽になれる。精神的代謝率が一時的に上がる。
 
 
さっきも書いたけど自分が歳を重ねるほどコンステレーションについて
考えずにはいられなくなる。だんだんとシンクロニシティを実感する機会が
増えたからかもしれない。もしくは歳のせいなのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
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2014年

4月

22日

代官山Hum 3.30

 

もう何年もおなじ人に髪を切ってもらってる。

ある信頼する人の紹介で行くようになって。
 
 
 
もともと髪型の注文をつけるのはそれほど得意ではないし
こだわりと言えるほどのものも持ち合わせてないのでブラジルに
居た頃は自分で切っていた。
 
 
なので紹介してもらって代官山まで切りに行った最初の日から
基本的におまかせで。実は今でもおまかせ。
放っておくと半年以上もほったらかしにする傾向があるので
ときどきフラっと現れてはほぼ無言のまま切ってもらって帰ってくる。
お互いほとんど会話もないままに何年も通ってた。
まあ僕のことなので年に2回しか切らなかったりということも(ー_ー;
 
 
「黒須さん」というのがその人の名前だ。
 
 
不思議とこの人に切ってもらうと、整えてもらうと
自分でいられる。それがたとえ年に2回でも。
人に完全に委ねるということは普段あまりない僕にしては珍しく
黒須さんという人にはまったくすべて委ねてしまってる。
それが一番良いのだという気がする。なんとなく。
 
 
 
そんなわけなので特に深く考えないまま何年も通い続けてきたのだけど
あるとき彼が絵を描くことを知った。壁にかかっていたからだ。
描く時期によってそれぞれにシリーズ的に特徴的な違いがはっきりとあって
その時々で常に「今はこれ」というテーマがあるのかなという印象だった。
その曲線は豊かで、丸みと奥行きと多面性が彼のヘアカットを想像させる。
ポップに見えるかと思えばそこには圧倒的な緻密さが隠れていたり
 
 
 
 
絵を描く人だからと知ったから、というわけではないと思うのだけど ある日
自分の音源などを手渡してみた。その場でプレイヤーにかけられたら恥ずかしい
ので、髪を切ってもらって帰り際に渡してそのまま出て来たのだ。
 
 
 
...................................................................................................
 
 
黒須さんが音楽という入れ物を大事にしてるように僕も絵画というものに
特殊な思い入れがあって、絵に含まれる滋養のようなものに助けられたと感じる
ことが今までの生活の中にあった。
 
ひと頃とても落ち込んでいた時期があって、それはそこそこ長い期間ではあった
のだけど、その長い鬱々とした混迷のときに何度もひっぱり上げてもらった。
それは音楽では成されなかった。それは音楽セラピーがミュージシャンには
効かないのと同じ理由???
 
 
..............................................................................................
 
 
それで話は戻るのだけど、自分の音楽を聴いてもらうようになって更に
2年か3年が経過して。その間に僕は大樹さんとkhatの音源を作ったりして。
khatはkhatでそれなりに初めての拙さが感じられる音源なので
やっぱり気恥ずかしいものなのだけど、黒須さんはそれを聴きながら
毎朝早起きして何枚もの絵を描いていてくれたみたい。
 
 
そんな時期を通過していくつかの絵が仕上がった頃に彼の個展が開かれて
僕はそのオープニングパーティーでソロ演奏をさせてもらえることに。
それがこのあいだの3月30日。
 
 
ほんとはこの日に感じたことや関わった人々に抱いた印象なんかを
書こうと思って書き始めたのになんだかもうそれは必要ない気がしてきた。笑
この日は本当にただただ良い時間でした。
 
 
 
 
この企画に僕と僕のギターを呼んでくれた黒須さん、ありがとうございました。
あれだけの作品をいくつも描きあげてくるのは日々の集中力が成せる技。
もちろんそれだけでなく。美意識とイマジネーション。
僕に欠けてるものを圧倒的に見せつけられた。すごいと思った。
それからあの日、裏方にまわって奔走していたHumのみなさん本当にお疲れさまでした☆
 
 
心より感謝を◎
 
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2014年

2月

15日

blog2.15

まだフレットはずす前。
まだフレットはずす前。

 

 

おととい見たのは空ネコと海で泳ぐ夢。

昨夜みたのは白い液体をエレエレエレと吐く夢。
 
現実生活ではケムトレイルを見かける日が増えたような気がするけ
今日は今月2度目の大雪なので野良猫たちのことが気にかかる。
つい数日前に折れた肋骨がいたたたたなので家では年寄りのようにゆっくり
姿勢を変える。せっかくバカ笑いを我慢してるというのにくしゃみをすると
実際に折れた瞬間よりも激痛が走る。くしゃみは敵だ。
 
 
ヘッドレスのベースの弦を張り替えようとわざわざ取り寄せたダブルボールエンド
の2本目にさしかかったところでブリッジのチューナーに異変。故障か?
しばらく格闘したけどもはや自分の手には負えないかも。(不器用なのです)
てゆうか、今月末には808のワンマンライブがあるし、リハも来週に迫ってると
いうのに弦が張れないベースでは役にたたない。
 
仕方ないので普段ほとんど触ってなかったフレットレスくんを引っ張り出してくる。
この子はもともとフレット付きだったのを手術してはずしてしまった。
アリアプロⅡの安物なのだけどなかなかかわいい。けどネックが反ってて少し
ビビるのとピックアップのせいなのかアッセンブリなのかノイズが酷い。
ノイズ処理を施したというのに。
 
それでなんとはなしにケースの中にしまったままの状態だったわけだ。
今回は時間もないのでこの子も久しぶりにシャバの空気を吸うことに。
それにしてもフレットレスベースの音というのは独特で良いですね。なんか
自分の性格に合ってるような錯覚さえおこしてしまう。自分の趣味の為に購入した
不完全な子なのだけど、まさかこうしてライブで立て続けに使うことになろうとは。
 
 
 
しかしどうしてこう自分の持ち物というのはヘッドレスやらフレットレスやら
どこか欠けているものが多いんだろうか。そういうのが好きだからなんだろうけど
例えば5弦ベースだとか7弦ギターだとかダブルネックだとかは持ってない。
ギターシンセももう使わない。音色を増やそうとは思わない。性格なんだろう。
もしくはこれを歳というのかも。趣向的経年劣化なのかしら。
肋骨も1本くらい折れたままでも良いのかもしれない。痛くなければ。
 
 
そういえば今月は後半にライブが集中してて。
 
 
21日はBigMouth。今回はドラマーの橋本学くんとベースに山田正一さん。
ウタモノのハコだけどギタートリオ(インスト)を。ガットで。
ジャズ的な要素も多分に含めてもう僕にとってはある種のリハビリ行為。
 
22日は東高円寺BlackberryJamにてShake it Hard Blues Band。
この歳になってブルースに興味が湧いてきたりして。この歳だからかな。
今まで実はブルースなんてあまりやってこなかったし。Noriko(vo), Arthur(g),Alan(b)
それからTetsuji(perc)と僕(g) 。
 
25日は池尻大橋Chad。畑崎大樹さんとのデュオ。khat。
たぶん今回は極力エフェクト少なめ。khatというのはいつやっても難しい。
それは大樹さんという人の一筋縄ではいかない要素と向き合うような作業
だからかなぁ。ふたりとも天の邪鬼だし。
 
27日は新高円寺StaxFredで千春と。千春は弾き語りスタイルなのだけど楽曲は
どこかアンサンブル的な世界観を内包していて。今回初めて全曲ベースで。
 
28日は808AllStarsのワンマンライブ。これも新高円寺StaxFred。
中山八大さんの書く曲は大人の音楽だなって思う。ユーモアとグルーヴとサウダージ
が同居してる。そして聴く人たちの為に書かれてると言えるくらい心地よい。
そんな非エゴイスティックで大人な楽曲をエゴの塊みたいなメンバー全員で弾き
倒すというバランス。でもみんなとても音楽的だ。こちらも全曲ベースで。
 
 
雪を眺めながらの近況報告なり。
 
 
 
808です!笑
808です!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年

12月

31日

2013ノ師走。

 

 
また1年終わる。
大晦日の朝。良く晴れてる。軽い地震で目が覚めた。
コーヒーを淹れてErnst Reijsegerのチェロを聴きつつ。
 
1年を振り返るわけではないけれど、いつも楽観的にのらりくらりと
生きてきた約40年間、今年もいろいろと揺れた。
といってもたいしたことないんだけど。きっと人々はみんな揺れて
迷っていろんな思いや感慨や後悔にとらわれて日常を過ごしているはず
だから。僕もその範疇でゆるやかに揺れていたという感じ。
 
 
いろんな意味で大きな決断や過剰な気負いを感じるようなことは
なかった。むしろ更なるマイペースを意識したくらい。
マイペースを保ちつつ常に少しずつの負荷をかけてあげる程度。
増やさない減らさない。まあ意識することと実際にそれを行うことは
全く別の話。焦ったり不安になったりしながらも基本楽観的なのは
そうしないとマイペースを保てないからなのかも。
 
 
エゴイスティックにも音楽をやり続けているにも関わらず
それをアートと認識してるにも関わらず、自分の立ち位置は「鏡」
なんだと年末になってふと思う。
 
なんで年末になって思うかというと年末になってやっと今年始めた
ベースをまともにアンサンブルの中で弾く機会があったので。
ギターを弾きながらもそのことはよく考えてた。
楽器を操る人を見てるとその人の性格が非常によくわかる。
ある種の個が浮き彫りになる。その人が見てるもの/見えてないもの
聴いてるもの/聴こえていないもの、感じるもの/感じないもの
そんな漠然としたことが比較的わかりやすく伝わってくる。
 
 
それがそのままその人の日常であり生きてきた集積でもあったりして。
そういう様々な他人を見てると自分が見えてないもの、聴こえてない音
感じないことなんかが少しわかったりする。自分に欠けてるものって
わかりづらい。未知の世界。理解できてることだけで成立してるわけでは
ないからそれを思うとなんとも発見の日々なんだけど。
 
なので理解できてないことに目を向けたいとアタマでは考える。
でも理解できてないことはそもそもアタマの中には存在してないのと
同じことなので本人には見えない。「気づくか気づかないか」しかなくて
気づいた途端に見える/聴こえる。
 
世界の様々な情勢や土地や人々と一緒で、知らないものは存在しない
みたいな扱いについついなっちゃうし。
 
でも無理に何かに気づくことはどちらにしてもできない。
急いでも気づくまでは気づけない。無理に気づこうと急ぐと人は
思想の影響を受けちゃう。それは主観が過剰なバランスに思える。
そういうことを楽器を弾いてる人々を見ながら思う。
これは自分自身のことを語ってるのであって他人がどうのという話では
ないのです。念のため。でも他人を通じて自分には如何にいろんなことが

見えていないのか、聴こえていないのか、感じられてないのかについて

思いを巡らせる機会が生じる。それはやはり「鏡」的な役割があったり
するのかなって思ったり。
 
 
でも自分が音楽やってて「鏡としての立ち位置」と書いたのは
べつに他人に何かを気づかせる為みたいなニュアンスではなくて。
 
 
自分がそうありたいと望むと望まざるとに関わらず「そういう役割」
って出来てしまう。それを「関係性」と呼ぶのだと思う。
関係性というのは常に流動的なもので日常の中で様々にそのカタチを
変化させているもの。まるで生き物みたいに表現したのはそれはたぶん
人の生活に根ざした行為の顕われだからなんじゃないかと。
意識しててもしてなくても関係性というのは常に移り変わるし
人は無意識に役割を担ってたりする。それが一定の方向に特化して
くると父親/母親と呼ばれたり友達だったり教師だったり患者だったり。
もしくはプロフェッショナルと呼ばれたりあるいはシンプルに職業と
なったりするのかも。名前がつくというのは関係性のことかな?
 
 
自分がどんな役割を生きてるんだろう?とかって思い始めると
ちょっと自意識過剰になってしまう。無意識のほうが良いというケースが
たくさんある。ように思う。個人的に。
 
 
だから意識的に生きてる人々を見ながらその人の無意識的領域につい
目を向けてしまう。まあ「表」が見えてるわけだからその「裏」にある
何か。その表裏で1つの対なのかな。いやそんな整然としたものではないはず
なのだけど、便宜的にそう考えるとイメージしやすくて。悪い癖。
 
 
でもここでいう「表」というのも誰かから見た「表」であって
それは僕の目に見えてるものとまた別の他人の目に見えてる「表」は
異なって然るべきと思う。人は自分の見たいものしか見えてないし
聴きたいものしか聴こえていないから。
 
だから当然その「裏」だって僕の目に映る「裏」とまた別の他人の目に
映るものとは異なって然るべき。同じでも構わない。でも同じかどうかは
死んでもわからない。これを客観視というんだろう。
 
だから客観視とは主観視の統計学的なイマジネーションだと僕は思ってる。
他人がいないとできないこと。他人を用いて主観視しながらそこに含まれない
ものについて思いを巡らせること。これを「鏡」に喩えてしまうのは
やっぱり鏡とは何かを投影するものだからかな。そんなこと言ったらアート
は全て投影の行為なんだろう。作品が自分の鏡なのか、自分が作品の鏡なのか。
まあ鏡なんだとしたら互いに映し合うわけだから同じことか。
 
 
この「同じこと」ってなんだか怖いですね。
というのはそれを「鏡」に見立てて想像すると鏡を隔てて向こうとこちらに
identicalな世界が見えているような妄想にかられるので。
ムコウとコチラが存在することがなんだか自分を不安にさせる。
なんでかな。この世界には同じものが単純に2つとないからなのかも?
まあこれは妄想なのでどっちでも良いか。脱線。おなじみの。笑
 
 
 
度重なる脱線をしつつ、何が書きたかったのかしらん。
そうそう結局自分の話になっちゃうのだけど、今年も健康に恵まれて
1年ギターを弾いていられたわけだけど、常々「鏡」について思いを
巡らせていたことが他人と演奏したりベースを弾き始めたりしたことで
少し見えて来たような錯覚にとらわれたのかなって。
んー、なんでしょう。何についての考察なんだろ。
結局「意味」なのかなぁ。求めているものは。
 
そんなもの求めていたって向こうから顕われるものだからしかたない。
だとしたらなんだろ。「実感」なのかな。手応えというか。
ついついみんな理由を求めてしまうのは古代の人にはなかった傾向?
でも人って理由がないと不安なんだとは思う。
たいていの人は因果関係でものごとを納得してるはずだから。
そこを疑い出すとユングになっちゃう。
 
 
じゃあこれはそんなことを結論づける為の考察だったのだろか。笑
みんなが不安に生きてるなかで世界に向かって「わー不安です!」と
表現する場なのでしょか。いや、違う。違うですよー。
単純に今年も無事生きてることについてのノスタルジーなのかも。
だって大晦日じゃなかったらきっとこんな独り言なんて徒然なるままに
書いたりしなかったろう。老けたなタカスギケイ。
 
 
きっと僕の肝臓はもっと老けてるに違いない。
来年もマイペースを保ちつつ日々老いますように。できれば少しずつ。
マイペースって他人に嫌われるんだけど。非社会的だから(^_^;
 
 
今年も1年お疲れさまでした。
ありがとう。ありがとう。
 
 
 
 
 
 
 
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2013年

11月

21日

11月20日の夢

 

スーパーマーケットかな。
女の人と小学生くらいの子供と僕。
3人で手をつないで歩き回る。
 
 
無言。
 
 
僕は父親なんだろうな。
子供は真ん中、女性は左側。
2人とも僕の知らない人だ。
 
 
 
果物売り場だった気がするのだけれど
坊主頭のおじさんと小学生くらいの子供。
おじさんは誠実そうだけどさめた顔つき。スーツ。
子供は女の子だったっけ?
それとも僕の子が女の子だったかなぁ。
 
 
 
おじさんが手を引いてたその子と
子供の手を引いてる僕の腕がすれ違いざまに
そっと触れる。おじさんは僕を意識する。
それが僕にはわかる。
 
 
 
そして一度目が覚める。
時計を見る。ぼんやりと布団の中でまどろんで
いるうちに舞台が変わる。
 
 
 
学校の校舎の中にいる。
ある知り合いのサックス吹きと明日にせまった
大きなイベントの最終的な仕上げと打ち合わせ。
 
 
みんなが既に帰宅してしんとした校舎。
他に誰もいないような。
 
 
バス(電車かな?)に乗って移動。
どこかの山の上の方にある駅で降りる。
高い場所。一軒家かな。
その中で打ち合わせの続き。
 
 
狭い部屋。横長のデスク。目の前にデスクトップPC。
サックスの彼と並んで座る。僕が左側。
少しだけあった会話はもう記憶の海にのまれてしまった。
終始おだやかな雰囲気でダラダラとそこにいる。
 
 
時間が経過して外に出る。
歩道橋のような階段を降りたところに若者達がたむろ。
ハンバーガー屋が見える。ジャンプして降りる。
若者達は外に。たくさんいるのに静かだ。
 
 
彼らを尻目に店に入る。コーヒーをのもうと思う。
店員に話しかけられる前に連れのサックス吹きに
「タバコは吸うんだっけ?」と尋ねる。
 
 
 
 
 
そこで目が覚める。
 
 
 
 
 
なんのストーリー性もない面白みに欠けた夢。
ただ象徴性の高い夢を観たときに感じるような実感。
 
 
 
僕は旦那でもないしデスクトップPCも持ってない。
子供達には顔も名前もない。
高いところへ上がる。そして階段を降りる。
人はいっぱい出て来たけど現実世界で知ってるのは
ひとりだけだった。そのひとりにしても夢の世界では
象徴として機能したり。
 
僕は僕自身としてそこに存在していたから
比較的 無意識よりではない浅い位置にいたような気がする。
 
 
 
とにかくそれが11月20日の夢。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2013年

10月

07日

箱庭。もしくは長めのひとりごと。

また朝になってしまった。

眠り損ねた。仕方ないからコーヒーを淹れたりして。
 
周りの身近な人々が最近また煙草を吸うようになって
たまに煙草のことを考える。けどやめとく。
もっと体調が悪くなったらまた始めればいい。
今はまだ健康すぎる。
 
 
 
言葉にするのもどうにも億劫で、あまり書かなくなってきた。
何年も前にTVを全く見なくなったのと同じ理由だろか。
以前はいくらでも書けた。変換機能が変わってきたのかもしれない。
 
 
いろんなことを別のカタチに置き換えて、例えば言葉に、絵に
音に、造形なんかに置き換えるわけだけど、これまでは
随分と言葉に依存してきた。いや依存できてた。
今は「億劫」だ。
 
 
 
最近、最後に大量の文章を書いたのはいつだったかな。
そうだ、つい先日。夢を書き留めた時。
ときどき象徴的な夢を見るのでそれをメモしておく。
メモなので余計な肉付けはしない。かわりに描写をとにかく
徹底的にする。その描写になにか意味があるかというと特に
なにもない。けど寝てる間も生きてるわけだから夢を記録する
というのは無意識の日記みたいなものだろう。
日々の日記はつけられないくせに何か興味深い夢をみると
ついつい。
 
 
象徴的な夢でも見ない限りまとまった文章を書くという
欲求が起こらなくなってしまったんだね。きっと今は
言葉に変換する必要がないんだろうと勝手に解釈。
 
もしくは変換機が故障しちゃったのかも。
TVが映らなくなるように。それまでにあった機能が止まる。
それを故障と呼んでいいのかはわからない。壊れたという
のはあまりにも一面的過ぎるような気もするものね。
 
 
もしかしたらそれは次の何かに移り変わろうとする
過程なのかもしれない。じゃあ次の何かっていったい何だろう?
 
いや、これは一見「次の何か」にみえるただの「堂々巡り」なのかも。
というのが今 一瞬アタマに浮かんだ。
思い直してみたら堂々巡りというのはそれほど悪くない。
堂々巡りとは無変化のことではなくて。
 
 
ていうか、変化と無変化に価値の差異を求めるのもちょっと
乱暴な話だからこの考察はここでおしまい。
人というのは放っておいても変化しちゃうし、変化しないでは
いられないのが生き物の基本設定ですもの。ね。
 
 
さて箱庭の話。
と言ってもドラ・カルフが考案したような目的性のあるもの
ではなくて。とはいえ無目的というものでもない。
本質的には同じなのかしらん。
 
 
でも実際にハコを用意してそこに砂や水を敷いて人や動物や
建物を配置するようなことは・・・さすがにしない。
場所をとるし、素材を集めるのも手間がかかる。
かわりにと言ってはアレだけどエフェクターボードなんじゃないかなと。
ペダルに依存してる気の毒な人ならみんな陥ることではあるけれど。
 
 
とにかく頻繁に並べ換える。
そういった抗い難い衝動にかられる。並べ替えないわけには
いかないわけです。それがライブの1時間前だったりすると
「あーあ。やっちまった・・」と思う。でもそういう何か大事な用事の
直前とかにこの衝動を抱えるハメになる。
 
これをスイスのポストユンギアンの間では「エフェクトペダル
症候群」と呼んでギタリストの患者だけでも数万人を超えると
言われている。はずもなく。
 
依存の対象が移り変わる。機材の並べ替え、繋ぐ順列組み合わせに対する
依存というのは条件が揃ってしまうとある種のループが始まる。
「堂々巡り的箱庭ループ症候群」とつい先日 学会で発表されたばかり。
・・という嘘の情報が飛び交っている今日この頃。
実際のところペダル依存症とかループ依存症とかはまだ認知されてない
ただの時代の産物なのです。
 
 
でもそんなエフェ症の人も結局は生活環境にも依存するので
都内で電車移動ばかりの日々のしがない貧乏ミュージシャンは
やはり荷物を軽くしたいのですね。僕なんて機材担いで歩くように
なってからというもの身長が2cmくらい縮んだような錯覚さえある。
重力とその影響を受けた歳月を考えると何も起こらないわけが
ないとさえ思う。でも悲しいかな生き物は絶えず変化し続けてるので
機材抱えた移動に受けた影響は立証されず日々の生活に埋もれていく
隠れた事実となってしまう。あとには頭痛だけが残る。
 
 
 
そう、箱庭についてだった。
箱庭的にボードの中身を並べ替えるというのは何か効果が
あるのかしら。 むーわからない。いや、現実的に演奏面では効果
あるとも言えるし・・・というかもともと演奏面での効果を目的
として並べ替えてたはず。なのに、ふと振り返るとあまりにも
頻繁に自分は並べ替え過ぎるという事実に気づく。
 
 
何の為に??
なにか直面したくない現実から意識を逸らそうと無意識に
逃げてるのかしら。それともこのような別の何かに置き換えないと
いけないような見えない感情の波が底の方で流れてるのかなあ。
もしくは癒されるのだろか。並べ替えると?
もちろん明確な答えなんてない。明確にする理由もない。
ただ現時点ではこういうカタチでの依存傾向が見られるなと。
 
 
欲求というよりは衝動の話。
衝動のあとに欲求が高まるのですか?
衝動の発端はともかく、自分のボードがこのようになかなか
安定しない分だけ自分は安定してるような気もする。
もしくは逆にボードの不安定と比例して不安定してるとも。
 
 
少なくとも自分の意識を現実社会につなぎ止めておく為の装置
みたいな役割を陰ながら果たしてくれてるような気もする。
なかなかケナゲな存在だ。
 
 
んー、ボードの配列のように文がまとまらないな。
 
とにかく何を書きたかったというと、今まさにボードの中身をまた
並べかえてるところだっていうことなんですね。
なにやら某メーカーのちょっと高いボードを楽器屋の口車に
乗せられて(嘘です。ごめんなさい)使っていたのだけど、ある日
突然、本当に衝動的に分解してしまう。ペダルを1つ引きはがすと
それがトリガーとなって全てを引きはがさずにいられなくなって。
 
 
先週はダイソーに行って¥100で買ったまな板にペダルを並べて
みた。シンプルなのが好きなのです。それでしばし満足してたのも
束の間、またベリベリと最初の1つを引きはがしてしまい。。。
 
それで今度は休みの日にふと思い立って服を着替えて肩にバッグをかけ
ハンズに行ってウロウロと歩き回り物色し始める始末。
ようやく見つけた塩ビの板を指定したサイズに切ってもらってついでに
ドア用の取手とネジも買ってお金を支払い無表情のまま帰って来た。
2枚の板を1枚に張り合わせ、マジックテープのメスを貼り、
そこにペダルをレイアウト通りに並べて貼付けてケーブル類を繋ぎ、
最後にドア用の取手を端っこに取り付けて・・・その翌日にまた分解。
 
 
繰り返す。繰り返す行為は何かと向き合いきれてないからだと
昔のブログに書いた気がする。でも繰り返しが悪いわけじゃない。
ヒトは繰り返す生き物だから。でも繰り返してることに気づいたら、
それはもう次のステップに足を踏み入れてるのかも。
 
次のステップって一体なんだ???
 
 
ふむ。眠れない日はこういうことになるからどうもいけないな。
 
 
 
 
 
 
分解される前のダイソーの¥100まな板ボード
分解される前のダイソーの¥100まな板ボード
DCケーブルをまとめる前にまた分解
DCケーブルをまとめる前にまた分解
その最中に指を切ったり(切ると血がでる)
その最中に指を切ったり(切ると血がでる)
そしてまた分解。。
そしてまた分解。。
そうこうしてるうちにShin'sのペダルが調子悪くなったので修理に。現時点では坂ノ下さんにもらったyamahaの◎
そうこうしてるうちにShin'sのペダルが調子悪くなったので修理に。現時点では坂ノ下さんにもらったyamahaの◎
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2013年

7月

21日

Khat 1st album

ジャケ裏
ジャケ裏

すっかりブログを書かない人になってしまった。

世の中の流れと関係してるのかまとまった文字数を打つような行為が減った。

知人とのメールのやりとりなんかは相変わらず長文なんだけど。

そんなこんなで時間ばかりが過ぎてしまった。

でも何もしていなかったわけではない。前回のブログから今までの間に

記録されなかった様々な出来事があった。それは記録されていないだけだ。

 

 

そうそう、記録といえば。

大樹さんと足繁くスタジオに集まってはエンジニアの伊三野さんと3人で

Khatというユニットの録音/記録をしていた。

レコード=記録だ。

時間に相当ルーズな僕と、時間にかなり正確な大樹さん。

いつも遅刻して謝ってばかりいるのはもちろん僕。

もう言い訳を考えるのにも飽きてしまった。遅刻は遅刻だ。うん。

 

 

Khatのレコーディングは滑り出しは概ね順調に。こんな楽しいレコーディング

は生まれて初めてだ!という興奮のもとにスタートし、途中からだんだんと

霧が出て来て視界が遮られ、混乱と混沌の渦に巻き込まれて終焉を迎えた。

 

つまり世間一般の録音作業となんの変わりもないプロセスを通り抜けたという話。

ただ世間一般と違うところがあるとすれば、そこにはプリプロというものが

なかったし、録音するための楽曲というものがひとつも存在しなかったこと。

 

 

そこはやはり大樹さんと僕だから。

楽観的に何も考えずにギターだけ持ってスタジオに来たはいいけれど

さて何を録るのか2人とも準備していない。準備をする、という発想がまず

なかったというのが事実だ。Khatはよく即興をする人達だと思われているのかも

しれないけれど、事実はちょっと違う。楽曲というものを何も準備しないだけの

結果なのです。僕は純粋な即興音楽なんて信じてないし、大樹さんはそういった

諸々のことは言葉では考えてない。でも前もって何も準備をしないからどうしても

即興的な要素が多く含まれてしまう。

 

 

さてそんなルーズさと呑気さが売り(?)の人達の録音もようやく終わりを迎えつつ

あるわけです。出来不出来はともかくとして合計CD3枚分のテイクが録れた。

中には1曲53分だったり。でも長いのはやっぱ聞き返すのも長いので途中から

諦めた。

 

 

滑り出しが好調だったと上述したように最初の2曲はあっと言う間に出来た。

録音が始まってから作曲行為に及ぶというのは意外と時間がかからないものなの

かもしれない?と期待したのはそこまでだった。

 

 

世の即興性を重んじる演奏家が往々にしてそうであるように、我々もまた自分達で

自分達の出す音に飽きてきてしまう。自己否定が始まる。奇をてらい始める。

でもそれはあまり良い結果を生まない。・・・ので僕ら2人共もういい歳の大人だし

自分達の持ってるものの少なさをさっさと認識し受容して今度はどんどん禅の道

的な地味なる方向にてくてくと歩いていってしまう。

会話というものはほとんど、ない。

やる気はあるけど諦めがいい。

 

 

人って歳を重ねるほどにどんどん「普通」になっていくでしょう。

それは若い頃に見えなかった物事の良さや旨味を少しずつ理解してくるから

本当にバランスよく美味しいものは「普通」なんだというふうになってくる。

もちろんこれは偏ったものが良くない、と言いたいのではなくて。

単純に人が成熟してくると瑣末な普通のものごとこそがスリリングであり

深い滋養を持ってるということが感じ取れるようになるという図式。

だから昔聴いてた音源や10代の頃に読んでた思想書が今読むと全然違って

感じられたりするわけで。若い頃はやはり表層に影響を受けるから。

 

 

ところでこの「普通」という表現は「中庸」と同じ意味なのかな?

違う、と僕は思ってるのだけれど。じゃあ何が違うのか。

それは多分この場合における普通という表現が上下左右のダイナミクス

がより広域に設定されてるように感じられることなのではなかろうか。

んー、どうでもいいかそんな話。

 

 

 

そうそう、録音。

そろそろ終わるのです。

今回はいつも写真を撮ってくれる山口稔氏にジャケット表/裏の両面を

お願いした。いろいろと話し合って決めようと思っていたけれど

途中からほぼ氏にお任せするカタチにした。写真家の世界観がこのジャケット

に出てるならそれで良い。少なくともそれは僕と大樹さんの共通認識だった。

他人と関わって作ることの良さはやっぱり物事がハイブリッドになること。

特定のひとりに帰属しないことなんじゃないかなー。

そうやって作品が作品としてさっさと独立して歩いていってくれるのが理想的。

 

 

1枚目のアルバムというのは一生に1枚しか作れないんだよ、と先日のラジオ

番組でえこが僕らに何気なく話してたのを聞いて「なるほど そうかもな」と

思った。もちろん2枚目だって3枚目だって厳密に考えたら一生に1枚なんだけど

ファーストというのはなかなか象徴的なものなんだよね。

僕は個人的にBill Frisellの1stやPat Methenyの1stに影響受けたし。

Radioheadの1stは当時イマイチに感じたからそういう特別になりえないものも

もちろんあるんだけど、作った本人にしてみたら最初の1枚というのは

2枚目以降とは明らかに違った存在になるし、ならざるをえない。

 

 

そういう意味で捉えると今回のレコーディングを通して、会話こそ少なかった

ものの(笑)、なかなか現時点での自分達を割と的確に切り取っている地味で

オリジナルな作品に仕上がったのではないかと思います。

 

 

一応CDを作るということでシンプルながらサイトも用意してみたりして。

まあ無口なユニットなのでブログもないしツイートもしないし。それは僕が

個人的に時々するくらいでいいかなと。

あとはライブスケジュールを載せるくらいで。もっとも自分達で不定期ユニット

と呼んでるくらいだからそんな頻繁に活動したりもしてないですけど。

まあこんな感じ↓

 

            Khat website

 

 

 

ASIA SunRiseとして大きな声で歌う大樹さんの静かな側面のそのまた一部

として、まあいわば影ですね。人にはひとつは必ず影が必要だから。

その影に対して合わせ鏡をしてるような行為の記録です。

 

 

 

 

**************  *****************  **************

 

 

Khatのライブは7.26に京都UrBANGUILDにて。

以下、FBより抜粋:

 

 

前回たくさんのお客様にお越しいただき
好評のうちに終ったイヴェントーKHATー

その第2回目を催します!

*東京からkhat(畑崎大樹+タカスギケイ)のナイーヴな音を迎え
 仙石彬人のヴィジュアルアートと共にご覧いただきます。
*今回は共演に東京月桃三味線
*フランスからieva
 どちらも必見!必聴!

 

 

OPEN 19:00 /START 19:30
Charge : adv. 2500yen + 1drink / door. 3000yen + 1drink
【別途ドリンク代 500円要】

Charge+1000yen: with Dinner plate(24日までのご予約のみ)

*今回、UrBANGILD特製ディナープレート付きチケットもご用意しています。

通常はUr食堂の日にしか食べられないディナープレートを、

特別に提供していただけることになりました。

それというのも、前回かなりのお客様にディナープレートのお問い合わせを

いただいため。そう、Ur食堂のディナープレートって本当に美味しいんです!
この機会にぜひ味わってみて下さい。

at UrBANGUILD, Kyoto
http://www.urbanguild.net/

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2013年

4月

29日

4月になれば。

2日間ほどMacから離れようと思った。  

 

 

しばらく顔を見ていない店のマスターのところに顔出してビールを1杯

飲んでこようと思い立ち早起きしていろんな雑用をすませ電車に乗った。

本当は高速バスで行きたかったけれど大型連休前日だったので渋滞を恐れたのだ。

ゆっくり本でも読もうと思って買ったばかりのある自伝的なものを片手に

電車のシートに腰掛ける。この本は出た当初から興味があったけれど

大樹さんとのレコーディングを控えて何か面白い啓示を得られるのではと

購入してみた。限られた時間の制約の中でこれまでと違ったことをやろうとするのに

何かしらの心理的作用というかモチベーションが欲しかったのかも。  

 

 

 

店は静岡にある。

その店主は最後に会ったとき随分と体調を悪そうにしていたから

知人のシンガーにメールした。「まだやってるのかな?」 

 

夕方4時半に駅に着いてぶらぶらと歩く。こういうのって睡眠と似てる。

特に何かを集中して行うわけでもないのにちゃんと自分の内面に影響する。

普段と違う空気の中を散歩するだけでかなり整理されたり。

効率の悪いことって概ね効率的だ。 

 

繁華街(今ではもうかなり閑散としていたけれど)の角を曲がろうとしたところで

知り合いのドラマーにばったり会う。こんな早い時間に街を歩いてるなんて珍しい。

時刻はそろそろ5時になろうとしていた。 
このあたりを歩いている理由を説明すると店まだ開いてないだろと笑われる。

それもそうだなと思いつつ先輩ドラマーに手を振りもう少し散歩。思ったより寒い。 

 

 

しばらくうろうろしていたのだけど気がついたら店の前に来てしまった。

ちょうど店主が暖簾をかけに外へ出てきたところだった。

表のライトを点けてるところへ声をかける。開店前に着いたことを詫びつつ

中に入れてもらう。仕込み前の店内でカウンターの端っこに座らせてもらって

店主が掃除をするのを眺める。何か手伝おうか尋ねたけれどもちろんそんなこと

やらせてくれない。  掃除のあと温かいおしぼりを受け取りビールを注文する。

大瓶だ。いつもの習慣で店主に1杯勧めてみたけれど彼は穏やかにそれを断った。 

 

 

 

ぽつぽつと会話になってないような会話をしつつカウンターの椅子に深く腰掛けて

ぼんやりする。毎日ぼんやりと生きてるのだけどここでは特にぼんやりするのだ。

古い音楽が流れてる。色褪せたレコードジャケットが老朽化した壁と同じくらい

汚く劣化して何枚も並んでる。

それらをぼんやりを見上げながら煙草でも吸いたい気分になったけれどあいにく

もうやめて長いので持ってない。いろいろと回想してるうちにひとりの年配客が入ってきた。

常連らしく店主と馴れ馴れしく話す。

「北朝鮮、なかなか撃たねえなぁ」「つまんないねえ、楽しみにしてるんだけどねえ」 

70前後のふたりの不謹慎な会話を聞きつつビールを飲み終えて出てきた。

本当に1本だけしか飲まないつもりでいた。

いつの間にか薄暗くなっていた外に出てまた駅までゆっくり歩く。  

 

 

さて。録音どうしようかな。

アルバムのタイトルだけは思いついたんだけど。

 

 

 

 

4月もそろそろ終わる。

 

 

 

 

 

 

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2013年

2月

03日

"khat"

1月が終わった。

 

 

長いこと僕は歌の無い世界でギターを弾いてきて、と書くと

無駄にカッコ良く聴こえるけれどまあでもとにかくそういうのが好きで

数年前まで歌をうたう人との関わりが少ないほうだったのだけど

何年か前にムーンカンパニーの谷津氏を通じて畑崎大樹さんと

知り合った。

 

出会った当初は緊張して(笑)ギグの前に自分のギターに1本しか

弦が張られていない夢を見たりした。びびりなのだ。

 

 

それで何年か関わってるうちに会えば1曲、2曲と混ぜてもらう

ようになって現在では不定期的に何か一緒にやらせてもらうように。

 

 

とはいえ畑崎大樹さんにはASIA SunRiseという顔があり

僕とは違ってそうそうスベるわけにはいかない立場にいる人だと

僕は認識してる。そういう人が僕みたいに自分でも何をやろうと

しているのかわからないような迷子系ギタリストとたまに会っては

一緒に迷子になろうとするのは不思議な気がした。最初は。

 

 

でもよくよく考えたら僕自身もいつからか迷子になるべく道を

外れてきちゃったような気がする(いや、大樹さんも道を外れて

しまったという意味ではなく)。僕の影は僕自身の為になのか

知らず知らずに境界線の向こう側を歩きたがる。傾向かな。

何故か不完全なものに惹かれて、一部の隙もなく構築されたものより

どこか頼りない要素のあるものに魅力を感じてあらぬ方向へてくてく

歩いてるうちに気がついたらこの辺りにいて。徘徊系。

 

 

そういえば子供の頃に僕は寝ていて夜中に歩いて勝手に出て行った

という話を親から聞いたことがあるけれどあれは本当だろうか?
未だに信じ難いのだけれど。夢遊病と書くと聞こえは悪いけど

睡眠が深いんだと思うとそんなに悪くない気もしたりして。さて。

 

 

 

1月は京都に行った。khatで。

Sonomiさんという方の企画ライブだ。
僕はそれまでにSonomiさんと1度だけ会ったことがあった。

数年前にASIA SunRiseの前座で静岡で弾いたとき。

思えばこれも谷津さんからの仕事だ。

 

 

ライブが終わって話しかけてきてくれた人がいて。

確かBrian Enoについて短い言葉を交わした。

それがSonomiさん。

 

 

それから年月は流れてどういった経緯で再び繋がったのか

メッセージのやりとりをするうちに京都UrBANGUILDという

お店のことを聞いて。僕がやってるようなスタイルに合うのでは

とお店や演奏家を紹介してくれて。興味深く聞いてるうちに

ライブを企画することに決心してくれて。

 

 

Sonomiさんがもともと絵描きだったことはその頃に初めて

知った。僕は絵描きが好きなのでふんふんと目を輝かせて

話を聞いてるうちに素晴らしいフライヤーの下地になる絵を

描きあげてきた。僕のと大樹さんのギター2本にkhatの葉っぱ

があしらえてある。それが立派なフライヤーになって東京から

のお客さんを京都にまで足を運ばせるほど力のあるものに。

 

 

 

それで本当に実現しちゃった。

本人は相当なプレッシャーの中でこのイベントを進めてきた

と思う。普通ならビビって誰も手を出さないような企画を

精神力と気合いと気持ちで実現させ見事乗り切ってしまった。

臆病者の僕には到底なしえない偉業なのでただただ敬服。尊敬。

僕としてはそんな一個人の大きな決断にこんな親密なカタチで

関わることができたことが素直に嬉しかった。

 

 

僕なんていてもいなくても大して役にも立たないのだけど

なにしろ今回は大樹さんがいてくれたからライブもうまくいって

その場にいたみんなが幸せに感じるような夜になった。

ライブっていうのはほんと弾く側だけでなくてお客さんやお店の

方々と一緒に作り上げる空間だから生き物のようで実に興味深い。

僕は今まで大樹さんがいろんな場所で様々な奇跡を起こすところを

目撃してきたので(けっして誇張ではなく)彼の持つライブでの

人間力みたいなものを心底信頼してる。

 

 

ライブについてはSonomiさんがFacebookに書いてくれていた

のでそちらがより臨場感のある文章だと思う。

ので詳しくはそちらで。

 

 

ではでは今回深いやりとりを何度もしてくれたSonomiさん、

khatのおひさまである大樹さん。本当に感謝です。

大樹さんは今回トライアスロンのような車での往復を僕を気遣い

自分ひとりで運転して、ライブもやって体調ちょっと崩してた

はずなのに凄い精神力だった。タフな男だ。

 

視覚芸術で今回の主役のひとりでもありSonomiさんの心強い

サポート役までこなしていたTimePaintingの仙石彬人さん。

素晴らしかったなあ。また是非コラボしたいです。

K-TAROさんとHatchさんは完全に生音で有機的な空間だった。

仙石さんのTimePaintingと歩き回るK-TAROさんのsaxとそれを

支えるHatchさんのガットギターが不思議な融合を見せていた。

良い意味で。

 

中川裕貴さんのチェロとエフェクトは個人的にとても興味深かった。

他で見た事ない。3人編成でも意識的に構築されたインタラクティブ

なバランスが良くて。

 

今回のライブが実現したお店UrBANGUILDさんは店に一歩足を

踏み入れた瞬間に思わず「おぉー」と唸ってしまうほど趣のある

スペースで。大樹さんと口々にその空間の良さを絶賛しながら

帰ってきたくらい何か雰囲気の特殊な場所だった。

お店のRyotaroさんとスタッフの方々、PAの方(名前が〜)。

素晴らしかったです。

 

もちろん来てくれたお客さん。もちろんですね。

その場にいたみなさんに感謝しつつまたこの先も繋がっていくと

良いなと思ってます。ありがとうございました◎

 

 

khatは本日2/3に下北沢BigMouth、3/20に新高円寺StaxFredにて

またゆるゆると弾いています。

 

 

 

 

 

 

 

*ライブ前半の部分の映像を。仙石彬人さんのTimePaintingの様子を見せたくて

今回はカットしないで載っけてみます。いずれにしてもライブ映像というのは

その場で感じるのとは全く別モノになってしまうので映像で表層だけしか伝わらない

のは悲しいのだけど、これら映像はSonomiさんへの記念に:

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2012年

12月

27日

12月と感情と記憶

ぐっすり眠った。

熱いコーヒーを淹れてほんの少しのグラノーラにヨーグルトをかけただけの

いつもの朝食。お腹なんてすいてないけどモノを噛む触感で少し目が覚める。

朝食は昼食のためのサウンドチェックみたいな感じだ。さて。

 

 

滅多にCDとか買わないけれど珍しく買ってしまったAlva Notoの古い音源を

聴きながらとうとうブログに手をつけることにする。ここしばらくの間、

全く何かを書き記したい気持ちにはなれなくて。これもあのtwitterやfacebook

のちょっとずつ言葉を放流させる日常によって無意識の言葉の蓄積解除をして

しまってるに違いないとか適当に思い込むことにする。

 

 

それにもうそろそろいい歳なので言葉に変換する率が下がってきたかもね。

肉を食べる率より野菜を食べる率が増えたのと比例してる?
いや、それは比例したとしても連動はしていない。むしろ質の問題かと。 

 

 

ともかく12月だ。今年はこれでもうおしまい。12ヶ月前には今年の抱負の

ようなものを密かに想った。想像以上にスピーディーな12ヶ月だったけれど

誓った抱負の30%も意識的には実現できなかった。しかしながら結果としては

予想以上にその抱負の達成率を実感するものとなった。いや、達成はしていない。

けれどそれを実現するだけの意志の強さを発揮はできなかったものの、無意識

の在りようとそれによって自分を依存させた環境による結果としてある程度の成果を

おさめたと言える。というわけで今年は痛み分け。相変わらず意志力/行動力の

数値は低いけれど、実現力/達成力の比率は上がってる。来年はこのあたりを

もう少し弄っていくんだろうな。人間、がむしゃらな行動だけが推進力じゃない。

けれど目に見えない行動ばかりしていても結局自分でも不思議な気持ちになる。

「なにもしないことの強さ」の理屈は頭では理解していてもやはり行動が少ないと

不安になったり。まあだからこそ「強さ」と言えるのか。

「なにもしないこと」というのは「本当になにもしないこと」とは違うから。

 

 

 

脳の中に海馬という部分がある。人の小指くらいの大きさかな。

ここでたぶん記憶というのが要/不要とに分類されて蓄積されていくのだけど

まあ言い換えれば新たな記憶が作られていくところなわけだけども、人の脳って

すごく良くできていてこちらが意識しなくても勝手にものごとを整合性を持って

繋ぎ合わせていくものなので、実際には起こっていないことや思っていないことを

あたかもそうであったかみたいに思い込ませることに長けている。

それで正常なんだけど、自分が歳を重ねるごとに騙されないようになってくる。

あるいは騙してる自分の脳(無意識)に気づいてしまうときがたまにある。

そもそも人の脳って完全に主観的にできてるから基本的に「思い込み」の激しい

存在なんだけど、じゃあそれに疑いを持って時に騙されてると知りながらそのまま

放置したり、時に騙されないように新たな仮説を逆にインプットして脳に刷り込

ませてみたり。

 

 

個人的にはこの「仮説の立て方」のことを「客観性」だと考えている。

この仮説がいく通りも挙げられることが他人を理解しようとするときの手助けに

なることが多いと勝手に「思い込んで」る(笑) 主観的に。

ただ、これをすると他人に対して全肯定の態度をとることになってしまう。

そればかりしていると「お前に意志はないのか?」と他者から疑われる。

自分を疑って他人ばかり肯定してると他人から疑われることもある。ふむ。

 

 

他人なんて理解できないものなので理解しようとするだけでしょう。

それには客観性という仮説を利用するとそれまで自分の主観でしか想像できなかった

ことを別のカタチに置き換えてイメージしやすくなる、ということだと思う。

つまり「置き換え作業」なんだね。それは作詞や作曲とも似ているし、あらゆる

アート活動と酷似したことに思える。もちろんそれを意識しながらにして全く作れない

人もいるし(僕のことだ)、そんなこと考えもせずにものすごく効果的な結果を出す人も

いるんだけど。

 

 

 

ところで直感というのはどこにその発言権があるんだったかしら?

脳だとしたら意識に近い地域の無意識の領域? だってあまりにも深層における無意識の

領域のものだとしたら認識力は下がるんじゃないかと想像するのだけれど。

認識力の低い直感なんて、説得力のない国家政策みたいなもので誰もついて来ないのでは?

そうではなくて直感というのは何かしら意識に対してうったえかけてくると認識される

ものだよね。でも意識上にはないのでそれは直感と呼ばれてる、と考えると無意識との

交通こそが直感の存在意義になるのだろか。所謂「神の声」だ。

てゆうか「直感の存在」という事自体がまず形而上の話であって、じゃあ直感の不在を証明

してみろと言われると困るんだな。「普段の僕の状態です」と答えるしかない。

これでは一神教の信者に向かって「じゃあ神の存在を証明してみろ」という議論と

変わりない。でもかといって「神とは仮説の思想化されたコンセプトです」なんて言おう

ものならジョンレノンみたいな目に合うかもしれない。僕のところに頻繁にやってくる

宗教勧誘の方には言えない。すごいんだから。集合住宅であるウチのアパートにおいて

僕のところだけにしか来ないんだ。僕が話を聴くからだけれども。

でも録音中にノックをするのはやめて欲しいな。話は聴くから。

 

 

 

で主観と客観の話にもどると「客観」というのはある種の形而上的な「仮説」なんだと。

主観はとりもなおさず個人個人の在りようなわけで。他人の痛みなんて絶対に理解できない

ということは「客観は存在しない」と言えることともつながってくる。それはそれでいい。

けれど客観を仮説として脳に刷り込ませていけるという人は僕はなかなか重層的な思考を

する人だなーと感心させられることになる。それによって他者との更なる交通が生じる。

これを「繋がる」と言うんだね。人は無意識的に既にそういうことを日常行っているけど

中には意識的に無意識を変革させながら生きてる人がちらほらいたりして、そういう人に

会うと自由だなーと感じる。いや、実際には自由じゃないだろうし、見かけほどには

自然体でもないんだろうけれど。でもあまりにもその逆にいるような立場の人々が辛そうに

してるのを見ると余計に目立ってしまう。良い悪いは別にして。

 

 

ちなみに上述した宗教勧誘の方々はそういうこちらからの話は全く聞く耳を持ってくれない。

自分が伝える為に持って来た話をとにかく相手の質問や意見を一切無視して話続けるので

こちらはコミュニケートしてる感じがしない。せっかくこちらが扉を開いているのに

勧誘の方々が開いてくれてない。それでは営業マンにはなれないだろう。

どちらかというとこちらが彼ら彼女らの悩みを聴いてあげてる立場なんじゃないかという

気分になってくる。でも立場は逆転してる。僕は自宅にいる暇な迷える子羊で、世界がどれだけ

おかしなことになっているかにまだ気づかない気の毒な存在。そんな僕に救いの説法をして

くれているのだ。

 

 

おそらく実際にその通りなんだろう。

僕は自宅にいる暇な子羊で未だ世界の変容に気づかずにのほほんと生きている。

 

 

でももし僕が危機感を持って忙しくいろんな場所を飛び回っていたら彼らの話し相手は

ひとり減ってしまう。それは彼らにとって幸福なことなのか。それともどちらでもいいこと?

彼らにとっての幸福はそこではないのかもしれない。でももしそこではないのだとしたら

僕一人の為に何も忙しい日常の合間を縫って説得しに来る必然性が下がってしまう。

やはりそれは彼らにとって幸福なことでなくてはいけない。必然性の為にも。

だって1人でも多くの他人を救いたいんでしょう。主観的に。なのに僕の部屋しかノック

しないのは僕が話を聴く姿勢を持ってるからだと推測してるのだけれど。

 

 

いや、もしそれが「神の声」という客観から発せられたものだとして、彼らがそれを

本当に理解しているのだとしたら? 

 

 

やはりいずれにしても僕が暇であることは認めざるをえない。

彼らは僕がこうして考察する時間をも惜しんで説法するために日々歩き回ってるのだ。

つまり価値の置き方が違ってる。価値の分母同士を同数にしないでシンプルな足し算/

引き算をしても答えは一定化しない。では一定化することは必要なのか?

答えはひとつでなくてはならないのか?

この点において一神教の方々は非常に強い。善し悪しに関わらず揺るがない。

 

 

そうなってくると主観を突き詰めた先に客観をも含んだ「信仰」があるのかなとか

想像したり。でも信仰と言えば僕なんて例えば音楽をこれほどまでに信仰してるので

その依存度たるや半端じゃない。ほとんど人生のいろんな可能性を棒に振ってこの

信仰活動に重点を置いた生活をしてる。それが僕にとってのバランスの取り方だから

仕方ないのだけど、幸い音楽は一神教的な存在ではないので対立しない。したがって

戦争に発展しない。戦争も音楽も広い意味ではビジネスだけれど、個人的な音楽は

存在しても個人的な戦争は存在しないと僕は信じてる。

今の世の中の戦争の本質というのは基本は宗教戦争でしょう?(北朝鮮はともかく)

 

 

他者を巻き込まないといけないのはビジネスだからだとも時に思う。

信者が増えれば。

ファンが増えれば。

投票数が多ければ。

多くの戦死者を出せば。

世界全体を救うをことを大義名分とするのか、個人個人が救われることに

着目するか、地球規模での総合生態系バランスなのか。

 

 

でもライブ告知したりライブに勧誘したりする様はどこかの一神教信者の

行動とさして変わりない。僕と彼らとは同じなんだ。

違うのは思想ではなく立場なんじゃないかなー。

 

 

だから相手の立場を客観的仮説として深く考慮できないことの方が

主義の違いを議論するより問題な気がする。誰が何を信じてたって良いはずだ。

思想や主義の違いで戦うのは現実的な生活における利害のようなものがもはや人々を

がんじがらめにしてるからでしょう。一緒に暮らしてるから。

で、結局のところ戦うかルール作りをし直すか、もしくはルール作りをし直す為に

戦うのか。誰かがどうにかしないといけないと国民全員が立上がったとして(そんなことは

まずないけれど)じゃあそれが果たして出来ることというのは突き詰めると一神教的対立を

生むようなことに近いんじゃないだろか。だって考え方をひとつに統一するのは難しい。

それでどちらか片方が強くなり過ぎると弱い側というのはテロリズムを起こす以外に

打開策はないんじゃないかと考え始めたり。

 

 

じゃあ同じような図式だからそのまま放置しておけと思うのか? むー。

 (シンプルな図式化でごめんなさい)

 

 

なかなか難しいですね。

もし人間の脳から海馬というものがなくなって、せいぜい5分程度の記憶しか

残らないとしたら・・・それはもはや人間ではなくなってしまうのか。

少なくとも今まで通りの社会生活は全く機能しなくなってしまう。

 

人間=アートであり、人間=信仰であり、人間=戦争なんだというのは過去の

データからわかってきたことかもしれない。

 

夢というのは実にいろんなことを経験させてくれてそれでいて時には真実味が

あって良いなと常々思っているのだけれど。非社会的に。極めて個人的に。

つまりある種の経験則は人に対してそれなりの効果がある。

未経験の人に何かを伝えるにはやはり置き換え作業が力を発揮する。

ストレート過ぎるメッセージでは時に言葉ばかりが肥大し過ぎるかもしれない。

その代わり表層的な共感を得やすいのかも。同時にその裏に多義的で複合的に様々な

意味合いを含めてしまうところが危険だとも思う。要は扱い方の問題だったり。

 

 

いやあ、話がだいぶそれた。

自分の今年の個人的なことを書こうと思って書き始めたのに。

でも去年との違いをはっきりと感じることのできた年となりました。

些細なことですけど。

 

 

 

今年は新たな試みとして畑崎大樹さんと無意識の交流を図り始めまして。

器の大きな人と特に何かを語り合うでもなくほとんど無言のまま、理想も主義も

ないところで目には見えないものについて互いの意識/無意識を利用しあうという

関係性を楽しんでみようと思います。khatという名前で不定期的にほとんど

無目的にやってます。"khat"という名前はもともと「金縛り」という言葉を検索

してたら出て来た言葉で。いや、金縛りという意味ではなく「それ」を噛み続ける

行為をやめると就寝中に金縛りに遭うことがある、という変な説明文がおかしくて。

だって「噛み続けると」じゃなくて「噛み続けるのをやめると」ってところが

脅迫的で良いじゃないですか。

 

 

1/30に京都Urbanguildで"khat"ライブします。これは勧誘。

京都在住のsonomiさんが素敵な絵を描いてくれた。

同じく京都の素晴らしいtime paintingアーティストである仙石彬人さんが

それをフライヤーに仕上げてくれて。とても嬉しい。緊張しつつ楽しみにしています。

 

 

それでは来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

9月

25日

Bernie Grundman's studio ①

バーニー氏と。
バーニー氏と。
スタジオの前からの風景。
スタジオの前からの風景。

ロスに着いて3日目、今回の音源の作り手であるマイケルとミキシングエンジニアであり同時にプロデューサーの役割も担っていたキタノ氏と共に僕はモスグリーン1色に塗り込められたバーニーグランドマンのスタジオのドアを叩いた。現地時間で朝10時のことだ。マイケルは前もってこの日をマスタリングの日と決めてスタジオを抑えていた。僕はそれに合わせて現地に向かったわけだ。3人で泊まれるハリウッドの安宿を予約して、マイケルはトロント(カナダ)から、僕とキタノ氏は東京からそれぞれ現地で待ち合わせという段取りで。 


僕にとっては実に18年ぶりにこの土地を訪れることになった。19の頃に1年間だけこのエリアに移り住んだ。大学に行く前の年だ。日本でいうと一浪したようなものだろか。当時、ユタから到着した僕は何とも湿気の多いエリアだと嫌悪感を抱いたものだけど、高湿度の東京から来ると信じられないくらい乾燥していた。ただし、気温は日本よりも高くて9月も半ばだというのにその日は100°Fを超えていた。 


さて、バーニーのスタジオについて。 
僕が住んでいた当時からこのスタジオはあったはずだけど、あの頃ペンタトニックスケールも知らない僕がこんな地味なスタジオを知る由もなくいつも近くを歩いていたにも関わらずその存在にもその価値にも無頓着だった。しかもこのスタジオは一見して全くスタジオには見えない。ただのモスグリーン1色で塗りつぶされただけの平屋の建造物だ。誰が何の目的でここを出入りしてるのかなんて建物を観ただけでは皆目見当がつかない。 


中は広々とした造りのとても落ち着くスペースだった。このスタジオの名前になってるバーニーさんという人。まずこの人がマスタリングの権威みたいな存在なのだけど、実を言うと僕はここへ来るまでそんな事実を全く知らなかった。だいたい僕みたいな一介のマイナーなギタリストに縁のある場所ではなかったのだから。そういった事実から考えても純粋にマスタリングというプロセスに立合う為だけに来ていたのだと理解して頂けることと思う。でももちろんそれが目的なのだけど、本当の目的はそれではなかった。変な言い方になるかもしれないけれど、本当の目的は僕自身がそこに出向くことだった。僕が行っても行かなくてもマスタリングは無事終了したはずである。白状すると腰の上がらない自分自身をそこまで運ぶことに価値を置いていたと言えるかもしれない。 


話を戻そう、バーニー氏だ。ここに着いてみて、そこの壁に並ぶ夥しいディスクの数々と写真を見て初めてここの人達がどんな職人集団なのかを少し知った。マイケルジャクソン、プリンス、キャロルキング、ジョニミッチェル、ライクーダー、アラニスモリセット、フーファイターズ、カエターノヴェローゾ、リンゴスター・・・ええと、そんな感じで数百枚ものディスクやら写真やらが飾られていて挙げていくとキリがない。そっかー、これだけいろんなジャンルの人達がここでマスタリングしてきたんだ、と思いながら今回お世話になるクリスベルマン氏を待つ。受付で僕らを担当してくれたアンディくんが美味しいカプチーノを淹れてくれる。結構練習したみたいだ。とっても見栄えが良くほろ苦く美味しかった。 


バーニーもクリスもそれぞれ自分専用のマスタリングの為のコンソールルームみたいな部屋を持っていて、クリス氏の部屋の前にはアラニスモリセットと写る彼の写真が飾られていて、その下には賞状のような紙が。読んでみるとそこにはグラミー受賞とあって、それを見るまでマスタリングでグラミーを穫るなんてことがあるというシンプルな事実さえ知らなかった。しばし感心。 



ほどなくクリスベルマンが現れて我々を中へ招き入れてくれた。赤1色の壁。シンプルに見えるコンソール。不思議と落ち着くスペースだ。このバーニーのスタジオの機材は全て自社製というのがキーワードのようだった。東京にも彼らのスタジオはあるのだけど、ここハリウッドの機材と全く同じモノを使用しており、それどころか建物内部の造りまで全く同じということだった。この辺りはアメリカ人ぽい考え方だなあと思ったけれども。でもこれらの機材のデザインのされ方、取り揃え方、設定のされかたが既にこのスタジオ全体の社風であり社説なんだと思えた。つまりスタジオのカラーは既に一定に保たれている。もちろんエンジニアの個人差はそこに必ず立ち現れるはずなのだけど。 



彼らはバイナル(ビニール盤のレコード)も手がけるとにかくアナログ志向の趣を愛する人々のようで、後にその制作部屋も見学させていただいたけどそれはまた追って書くとして、ともかくそんな趣向と精神が建物全体のデザインと見事にマッチしていて実に心落ち着く環境設定になっている。こんな仕事場に毎日通う自分を想像して彼らを羨ましいと思った。 



作業の内容についても追ってまとめて書くとして、お昼に近くのレストランにクリスも交えてランチに行った。まあランチ休憩だ。真っ昼間のレストランだからか広い店内は薄暗く、人もほとんどいないくらいガラガラにすいていたけれど注文した食事は文句無く美味しかった。クリスおススメのツナサラダをマイケルは食べていたけれど見るからに美味しそうだった。瑞々しい緑の野菜が広く浅い大皿に敷き詰められて、その上にグリルした大きなマグロが焦げ目も鮮やかにどかんと置かれてる。それをほぐしつつドレッシングをかけて食べるわけだ。普段あまり魚を食べないマイケルがクリス氏のおススメということもあって半分無理して食べてる感じが面白かった。 



ランチを食べながら雑談をした。キタノ氏が「いつからこの仕事をしてるんですか?」と質問をする。彼は「1974年」と答えた。僕の生まれた年だ。その年月のあいだに彼の関わったであろう様々な録音物を想像しつついろいろと彼について聞いてみた。そういえば、とマイケルがスタジオに貼ってあったリンゴスターのポスターについて言った、「リンゴのもあなたが?」。 


クリスはリンゴと関わった時の話をしてくれた。クリス本人もビートルズのメンバーと仕事で関われるなんてと半ば緊張していたというけれど、なんとリンゴに至ってはそれが初めてのマスタリングとのことで、そもそもあまりこの行程そのものを理解していなかったとのこと。ずっと退屈そうで「まだ終わらないの?また聴き直すの?これでいいんじゃない?」と言い続けるので彼がスタジオを去ってから慌ててリンゴのマネージャーと細かい調整をやって仕上げた話とか。でもリンゴは次のも既に制作していてそこにはランドウやルカサーが参加するかもということでギタリストとしてはちょっと気になってみたり。なんだか自分ごとで恐縮だけど、歳を重ねるほど職人の仕事というものに魅了されていく僕自身を発見する。彼らの持つ確かな技術、その個性的な仕事の歴史、揺るぎない誇り。エンジニアだろうとギタリストだろうと自分の役割をしっかりと意識してひとつのプロジェクトに関われること。それを何年も何年も続けて生活してるという事実。 


おっとクリスの話を聞いていたところだった。彼はこのスタジオの中、ちょうどコーナーになってるところでジョージハリソンと思い切りぶつかったというエピソードも披露してくれた。いろんな大物と日々関わり続けてるクリスにとってビートルズのメンバーとのエピソードの数々は特に大事にしてる思い出のようだ。 そういう雰囲気が伝わってくる。


それから話はLAに住むということに関心を持ったマイケルの雑談から海の話になり、海岸の話からジムモリソンが住んでいたというビーチの家の値段の話になり、そのまま海つながりで地震と津波の話をした。そんなふうにしてランチを過ごした我々は良く晴れた眩しい道をぶらぶらと歩いてスタジオに戻り作業の後半に突入することになった。10曲入りのアルバムを制作していて午前中までに既に半分の5曲を我々は終えていた。続きはまた次回に。 


我らがクリス氏と。
我らがクリス氏と。
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2012年

8月

31日

°ますたりんぐ。

長い事お手伝いしてきたカナダ人Michael Boustanyの録音とミックスがほぼ完了し、プロセスはようやく終盤にさしかかりつつある。マイケルくんとはシンガーであり作曲家の江崎とし子さんの紹介で知合った。 
なかなかわかりやすいPop/Rock路線を好む彼は僕とは対照的な存在なのだけど、何はともあれ数年前に出会って以来ライブも録音もずっとお手伝いしてきた。1枚目のEPを録音するにあたりbang on recordingのエンジニアである喜多野さんを紹介し、以来この関係性は継続している。 



今回は2枚目というのか、最初のフルアルバムというべきか、とにかくEP的な 趣向ではないものになった。あまりアレンジというものをカッチリと決めない 
マイケルの楽曲に対してエンジニアであり共同プロデューサー的役割の喜多野氏 
がいろいろとアイデアを出しつつ、ほとんどプリプロを作るようにリアルタイムで 
録音は行われていった。 



みんなのスケジュールもありなかなか時間のかかる作業だったけれどとにかく 
やっともうじき終わるのだ。よかったよかった。 
この録音が始まってから彼を取り囲むサポートメンバー内でもいろいろあった。 
いろいろと憂鬱な事情を抱えながらもなんとかカタチになりつつあることについては 
非常に喜ぶべきことだと思う。 




そんなわけでつい先日マスタリングの日程をマイケルが送って来た。 
数週間後に指定されたマスタリング場所はなんとL.A.だった。 




事の経緯を話すと長くなるので簡単に説明すると、冬休みに地元トロントに帰省 
した彼はフェスか何かに出かけ、そこで古い友人とばったり出会う。 
その友人は今ではTV局の人間で、最近著名なエンジニアの特集番組を撮ったばかり 
だという。その特集されたエンジニアの名前はエディークレイマーだったそうだ。 


まあ知ってる人は知ってる。ビートルズだとかジミヘンだとかゼッペリンとかの 
エンジニアを務めた巨匠。きっともっとたくさんの大物アーティストと絡んでるはず 
だけどリストを挙げたらキリがないので。それで「凄いぢゃん!」とマイケルが 
言ったかどうかは定かじゃないけどその友人が「じゃあ電話してみる?」と言って 
その場でケータイからエディに連絡をつけてくれたそうな。で、エディと仲良くなって 
何度か話すうちにマイケルは自分が今録音中だったことをふと思い出したんだね。 
でもこの巨匠はマスタリングをする人ではないので代わりに彼の信頼するエンジニアを 
何人か紹介された。そのうちの1人とマイケルは数ヶ月前にL.Aに直接会いに行って 
心を決めたのだそうだ。ええと、確か名前はクリスベルマン。 


この名前は僕は知らない人だったけど、調べてみたら星の数ほど大量の音源で僕が既に 
聴いた事あるアルバムのマスタリングをしてる人だった。ふーん。と思った。 


というわけで9月にL.Aのスタジオに。 
どこか自分のよく知らないスタジオに行って、よく知らない他人の手法を目の当たり 
に見れるのはとても興味深い。やはり立ち会いでマスタリングしたいものね。 
場所はその昔、自分が19の頃に一時期住んでいた所にとても近いので(徒歩20分圏内だ) 
あの辺りが今はどうなってるのかも気になるところ。 


実はフランス人ユニット"lo-shi"のエリックとジュリアンのイベントが9/14にあって 
僕はそこに観に行く約束をしていて、僕自身それを楽しみにしていた。 
でも飛行機の日程の関係でその日に僕は東京を離れないといけないことになってしまった。 
まだ2人には伝えてないけど本当にごめんよ。代わりと言ってはナンだけど、他の 
ライブのときに必ず顔だすから。 

 

 

*写真は以前にライブしに行った時のFM軽井沢ラジオブース内。ベースのキヨさんも。

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2012年

7月

30日

不自分解散とその他近況

       photo by 山口稔
       photo by 山口稔

もともとたいしたバンドじゃなかったけれど。 
でも真剣に向き合っていたものの1つではあったかな。 
どれくらい真剣に向き合っていたかというと、僕個人としては 
非常に珍しくできるだけ意見を口にしない努力をしてきた。 
このバンドに対しては。 


それはメンバー全員がいろんな意味でバラバラで個性的で 
それぞれに別の方向を向いていたし、またそれぞれに技術的な 
意味でも精神的な意味でも差異が目立った。 


どれだけ合わせようと努力してもなかなか同じ方向を向かず 
安定もせず一致もしない。でもそれぞれにみんな生真面目に 
なんとか良くしようと試行錯誤して。 


レベルで言えば全く高くない。僕がえらそうに言えたことでは 
ないけれど、はっきり言ってリハーサルの仕方も知らないバンドだ。 
リハーサルの仕方がわからないということはどこがどう悪いのか 
どう良くしていきたいのかわかってないということだ。 
にも関わらず気持ちやイメージが先走って技術が全く追いついてない。 
僕の方から音楽的なディレクションをすることは一切避けてきた。 




段階を踏み、時間をかけ、少しずつ変わっていくしかない小集団であった 
ことは事実。だからこそ自然に育つには余計な口を挟んではいけないと 
僕は考えていた。大人が子供をコントロールできないように、子供は 
自発的にのびのびと育っていくものだから。互いに合わない人や上手くいかない 
関係性があってもそれは継続された時間の中で擦り合わせがあり、常なる不満を 
抱きつつもその不満こそが修行になるわけだから、不満を排除すれば好都合という 
アイデアではこの合理的な社会と同じ理想構造になってしまうし 
それでは長い目で見て成長しないと考えていたのだけど。 



そういった理由から僕がこのバンドを宣伝するときは「少しずつ成長してる」 
「その成長過程を楽しんで欲しい」と言って来た。 
もちろん本当はそんなあまいこと言ってるうちはダメなんだけど。 
でも本当にその部分こそがこの集団の可能性であり良さだったんだな。 
「ダメなところ」が良さである、というのは矛盾してる。 




だから今回、ある日突然 "解散令" が出たときには「ふむ、残念だ」と 
思った。いろんな理由があるだろうけど、いずれにしてもこういうのは 
タフじゃないと続けられない。続かないものはまた同じことを繰り返す。 
同じことを繰り返すというのは自分と向き合いきれないからだ。 
自分を変えることが一番つらいから環境を変えようとするわけだ。 
でもそれは仕方ない。それがそのときのその人の在りようだから。 
今まで口出ししなかったように、僕は辞めることになってもやはり口出しを 
するつもりはないよ。ただただ「残念」と思う。そこで死んでしまった何か 
に対して無念に思う。細々とながらもそれは「生きてた」から。 




解散に際して僕のほうから1つだけ条件をつけた。 
それはこのバンドの主催者であった泥流とは解散以後、音楽的な接点を 
持たないことに決めようという提案だった。 

この部分だけ読むとまた大袈裟なと思われるかもしれないけれど、

これは自分にとっては大事な意味がある。以前、泥流と作った「梯子ノ上デ」というバンドを

泥流に頼まれて辞めることにしたときも辛かった。その苦しい気持ちはそう簡単に「無かったこと」

には出来ないんだね。サンパウロで矢崎あいちゃんと組んでたバンドでは僕はアルゼンチン人の

ダリオに同じように酷い事をした。そのことを今でも悔やんでる。

 


泥流のことも泥流の楽曲も僕は認めていたし好きだったけれど 
バンドという1つのコミットメントを崩壊させてしまったあとで 
ダラダラとまた何か挑戦してみようというのは僕は避けたかった。 
そういうことを繰り返していくことに加担するのはやはり危険だと思った。 
周囲の人間を振り回していくのは生きていたらしょうがないことでは 
あるけれどもう少しうまくやれるはずだと思う。 


それができないことを責めてるわけではなくて、自分なりに1つの 
価値観を提示してそれに沿って行動しようと考えたらそういった結論 
になっただけのこと。このバンドを通じていろんな人々と関わったので 
稚拙にもブログにてこのことは書いておこうと思った。 
泥流と僕のことをセットのように捉えてくれてた人々がいっぱいいたから。 
人々がそう捉えててくれてたのは僕なりのコミットメントが人々にも 
伝わってたんだと解釈してたんだ。 

それに僕自身もメンバーもこのバンドを大事にしてた。メンバーみんな 
他所でもこのバンドのことをまるで自分のことのように宣伝してたから。 
個人的にこのバンドもメンバーも大好きだった。 


「ただの相互依存じゃないか」と言われてしまえばそれまでなんだけど。 





さて。近況。 




ずいぶんと久しぶりにまた細々とギターレッスンを再開しました。 
ほんと、何年ぶりだろう? 教えることはそれほど苦手ではないけれど 
他者を育てることなんて絶対無理!と勝手に自暴自棄してレッスンを 
挫折して7年くらい経つのかしら。 


でも結局人というものは育てるものじゃなくて育つものなんだと 
今は思う。僕自身が育ってないままに浅はかにも偽善的な責任感に 
自分で縛り付けられていたようなところもあって、当時は苦しかったな。 
そう、人は自分自身に向き合いきれないと環境を壊してしまうんだ。 
自分を壊すのはつらいから。 
でもその環境も自分なんだね。その環境まで含めて自分だと認識すると 
環境を壊してる自分は軽い自殺をしてるのと同じだと思う。 
でもその自殺ではダメなんだね。それは象徴的な自殺として自分に深く 
還ってこないと自殺したことにならないから。トカゲのしっぽと同じ。 
切っても痛くないところを切って簡易的な自殺を無意識にしてる。 
でもやはり切ったら痛くないといけない。でなければ繰り返すことになる。 




とかげくん、ごめんなさい。 
とかげのしっぽは危険から身を守るための手段の1つであって 
人間の精神性の1つの顕われ方と「同じ」と表現したのは便宜的な意味であって 
とかげを卑下した意味では全くありません。傷ついてないといいけれど。 

(それにとかげは言わないだけできっとしっぽだって切れたら痛いよ) 

 

 

 

 

 

 

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2012年

7月

10日

引き継いだもの

 

ある日突然 何かを譲り受ける日がくる。

それは誰かの形見かもしれないし、誰かが弾かなくなった楽器かも

しれない。誰かの歴史が刻まれた指輪かもしれないし、誰かの書いた日記かもしれない。

 

 

 

その日 僕が唐突に譲り受けたものは1枚のB5サイズのコピー用紙だった。

 

 

 

 

僕は居酒屋で呑んでいて店はそれなりに混み合っていた。空いた席は1つもない状態だ。

しばらくぼんやり呑んでいたのだけど右隣に座っていた男性に話しかけられた。

 

 

 

歳はいくつくらいだろう、55~65の間くらい? どうも他人の年齢を推し量るのが苦手だ。

僕自身もきっと歳相応には見えないだろうし、歳の話をするのも面倒なのでこちらからは

基本的に尋ねることはないのだけれど。

 

 

 

 

そう、その男性と何を話すともなく会話をしているうちに彼が言う。

「あなたを見てたらね、なんだかこれを差し上げたくなりました」

そう言いながらズボンの後ろのポケットからごそごそと4つに折り畳まれた紙を出す。

 

 

 

随分と雑に折り畳まれていたそれはコピー用紙の束だった。

何枚ものB5サイズのコピー用紙の中から1枚を選ぶと僕に無言で手渡してくれた。

それは2枚の写真を半分ずつに割り当てたコピーだった。

元の写真はカラーだったのだろうか?それともモノトーン?

推測するにたぶんモノクロの写真だったんじゃないかと思う。でもわからない。

 

 

 

 

でもそれは僕が「一体なんだろう?」と想像してたものと全然かけ離れた

2枚の写真だった。もちろん彼が撮影したものではない。彼はそれをどこかで発見して

思わずコピーをとって自分の為に持ち帰ってきたものに違いないのだ。

 

 

 

 

そして僕はその2枚の写真とそれが複写されたこのしわくちゃになった1枚の紙に

すっかり魅了されてしまった。まず写真に魅せられた。それからこれをわざわざコピー機

にかけて10円支払ってコピーしてきた男の「想い」のようなものに打たれてしまった。

それがこのコピーの撮り方、折り畳まれ方、ズボンのポケットに雑に押し込まれていた感じ

からとても明確に伝わって来た(ような気がした)。

 

 

 

コピーされた紙には下のほうに注釈がついていた。

写真家はどちらも同じ人物らしい。カルラ・チェラーティ。知らない人だ。有名なのかな?

僕はとにかく写真家や絵描きについては全く無知だから。

その横に年代が書いてある。どちらも1968年だ。そして撮影場所はそれぞれ違う。

左が精神科医院フィレンツェ、そして右が精神科医院ゴリツィアとある。

 

 

 

 

そうか、精神科の風景なんだと思いながら不思議な気持ちになる。

そしてこのコピー用紙をくれたおじさんの顔を見上げる。でもおじさんはにこにこしながら

正面を向いて酒を呑んでる。我々はカウンターに隣り合って座っている。

 

 

 

精神科はともかくとして僕はとにかくこの1枚のしわくちゃな紙切れに惹かれてしまい

仔細に眺めていた。それはもう結構な長い時間ずっと眺めていたように思う。

写真だけを眺めていたわけじゃないんだね。紙そのものを眺めていたように自分では感じて

いたんだけど。

 

 

 

そしてもう一度おじさんの方をふりかえり尋ねてみる。「これを頂いちゃっていいんですか?」

 

 

 

彼はにこにこしながら「差し上げます」と言う。

何でこの1枚を僕に譲りたくなったのか不思議に思った。だって彼はきっとどこか(恐らく図書館だ)

でいくつかの写真集を眺めて、特定のページだけ(恐らく彼が何か感じたページだ)をコピーにとり

それを乱暴に折り畳んで後ろのポケットにしまって帰って来たに違いないのだ。

 

 

 

そんな心の動いたものをたまたま隣り合った僕なんかにくれてしまって良いのだろうかと

ちょっと心配になって、それで尋ねてみた。でも僕は変な話だけど、最初にこのコピーを見た瞬間から

「欲しい」と思ってしまっていた。そしてこのおじさんが誰なのかも知らないままに、僕にくれようと

してくれてることに嬉しいと感じていた。

 

 

 

 

あまりにも僕が沈黙したまま熱心にこのコピーに見入っているので、そのことに少し驚いたらしい

おじさんが僕にその他のコピーを束のまま手渡してくれた。それらは全てが精神科の写真ではなく

全くと言っていいほど脈絡のないそれぞれに独立したものだった。そして彼は僕に「そんなに熱心に

見ていただけるのなら全部差し上げます」と言った。

 

 

 

 

僕は慌てて断った。「これ1枚でいいんです。そのほうが大事に思えるし・・」と言いかけたところで

彼も察してくれたみたいですぐにそれらのコピー用紙の束をまたがさがさと汚く畳んでまた自分のズボンの

後ろのポケットにしまった。それらは最初に折り畳まれていたのとは違う角度でさらにシワがつくように

折り畳まれていった。

 

 

 

 

せっかくどこか通じ合うところがあったとしても、せっかく隣り合って座った何かの縁だったとしても

あいにく僕には見ず知らずの他人と会話を弾ませる才能も意志もないので黙ったまま そのコピーを

眺めてにこにこと酒を呑んでいた。でもそれを譲り受けたことは心から嬉しかった。

これはどこかから僕の手元に来るべくして来たもののように感じられた。でも繰り返すけれど、この写真

を撮った人に惹かれたわけじゃない。この汚く折り畳まれたシワのついたコピー用紙に僕はこの上なく

惹かれてしまっているのだ。

 

 

 

 

何本目かの日本酒を呑んでるときにまた彼がぽつぽつと話しかけてきた。

見ると店の人にペンを借りて(恐らく)自分の住所を紙切れに書き込んでる。

それを書きながら僕に「絵描きでは誰が好きですか?」と尋ねる。絵描き??

 

 

 

 

そういうとき、急に尋ねられると僕はほぼ100%まともな答えを返すことができない。

僕は人に何かを尋ねられて自分が一番大事にしてるものや本当に思ってることを素直に伝えられない

困った性格をしてる。でも変な嘘をつくわけにもいかないからできるだけ近いものを答えるようには

努力してみる。こういうのって制限連想テストみたいなものだとつくづく思う。

 

 

 

 

そしてその連想テストで僕が最初に出した答えは「藤田嗣治」だった。その次に提出したのは

「田中一村」。もちろんどちらも大好きだ。でもそれが本当の答えじゃないことを僕はよく知ってる。

好きな絵描きに限らずとにかく一言で明言できるような答えを僕は出せない人間なんだということを

自分が嫌いになるほどよく知ってる。逆に他人が一言で明言したような発言を100%は信じない自分

もいる。まあ同じ事だ。

 

 

 

 

おじさんはそれでも構わず「他には?」と問いかける。

いくつか名前の挙がったあとに彼は「田中一村だけはちょっと意外だったけど」と言いながら

僕にその住所の書かれた紙切れをくれた。それで僕の住所も欲しいと言う。だからそのペンを

借りて自分の住所を書いて渡した。自分の書いた字を他人に見せることさえ恥ずかしくて普段から

書かない僕としてはやはり気恥ずかしかったけれどとにかく渡しても良いだろうと思って頑張って

丁寧に書いた。それでも僕の字は汚いんだけど。。

 

 

 

 

そしたらおじさんが「自分もちょっと絵を描いたりしてます。今度あなたに描くので送ったら

見てくれますか?」と言う。びっくりして思わず「これから描くんですか?」と変な質問を

してしまった。

 

 

 

 

でも普通に「はい」と言うのでなんと応えて良いのかわからなかったけれどこちらも「はい」

と応えてその話は終わった。僕は勘定を支払って先に帰ったし、彼とはまたどこかの飲み屋で

たまたま会うかもしれませんねくらいの挨拶を互いにして帰ってきただけだった。

 

 

 

 

 

唯一、彼の明確な意思表示があったとすれば彼は握手をしない人だった。

僕ももともとは握手はしない人だったけれど、いろんな人といんな場所で会うなかで

握手というのは1つの好意の象徴と考えてるところがあって、そこまで積極的にではないけれど

別れ際にすることもある。それで手を差し出してみたけれど、彼は柔らかく、しかし断固として

それを拒否した。うん、なかなか明確な人なんだと改めて思った。

僕にはない明確さだ。僕は相手のカルチャーの方を尊重してしまう。まあ全てではないけど。

相手が別れ際にハグをするなら僕も勇気を振り絞ってハグするし、別れ際にキスする人なら

かなり無理してそれに応じる。握手をしない人なら僕も喜んで握手しないで別れる。

 

 

 

 

そしてそれから数日が経ち今でも僕の手元にはこの1枚のコピー紙がある。

やはり好きだ。なんだろうね。この感覚は。そして何故よりによってあんなに沢山あった

いろんな写真の中からこの2枚の精神科の風景なんだろう?これを僕にあげたくなった理由なんて

僕には全くわからないけれどとにかく「ああ、僕についてきちゃったんだな」と思ってウチにいる。

 

 

 

 

いつかそのうち絵が送られてくるのだろうか?

でも絵のことは特に今は何とも思わないな。僕は僕が象徴的に引き継いだものの持つその象徴性に

不思議な震えを感じながらまじまじと眺めているんだね。それについては言葉を与える必要は

ないんだと思いつつ。それは言葉では表現され得なかったからこそ象徴としてそこにいるんだと思う。

 

 

 

 

 

 

*コピー紙を僕がカメラで撮ったから光の反射は僕のせい。でもこれをくれたおじさんも「コピーをしちゃったからちょっと違う感じになっちゃった」としきりに気にしていた。

 

*左の写真。僕が最初に目が行ったのは右側のものだった。つまりこの上の写真。だから何?と言われると何とも言えないのだけど。ともかくこれがフィレンツェ。上のがゴリツィア。

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2012年

6月

08日

June

5月の終わりに妹が帰国した。

2年ぶりらしい。息子のタイソンを連れて、それから

腹にもう1匹ちっちゃいの入れて。カンガルーみたい。

5ヶ月だそうだ。

 

 

タイソンは4歳になっていてやはり日本語より英語の方が

慣れてるみたい。ときどきごっちゃになってる。

よく喋る。ひたすら喋る。うるさい。言葉を覚えるのが早い

わけだね。見てて思ったけどこれは人間だけだよな。

人間にしかない特徴でしょう?言葉=概念をこんなに小さな

うちからどんどんと膨らませていく動物というのは。

 

 

 

空港に迎えに行きその足で久しぶりに実家に。

久しぶりと言っても半年ぶりなだけだけど。

16年程生きてる2匹のねこたちにも会いたかった。

このコたちは喋らない。言葉に支配されないことにいつも

憧れる。僕としては。あるいは彼らは喋れるのかもしれない。

でもねこたちはとても賢いから自分が喋れることを人間には

見抜かれないようにしてるようだ。そのおかげで我々は

とても友好な関係を築いてる。彼らの努力の賜物かも。

 

 

 

 

両親と弟にも再会。

再会と言っても国内でそれほどの距離があるわけじゃない場所に

住んでるので近くにいながらにして滅多に会わないだけだ。

弟は長い事住んでた沖縄を引き払って地元にいた。駅前に住んでる

らしい。

 

 

 

父親は白髪が増してすっかりおじいちゃん役を演じる準備が

出来ていたし、僕と同じ顔を持つ母親は僕と同じように年相応に

見えない。妹と弟は変わってない。(ように見えた)

 

 

 

6つ下の妹と8つ下の弟。

ウチのは何故だかみんな顔が全く違うので3人並んでいても

兄弟にはまず見えない。というか、まず僕に兄弟がいるという話

をしただけで大袈裟にびっくりされることがある。

でもそれ以前に3人で並んで人前に出る事は過去にほぼ皆無だった。

とにかくあまりつきあいの良くない人達なんだ、僕も含めて。

(僕がいちばん良くない)

 

 

 

久しぶりに会ったタイソン(4歳)はもちろん僕の名前を忘れていて

顔を見るなり僕を指さして「guitar」と言った。

でもしばらくしたら思い出してきたみたいで「ケイケイ」と

呼び始めた。僕をケイケイと呼ぶのはこの子とデールストロンバーグ

くらいだろう。

 

 

 

さて、ケイケイは久しぶりの実家を過ごして戻ってきてライブとリハ

と録音をちょこちょこやったりして。また日常に復帰。

時間の流れ方が違うことをうすうす実感しつつ。

川に入ってしまえばどうしてもその流れの影響を受けて漂いはじめる

ことに戸惑いつつ。どうしたものかと思案に耽りながら。

また言葉に縛られ始めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の帽子をかぶる甥の図。

これと眼鏡をかけると誰でもタカスギケイになれます。

 

このように◎

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2012年

5月

10日

いたたたた。

代官山Bang on recordingでマイケルの録音を終えて

大量にビールを飲んで帰宅。いやあ、無事に録るべきものが

録り終えられてよかったよかった、と思いながら深夜の自宅。

確か竜巻の次の日のことだ。

 

 

帰宅してMacを開いてメールチェック。

もうこのあたりから記憶は曖昧なのだけど、次に気がついたら

僕はトイレで倒れていた。・・・はー、またやってしまった。

この強制終了しちゃうのはどうにかならないものか。

 

 

 

そう、過去にも何度かあるのです。むしろ自宅で倒れたのは

初めてだった。なんにせよ強制終了するのなら立ってないときに

して欲しいものだ。今回のも含めて顔から着地するのは後にも

痛みが残る。口元から落ちれば口の中が血だらけになるのだけど

今回は斜め右側面部だったようでほお骨と目の上の骨がコブになった。

目の下は試合後のボクサーみたいに黒ずんでまぶたもちょっと腫れて

なんとも情けない。この2日間ですっかり引いてきたけど笑うだけで

顔が引きつるし、どうやら首もむち打ち症の軽い症状みたいだ。

 

 

 

これはいったいどうして起こるんだろう?

今回はいつもと違って意識を取り戻した後が酷かった。

二日酔いみたいな苦しさとは全く違うんだね。なんていうんだろう、

何かの発作みたいな状態。嫌だね。思い出しただけで気分悪い。

 

 

何とか忘れないようにとこうして言葉で描写して書き留めておこうと

思いキーボードを打ち始めたものの、すごく説明しづらい感じだ。

どこがどう、という種類の苦しみではないんだよね。

もうただただ「ヤバい」という感じ。

痛いのか苦しいのか気持ちが悪いのかもわからない。

ただただ「ヤバい」という恐怖感だけが漠然とあって、でもそれ以上の

気分の悪さで床に転がったままうめき声をあげてる状態。

さすがに救急車を呼ぼうかということも考えたけど

ズボンのポケットに入ってるケータイを出すという動作が出来ない。

そういう動きが全くできないくらい発作状態に入ってしまってる。

 

 

仕方ないからその発作的なものがおさまるまでの間(どれくらいだろう?)

大袈裟にも「死にたくない死にたくない死にたくない」と思いながら

右半身を下にしたまま暗いトイレで倒れていた。

僕はトイレに入って電気もつけなかったんだろか?でもトイレに行く前の

記憶がもうない。トイレで倒れたのかも定かじゃないというのに。

 

 

 

 

今これを書いててうっすらと記憶に残ってるような部分に無理矢理に想像で

補足して流れを思い出すと、もしかしたら倒れたのはトイレじゃないのかも

しれない。顔に2カ所コブがあることから推測しても、ひょっとしたら部屋で

倒れて何故か慌ててトイレに行こうとしてトイレでまた倒れたのかも。

 

 

 

とにかく恐怖はトイレで目が覚めてから得体の知れない発作と共に

やってきた。僕はおばあちゃんの事を思い出した。随分と前に僕がまだ

実家にいたある日の朝おばあちゃんがトイレで発作のようなものを起こして

倒れた。

その症状が今まで映画やTVでも見た事がないくらいに苦しそうだった。

今まで耳にしたことのない声を出して苦しみもがいていた。

それは苦しむ声というよりは目の前に立ちふさがる巨大な何かに怯えて

目を見開いて恐れおののいているような声にならない声だった。

その光景が記憶に焼き付いて離れないくらいショッキングなものだった

のだけど、自分で床に転がったまま苦しがってるときにそのことを思い出して

いたんだね。それが恐怖に直結した理由だと自分では思ってるんだけど。

 

 

 

 

とにかくそのときの記憶とよく似た声にならない声を自分で出しながら

うんうんと喘いでいてどれくらい経過したのかな、しばらくしたらやっと

おさまってきた。おさまっていくのが自分でわかった。これは一体何が

治まったんだろう?でも身体が動かないし冷たい床が気持ち良いと感じた。

だからしばらくそのままにしていた。そうしたら痙攣が始まった。

というか震えがきたんだね。体温が低下し過ぎな感じ。

これはよくないなと思い無理に身体を起こそうとして更に目眩と顔面の痛み

に気づく。でもとにかく震えが酷いので這うようにしてベッドまで戻り

毛布を被った。これは正しい処置だったと今でも思う。

 

 

 

毛布にくるまって救急車を呼ぼうかちょっと迷う。

でもさっきのような発作はもうない。あれは堪え難いものだったけど、

今の状態なら様子を見た方がいい気がする。

だって救急病院に運ばれてざっと検査受けて「はい、終わりました」

と言われても夜中の道を歩いてまた帰宅する方が大変そうだもの。

 

 

 

 

毛布の中でガタガタと震えながら誰かにメールをしてみようか考える。

でももう時間は朝の4時だ。まともに生活してる人を起こすわけにも

いかないので散々迷ってあきらめる。

いろんな人の顔を思い浮かべるけどどうしても連絡する気になれない。

というか震えが酷くてまともにケータイも握れない状態だし、思考も

朦朧としてあまり理路整然と考えられないみたい。

それに近しい人々には心配かけるだろうと思って余計にできないよね。

仮にその時に僕から連絡をもらったとしても不安にさせるだけだし、

出来る事といえば「救急車を呼びなさい」と言うことくらいなわけだし。

 

 

 

今までになったことのない症状だったのと発作が苦し過ぎたのと

昔みたおばあちゃんの発作から死を連想してしまったこととで

気の弱い僕は不安になってしまったんだね。

それにしてもなんとも気が小さ過ぎるだろう(呆)

横になったまま何とか寝てしまおうと思うのだけど震えが強過ぎて

とても眠れない。それから情けないけど死を連想しちゃってからというもの

寝たらもう目覚めないんじゃないかと思い始めたら余計に怖くなって

寝てしまう前に誰かに1本でもメールを入れておかないといけないような

気がしてきた。

 

 

 

それで看護士をやってる友人を思いついた。

この人なら職業柄起きてるかもしれない。

あるいは「それはただの急性アルコール中毒だよ」と気軽に明るい返事を

くれるかもしれない。うんそうしよう、と弱気な30代はケータイを手に

メールを書こうとしたが手が震え過ぎてて思うようにメールが打てない。

それに漢字に変換するような余裕も句読点を打つようなゆとりもないことに

そこで初めて気づく。もちろん長文も無理だ。

そこで「倒れちゃって震えが止まらないのだけど何かの症状と似てる?」

という内容のことをシンプルに送ってみた。もちろん非常識な時間帯で

あることを謝ったけれど、謝ったところで非常識な時間帯であることには

変わりない。悪い事しちゃったな。

 

 

 

そしてそのまましばらく震えながらも送ったことに満足して放心している

うちに断続的な眠りがやってきた。次に目覚めたときは約1時間半後だった。

朦朧とした状態はしばらく続いてたけど少しずつ回復してるようにも思えた。

回復するにつれて顔と首の痛みがひどくなってきた。

 

 

 

 

あとは、気になったのは右手の痛み。これはたぶん発作の前なんだけど、

右手が痛いなと思って「ぐー」に強く握りしめようとすると鋭い痛みが走った。

それがトイレで目が覚めるより前の最後の記憶。この痛みは起きてからも

あったのだけど不思議と今はほとんど感じない(少しある)。

何か関係あるのかなー。

 

 

 

人の身体って不思議ですね。

そういえば何度か倒れたうちの一回は1杯目の酒を注文してから

それが出て来るまでの間に起こった。僕はカウンターの椅子から

転げ落ちたらしい。落ちたことを僕は知らない。でもポイントは

そこじゃない。つまりこの出来事によって「アルコールと関係ないのかも」

という大きな「?マーク」が残った。

その時は救急病院に運ばれていろいろと検査してもらったけど結果は

「どこも特に異常はありません」だった。それって心身症?

ただその時と今回は全く違った症状だ。特徴的に。

 

 

 

 

とにかくこうして突然に強制終了してしまうことはしょうがないとしても

立ってる状態の時は勘弁して欲しいな。せめて座ってるときとかね。

僕の入れ物は僕の中身が思ってるほど頑丈ではないみたいなので。

いや、内と外は同一のものなんだということに気づいてもらいたいものだ。

それは連動して共存してるはずだものね。片一方ではあまり成立しない。

 

 

 

こういう弱ってる文章を人前に晒すことができてしまうくらい僕が

普段から健康なことを自分で承知してるから意識的に書き留めてみたけど

もしかしたら世の中の人々はみんなこれくらいのことを日常的に

経験してるのかもしれないなと今思った。それぞれの症状で。

それにもっとつらい状態を耐えてる人も。

なんていうか、個人の苦しみは他人とは比較できないんだけど。

でもこれは想像力を働かせる機会になったのかもしれないとも思う。

僕にとって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

3月

23日

fretless化

ある日のこと突然何を勘違いしたか「ベースが弾けたらいいなあ」と

ふとそんな不遜(?)なことを思いついた。先月末のことだ。

それはたまたま楽器屋で中古のベースを見たからなのか、それとも頭の中に

ベースのサウンドを求める切実な意志が存在したからなのか自分では全く

わからない。本当に、何の前触れもなくある日突然「そうだ、ベースを」と

思ったわけだ。人の心の動きってわからないものですね。

 

 

とにかく、何はともあれベースを購入した。

中古で1万ちょっとのやつだ。今どき中学生でも買わないような。

というか、誰も手をつけないで長いこと楽器店の店頭に放置されていた

やつだったから、ベースをやる人間ならまず選ばないようなコンディションの

ものだったのかもしれない。でも全くのドシロウトの僕にはそれがどんな

状態なのか皆目見当もつかなかった。少し試奏させてもらって、ノイズが

乗り易いことを除けばそれ以外は何の問題もないように思えた。

 

 

それでビクビクしながら買ってるところをエンジニアの喜多野さんに目撃

されたりしながら(恥)とにかくその子を連れて帰宅した。

何かとても良い買い物をしたように思えた日だった。

 

 

家に帰っていざ弾いてみると右手をどこにどう置くのかもわからない。

左手はまあ「ギターとほとんど同じだろ」くらいにしか知識がなかった。

you tubeでベースの人の映像をいくつか見て手つきを真似てみる。

 

 

しかしながらどう考えても右手の角度がギターと違う。

すぐに右手人差し指と中指の爪が欠けてしまった。それに力が入り過ぎなのか

まるで初めてアコギを弾いたときのように指先が痛い。いやアコギで痛い

のは左手だけど、ベースに関しては右手の指先がヒリヒリしてきたんだね。

完全に力み過ぎ。

 

 

そもそも親指を置く場所がyou tubeを見てても人によって全然違う。

どういうことだろう。特に「ここ」と決まってるわけではなさそうだ。

世の中の人はみんな当然のようにベースやギターを弾くのでそんないくつかの

疑問は実際に弾いてみるまで思いつきもしなかった。「? ? ?」

 

 

でも練習してみてこんなに楽しいものはない。

これがトランペットやバイオリンだったらこうはいかなかっただろう。

ギターと共通点のある楽器だからとっつき易いのだ。何でそんなことに

今まで気がつかなかったんだろう?

 

 

でもギターだってまともにちゃんと弾けないと常々痛感してるのに

他の楽器なんてこの歳になって真正面から向き合おうとは思うわけも

なかったんだね。だから恐れ多くというか、それこそ不遜にも

「ベーシストになろう」と考えているわけではないのです。

ただ、触ってみて妙な親近感を感じたことに自分で驚いた。

自分のパーソナリティと不思議と合ってる気がして。

 

 

敬愛する某steelbeckさんも良いベースを弾く。彼はギタリストだけど

良いギターを弾く人はベースも大人なのかしら、と想像したりもしたけれど

やはりアンサンブルに対してまっとうな人はどんな楽器でも信頼できるような

距離感で扱えてるような気もする。

 

 

 

そう、それはともかくだ。

買って数日のうちにみるみるネックが反ってきた。逆反りというのかしらん。

弦がビビってしまって解放で弾いても音が出ない。そんなこと普通ある?

うーん、これが誰も買わない理由だったのかも。。。とか思いながらリペアを

検索する。でもどこも高い。せっかく安く購入したのにね。

とにかく自分では直せないと判断した。

 

 

それがある日、ネット上で偶然発見してしまった。

プロのリペアマンではないとご自身で称していて、とてもリーズナブルな

金額でベースを扱ってくれる人を。でもそれはリペアマンとしてではなく、

フレットレスに改造しませんか?というような触込みだった。

 

 

 

告白しよう。

僕は迷った。なにしろその触込みを見るまではフレットレスにしようなんて

大それたことこれっぽっちも考えてなかったのだから。

せっかくフレットのあるベースを買って最初の1週間、とても楽しい恋愛初期の

ような時期だったのにいきなり状態が悪化して思うように動けなくなり

ましてやフレットを全て抜いてしまうとなれば大手術を必要とする。

その結果、もともとのベースとは全くキャラが別人になってしまうわけでしょう。

フレットレスベースというのはそれくらい僕にとっては未知の領域だった。

 

 

まあ、この流れはあまり一般的ではないだろう。

つまり、反ったネックが直ればそれで良かっただけの話なんだ。

でも一度 頭にフレットレスのイメージが湧いてしまうと自分がやるような音楽

にはそのほうが合ってるんじゃないかという思いがむくむくと膨らんできた。

 

「いいや、それは本末転倒だ!君はただただパラノイドアンドロイドをコリンの

ようにブリブリと安定した感じで弾きたかっただけのミーハーなギタリスト的な

欲求でベースと戯れていただけだろう?」

 

そんな思いが僕を引き止めようと頑張ってくれたのだけど、とうとう僕は

フレットレスにすることに決めてしまった。ああ、独断。

でもそのフレットレス化してくれる方の文章を読んでて「この人なら大丈夫

だろう」とふと思ったんだね。それが一番大きな後押しになってくるくると

ベースを梱包して「はこBOON」で発送。購入後、2週間目の出来事だった。

 

 

それからメールで何度もやりとりをさせてもらって、その度に現状を画像で

送ってくれてとても親身になって対応していただいた。

それでわかったことだけど、このベースは過去に一度フレットを交換されて

いるのではなかろうか?と。しかもその時の処理がどうもよろしくない、と。

 

 

逐一、僕に状態の説明をしてくれて、僕の意向を確認してくれて

その上でどのような方向性にしていきたいのかを相談に乗っていただいた。

普通の人ならつけないであろうフィンガーレストまで取り付けてもらい

そこにアースポイントを設けてノイズ処理を施してもらったり。

フィンガーレストはね、まあ異論のある人は多々おられるとは思うけれど

個人的に取り付けてみたかったんです。特に勧められたわけではなく。

 

 

なにしろ右手がドシロウトだから今のうちならこれからどんな弾き方にでも

矯正していける。自分の欲しい位置に一つ余分に指を置ける場所を設置して

もらっただけのつもりで。

 

 

というわけで発送して約1週間後にその子は帰ってきた。

とても手際が良い。仕事が早い。(そして信じられないくらい安い)

フレットは全て抜かれて溝は綺麗に埋められていた。僕はこの溝の埋められた

指板というのがルックス的にとても好きなんだな、と手にして初めて思った。

 

 

ネックは元通りになって返って来た。それどころか弦高は更に低くなって

とても弾き易い。ノイズは皆無だ。実際のベースの値段以上の買い物をした

と言っても過言ではないと思う。このままネックが安定していてくれることを

祈るのみだ。(それが一番心配)

 

 

一昨日の朝にベースが到着して早速弾き始めたら生まれて初めてのフレットレス

の感触にあまりにも嬉しくなってしまい思わず簡単に録音した。

いや、ベース自体がまだこの人生で触りはじめて2週間なので技術は低い

のだけど、とにかく最初の感じを記録しておこうと思って。

 

 

それで恥さらしを承知でその日の朝に適当に弾いて録った音に適当な映像を

つけて3テイクyou tubeにupしてみた。また1年ほど経過したらこの映像を

観てベースを始めたスタート地点とのギャップを再確認しよう。

 

 

まともなベースの弾き方はこれからちょっとずつ覚えていくだろう。

今はただギターで弾くような弾き方で音色が違うだけだ。

リペアしてくれた方に(ここではお名前は伏せますが)感謝☆

 

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2012年

2月

01日

Rambler


チャーリーチャップリンのドキュメンタリーフィルムを観た。 


チャップリンの事は勿論知っていたけど、彼のバックグラウンドや彼が 
送った人生のことは何にも知らなかったからね。 
ひとりでビールを呑みながらしばらく興味深く観ていたのだけど 
観てるうちに自分の頭の中で過去の記憶がフラッシュバックして何だか 
17、8の頃の思い出が蘇った。 


みんなそうなのかもしれないけど、僕の記憶もところどころ飛んで 
しまっていて今では思い出せないことがたくさんある。 
小学生の頃のちょっとした事実を克明に覚えているかと思えば高校生の 
頃の様々な出来事を全く思い出せなかったり、22歳前後の頃の自分の事を 
あまり明瞭に思い出せなかったり。逆に幼稚園の頃のいくつかの出来事を 
かなり鮮明に記憶していたり。記憶ってのはどうやって選別されて 
脳のフィルムにインプットされているんだろう?(きっと勝手に歪曲も 
されているはずだ) 



自分がいろいろと記憶してないことに明確に思い当たったのは 
数年前にふとしたことで昔の深い繋がりだった知り合いと再び親交を 
一時的に持つようになったときだ。僕は実に様々な事柄を記憶していなか 
ったし、先方も僕が記憶していた事柄と全く違った種類の事柄を沢山 
記憶の抽出しの中にしまい込んでいた。あまりにもお互いの話が上手く 
結びつかなくて互いに驚いたものだ。 


それで初めて知ったのだけど、互いの主観は当時、同じ風景を眺めて 
いながらもあまりにも異なる部分に焦点を当てていたのかもしれない。 
それを「すれ違い」だとは思わない。思うに恐らく我々は後天的に 
ある記憶を消し去り、ある記憶を目立つ場所に飾ってきたわけだ。 
それは不思議な喪失感の断片を含んだ10数年ぶりの邂逅だったな。 



そうそう。話を戻そう。 
チャップリンのドキュメンタリーを観てて思い出したのは、その知人 
との話よりもずっと遡る。最初に書いたように僕自身が歳の頃17, 8の 
夏だ。たぶん夏だったと思うんだけど。 


僕はオレゴンの高校にいて、そこはかなり厳格なキリスト教の学校 
だった。まだ英語もあまり話せなくて頭の巡りも悪い子供だったので 
何を考えてたのか正直今となっては自分でももうよくわからない。 
英語なんて今でもロクに話せないし、頭だってその頃より良くなった 
とも思えないけれどそれはまあここではよしとしよう。 



その高校ではフィールドトリップなるものがあったんだ。 
それはグループに分かれてそれぞれにテーマがあって行く場所も 
とる行動も違うものなんだね。アーミッシュに行く奴らもいれば 
チャリでMt. Hoodまで行くグループもあった。 
メノナイトの学校だから他とちょっと違ってたのかな? 
それともよくある内容なのかしら。ともかくそういった行事が 
あった。僕はコスタリカという国の孤児院に土方をしに行った。 


英語もロクに話せないというのにスペイン語圏の国に行って孤児の 
子供達と過ごしながら土方をするというのはある意味無謀なこと 
だったんだろう。でも若いから何にも考えずに行ったんだね。 
アコギを持って行ったことから考えてもそれがわかる。完全に目的を 
勘違いしてる。 


Orphanageに無料で泊まらせてもらってそこの子供達と少しだけ 
一緒に過ごした。みんな明るい子供達だったけど、スペイン語で 
簡単な会話しかしてないから深い交流もなかったし、それっきりだ。 
小額なコインの取り替えっこなんかしたりして。話題になるなら

何でも良かったんだね。 



でもはっきり言って、そんなことほとんど忘れてた。 
僕の記憶の容量は5年前のPCみたいに重く動作も鈍くて 
今となっては開かないファイルも多々あるようだ。 



コスタリカについて漠然と断片的に思い出すのは毎日のように自分達で 
作って食べてたフランスパンにチーズとアボカドの長いサンドイッチや、 
公共のバスが全てメルセデスだったことや、不思議な男に英語で 
話しかけられて当惑したことや、海で溺れた事なんかで大した思い出 
じゃない。 


ただ、ついさっきチャップリンのドキュメンタリーフィルムを観ていた 
というだけで孤児院での事や海岸でのことなんかが急に洪水のように 
頭の中に溢れて来て戸惑いを感じた。 



特に何があったわけじゃないのだけど。ただ孤児院にちょっとだけ世話に 
なって、こちらもそこの土地を掘ったり土を運んだりして真っ黒に日焼け 
して汗だくになりながら過ごしただけの思い出だ。 


そのときだって「ああ、この子達は身寄りのない子達なんだ」と 
漠然と考えていたに違いないんだけれど、借りて来たフィルムを 
観てるうちにそれらの事実が突然記憶の映像と共に蘇って、それが 
静かに自分の意識に再び浸透していくというタイプの感覚を覚えた。 


それがチャーリーの求めたであろう「笑い」の感覚と見事に融合して 
感じられたのかも。それはどこか切なさを内包してて、どこか無力感を 
感じずにはいられないような感覚で。 

いや、彼が求めたのは切なさや無力感ではなかったはずなんだけど 
こちらで客観的に観てるうちにそういった感情が喚起されてきてしまう 
というふうになったんだね。それは単純に彼も孤児院に入れられたという 
経験があるというエピソードが含まれていたからなのかもしれないし、 
大した意味を持つ事でもないのかもしれない。ただ、たまたま僕の中の 
記憶の古いファイルと共鳴し合うものがあって、今ではすっかり忘れて 
いた思い出が連想的にずるずると引っ張り出されてきた感覚に 
戸惑ってしまったんだと思う。 



あの子達はもう大人なんだろうなあ、とか思いつつ。 
彼らは大人になって笑いを求めただろか。 


++++++++++++++ ------------------------



コスタリカの海では水着を持たなかった為、ジーンズのまま海に入って 
みるみるうちにパンツが重くなりどんどん身体が沈んでいき、危うく 
本格的に溺れるところだった。他人に見られたら恥ずかしいという意地 
だけでなんとか浜辺まで辿り着いた。あれはどっと疲れたな。 



仲の良かった友人とこっそり抜け出してひと気の無い海岸で煙をくゆらしてて 
ボンヤリと夕焼けの海岸を二人で眺めているところに視線を感じて「はっ」 
と振り向いたらそこに僕の半分くらいのサイズの大トカゲがいて 
至近距離で目が合ってしまって、向こうもなんだか「はっ」としたみたいで 
互いに気まずそうにしばらく固まっていた。もし僕が振り向かなかったら 
どうなっていたんだろう? 大トカゲは人を食べたりはしないよね? 





あの旅では最後に変なことでモメたことまで今思い出した。 
孤児院の近所に、子供が沢山いるのに旦那さんがいない奥さんがいて、 
生活に大変困っているらしいという話になって。誰が言い出したんだろう? 
それでアメリカ人と日本人(僕)の高校生が顔を寄せ集めて話し合った。 

 

 

それで誰かが「あの奥さんにお金を寄付しよう」と言い出した。 
他のみんなも「賛成!」となった。 
僕はイマイチ話しの流れがのみ込めなくて賛成してはいなかったのだけど 
とにかく僕なんかの思惑とは裏腹にみんなで少しずつお金を出し合って 
その奥さんにお金をあげることになった。なんだか寄付するというと聞こえは 
いいけど、お金をあげるとか恵むとか言うと途端に違った響きを持つように 
感じるから言葉って厄介だ。 


僕は子供だったからみんながお金を寄付することに決めても「でも 
それって一時的なものだし」とか「お金に困ってるのはその人だけじゃ 
ないんじゃないか」とか、「そういう我々だって孤児院で土方作業して 
その見返りにタダで泊まらせてもらってる身じゃないか」とか、いろいろ 
頭の中で幼稚な異論があって実際に口にもしたような気がするんだけど 
普段からロクに喋らないような日本人の意見が尊重されるわけもなく 
とにかく寄付することが決定して僕も少し加担した。 


今思えばあの奥さんは春を売るのを仕事にしてる人だったのかな。 
そのとき彼女は既に妊娠していてお腹も大きかったみたい。 
それじゃ仕事ができないとか、そういう理由もあったんだろか。 

よく考えたら孤児院と子供をたくさん授かってしまう貧しいお母さんという

のは何かしらの因果関係があったりするのかな。
その頃の僕に状況を推し量る頭がなくて事実は全くわからない。 



でも「変な出来事」とわざわざ書いたのには理由がある。 
誰がその集めた寄付金を持ってその奥さんに渡しに行くのかで 
高校生達はモメたんだ。「俺が行く」「いや、私が行きたい」って。 

それがあまりにも不快に感じて僕は1人で拗ねてたことを思い出した。 
みんな真剣にモメるんだもの。誰が渡したっていいじゃないか。 
いったいどんな顔して渡すというのだ。


うーん、いろいろと関係ないことまで芋づる式に思い出したな。 
そんなに昔の話じゃないという気もするけど、あの旅にアコギを 
持っていったことを考えるともう20年以上ギター触ってるんだなと 
びっくりする。20年弾いてもこんな感じというか・・・。 



ちなみにコスタリカの帰りの飛行機で、ダラスの空港でドメスティック便 
に乗り換えることになってたのだけど、僕一人だけそのギターケースが 
疑われて、ドラッグの運び屋と勘違いされて長い事足止めを喰らって 
危うく飛行機に乗り遅れるところだった。一緒に旅してた連中はさっさと 
別のターミナルに行っちまうし(彼らはアメリカ人だから入国が楽だ)、 
僕は僕でコスタリカの強い日差しの中で土方をしていたせいで真っ黒に 
日焼けして痩せて黒髪で、まるでメキシコ人かコスタリカの移民みたい 
に見えたらしい。どうみたって顔つきが違うじゃないかと思うのだが。 


ダラスの税関の人、ヤな奴だったな。 

 

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さて。とりとめもなく徒然なるままに書いたけれど、不自分(fjbn)の 
ライブが2/4にあります。自由ヶ丘ハイフンというハコで。 
詳しくは不自分のサイトで確認できます◎ 



それからつい先日Twitterでも呟いたけれど、僕の2nd album 
「Vanishing Time」がCD baby, Amazon, iTunes等でのダウンロード 
販売を開始しました。1st albumも引き続きお買い求めできます。 
海外でも大丈夫。でもポーランドでは買えないと言ってたな。(何故?) 

Amazon, iTunesでは¥1,500。ライブ会場では¥1,000で販売しています。 
ここだけの話ですが、アメリカのAmazonのサイトで検索してもらえると 
$8.99でダウンロードできます。これが一番安いかな。 



チャップリンの話で始まり、何故だか自分のアルバムの話で終わるこの 
支離滅裂さ加減がきっと過去の記憶を無くしていってる理由なんじゃ 
ないかと疑ってみたり。。。うーむ。 

 

 

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2012年

1月

23日

In Dreams Begins Responsibility

 

2012年になって6つ目のライブが終了した。

去年に引き続き細々と活動を続けています。前回のブログに書いたように

あまりにもどこにも辿り着かなかった2011年を振り返ってみて自分の

行動力のなさに愕然として、今年は守り続けるべき日々の課題を設定。

こんなに怠惰な僕でも1日に3つのことなら年間を通じてやり続けていけるかも

しれないと内心ビクビクしながら決めた。

 

 

 

それは

 

 

 

①一日にビールを6杯以上呑まないこと。

②会話の最初に「僕」という言葉を使い過ぎないこと。

③迷ってるネコに巧妙に取り入ってひっくり返してゴロゴロ言わせないこと。

 

 

 

 

 

ええ。もちろん嘘です。

 

 

 

 

 

そんなの公表するもんじゃないんだろうと思います。

でもつい流れで書いてしまったのではなく、きっとまた年末になって振り返って

愕然と自分の失った時間について(というかその時間に何もしなかった自分について)

複雑な心境に陥ることになるわけだから、せめてシンプルにでも区切りをつけて

おこうと実際そんな大した事決めたわけでもないのに偉そうに書いたりしてるのです。

 

 

なんていうか「抱負のサブリミナル効果フィードバック」みたいなのを自分に、と。

 

 

 

 

一方に著しく向かえばその補償作用して同じ量だけ真逆の方向性が内包される。

振り子の原理みたい。極めて深い悪には同等の善性が含まれる、と書くと語弊がある

ように感じられるかもしれないけれど。

 

 

 

蝶が一見ひらひらと無目的に舞っているようにみえて実は人間には見えない

蝶道に沿って飛んでいるように、僕もまた自分における蝶道をそれと知らずに進んでいる

ような気持ちになることも。そう考えると何か具体的な行動を起こすことは蝶道そのもの

をデザインする(しかしながら自分にはそれが見えない)みたいなことかしら。

 

 

 

よくわからないけれどもう少ししっかりしなくちゃなと思いながら

2杯目のコーヒーを淹れたりして。説得力ないなー。

 

 

 

 

今回の映像は今年最初のソロライブのもの。また年末に比較しよう。

去年は最初の演奏と最後の演奏の間に大きな地震があった。

個人的にそれほど直接的な影響を受けたわけではないけれど、あの日を境に

何か決定的に変わってしまったように感じられる。もうもとには戻らないんだと

漠然とした観念にとらわれる。そしてその余波はまだ続いてることに憂鬱になる。

地震に限らず過ぎた過去はもうもとには戻らないものなのだけど。

 

 

 

ねこをゴロゴロ言わせるだけでは足りないんだ。

 

 

 

 

 

++++++++++++++-------------------------++++++++++++++

 

 

残りの今月のライブは;

 

 

 

 

1.25 新高円寺StaxFred       タカスギケイsolo 

 

                         出演:Bluehour/タカスギケイ/スエヒロカズヒロNilla

 

 

 

 

1.26 下北沢BigMouth            タカスギケイsolo  

 

            出演:川上彬子/田窪一盛/タカスギケイ/Kan HAAEM

 


 

 

1.31 三軒茶屋Heaven's Door   不自分(泥流/林/松林/澤野/タカスギ)  

 

          出演:transient film/TAKESI/ウソツキ/MIrror Moves/不自分   (順不同)

 

 

 

 

 

今年も、これからも宜しくお願いいたします☆

 

 

 

 

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2011年

12月

28日

entrance/exit

2011年もそろそろ終わろうとしてる。 
今年は自分なりに頑張ったつもりでいたけれど前に進まない航海であり 
前後の差異が見出せない地底探索だったな。まあそんなものだろう。 
そう思っていた。 



昨日、facebookでベーシストのkoyuさんが今年の始めに一緒にやったギグに 
タグ付けしてくれたのでほとんど12ヶ月ぶりにその映像を観た。 
まあご一緒するのも初めてだったので気の弱い僕はできるだけ邪魔にならない 
ようにコソコソと何か音を出してるのだけど(koyuさんは勿論すばらしい演奏を 
してるし、映像を観て改めて彼の安定感や世界観を再確認できた) 
これを観たあとに先日やった今年最後の自分のソロライブを観ていてふと 
自分で自分に疑問を持った。 



つまり今年2011年の最初と最後の自分のライブを映像で観たんだね。 
この1年間で変わった事と言えば帽子くらいじゃないだろか、僕。 



自分で思ってたこの1年間の「頑張った感」はいったいどこに行ってしまった 
んだろう? まるでそんなもの最初からどこにもなかったみたいだ。 
そしてそれが結果なんだと思った。うーん・・・マイペースにもほどがある。 
いやマイペースで良いのだけれど。 



こんなふうに公開的後悔なんかしても意味ないんだけどな。 
いや、慰めてもらいたいのではないのです。いろいろなことがあったように 
見えた1年だったし、実際に世界ではいろんな出来事があったし 
僕自身もその波をかぶってウロウロしてたはずなんだけど、映像を観る限りでは 
何も変わらない自分しか見出せない。これは問題ですねえ。 




これが僕の2011年における自分に対するのんきな感想。 
「これは問題ですねえ」 




今年も1年ありがとうございました。2012年も宜しくお願い致します。 




入り口↓ 

出口↓

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2011年

12月

14日

「ねこも口内炎」


寒い。12月だ。てゆうか、もう中盤だし。 
年末というのは何か人々のテンションが違って見える。 
気のせいだろかね。僕もそう見られてるのかしらん。 



池袋で二日連続でライブがあった。 
それぞれ西口側と東口側で。 


東口側でのライブの日、僕は終わって早々に帰宅しなくてはいけない 
用事があって他の出演者がまだ演奏してるのにも関わらず早歩きで 
家路を急いでいた。池袋の駅まで向かう裏道をiPodで音楽を聴きながら 
ギターを背負いエフェクターケースをゴロゴロと転がしていそいそと 
歩いていて、ふと顔を上げると斜め前方から白いだぶだぶのズボンを 
履いた坊主頭のおっさん(もしかして同年輩くらい?)がこっちに向かって 
すごい形相で歩いてくるのが見えた。 


「ん!?」と思ってそのまま歩いていくと彼は何か怒鳴り散らしながら 
僕のエフェクターケースを凄い勢いで蹴りまくり始めた。 
まあ本当は僕を蹴ろうとしてたんだろうけど、僕がとっさにエフェクター 
ケースを自分の身代わりに差し出したので彼はひたすらそれを蹴りまくる 
ことになったわけだが。 


彼は蹴りながら僕の顔の至近距離で何か怒鳴り散らしているのだけど 
なにしろiPodで大音量で音楽を聴いていたので彼の声がほとんど聴こえない。 
それにあまりにも突然のことで僕の頭もうまく回ってない。 

ちょっとちょっと・・・と思いながらぼんやりとその人を見つめてしまった。 
僕は口をぱっくりあけてその人の形相を見てた。 
でも足元をがんがんと蹴られているので意識は危険信号を発してはいた。 



でもね、ああいうときってすごく困るんです。 
蹴られてるエフェクターケースが気になりつつも、背負ってるギターを 
蹴られるわけにはいかないし、それ以前に「まあまずは話をきこうじゃないか」 
と尋ねるにもiPodをはずす余裕がない。それが突然の道ばたで見知らぬ人に 
ギタリストが蹴りまくられるというシチュエーションなわけです。 



しばらく蹴られてるうちに少しずつ意識がしっかりしてきてちょっとずつ 
腹も立ってきたのだけど、何しろ僕が喧嘩して勝てるわけもないから 
真っ向から相手するつもりは最初からなくて、ただ逃げるにしたって機材を 
抱えたギタリストというのは道行くおばあちゃんくらいのスピードでしか 
移動できないわけで。 



これで本格的に殴られたりする状況になったら少しは身を守る為に 
行動にうつさないといけないのに「ちょっと待ってくださいね」と言って 
ギターをそのへんに立てかける訳にもいかない。その間もずっとiPodは 
大音量で自分が今関わってる録りかけのレコーディングされた曲が流れて 
自分のソロが始まったりなんかしてる。このときほど自分のソロに腹が 
立ったことは過去にないなと思った。「あーうるさい、このギター。」 



というわけで気の毒にも何度となく蹴り続けられてる僕のエフェクター 
ケースはそのあいだじっと無言で耐えてくれて僕自身はこのシチュエーション 
をどうしたものかと途方にくれていた。 



そしたら若者の団体が通りかかって仲裁に入ってくれた。 
仲裁というか、僕が(僕のケースが)一方的にやられてたわけだけども。 


僕と彼を遠ざけてくれて、その男が怒ってさらに僕の方に向かってこようと 
するのを3人くらいで間に入って食い止めてくれた。みんな酔ってたけど。 



それでちょっと距離が出来たところでやっと一息ついて「かなんなー」と 
思いながらずれたケースをキャリーカートに縛りなおそうとしたら 
カートがバラバラと崩れ落ちた。まあ仕方ない、日頃から酷使していたし 
あんなに蹴られてはこんな安物のカートは耐えられないだろう。 



すっかり道草をくった。急いでたのに遅くなった。 
ギターソロもすっかり終わってる。 



幸いにもケースは頑丈で機材に損傷はみられなかった。それに僕自身も 
全くの無傷だった。不思議とその男に対してもそれほど腹が立たなかった。 
むかしLAで黒人のホームレスに襲われたときは殺されなくて済んだけど 
帰り道、ハラワタが煮えくり返って、でもその反面ひざがガクガクして 
まともに歩けなくてひどく惨めな思いをしたものだけど、今回に関しては 
そういう感情も身体の反応も僕の身には起こらなかった。 


ただ、この出来事は何を意味してるんだろう?と思った。 



意味なんてないのかもしれない。意味という言葉を使わないとすれば 
これは何のサインかしらん?と思ったわけだ。でもそんなこと僕に 
わかるわけない。そういうふうに考えるのが好きなだけだ。 




しばらくこういったことは僕の身には起こらなかった。昔はよくあった。 
でもいつからかそれは僕が自然に避けられる種類の領域に移行していった。 



気がつかないうちに随分と気を抜いて生きてたのかもしれない。 
長いこと東京にいてだらだらし過ぎたのかもな。 




この出来事の教訓はなんだろう? 

1「エフェクターは少ないほど良い」 

2「ちゃんと前を見て歩いて遠目から危険を察知するべきだ」 

3「自分の録音なんて聴きながら裏道を歩くものじゃない」 

4「蹴ってくる人の話をちゃんと聞こう」 

5「白いだぶだぶのズボンに坊主頭の人は全て危険人物だ」 

6「急がばまわれ」 

7「ねこも口内炎」 



いや、「ねこも口内炎」なんてことわざは存在しないです。 
でもなんとなく想像したらかわいいなと思って。口のなかが痛くて 
ちょっと顔をしかめてるのだけど「痛い」と喋れないことが。 




なにはともあれ僕を守ってくれたエフェクター達と通りがかりの若者の 
団体に感謝。Thanks. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

11月

20日

motion after-effect

絵:セキネコ
絵:セキネコ



珍しく休みの日。 


夕方に降った通り雨もすぐに去り、外は車やバイクが乾いた音をたてて 
道を横切っていく。すごく小さい音でプッチーニのオペラを聴く。 
ベタと言えばベタだけど昔からのリラックスするために流す定番の一つだ。 


6年前にサンパウロで一緒に活動をしていた矢崎愛/草村芳哉夫妻と再会し 
東京と新潟で演奏した。同じくブラジルから来ていたビブラフォンのアンドレは 
僕が大学時代に彼も同じタイミングで同じ学校にいたようだ。まさか同期とはね。 
言われてみればどこかで見かけたような気もする。気のせいかもだけど。 



演奏はたくさんの温かいお客さん達のおかげで無事終了した。 
矢崎愛達の演奏も申し分なかった。才能ある素晴らしい演奏家達だ。 


しかしながら問題は僕の方にあった。 
いや、終わったライブについて「あれは失敗だった」みたいなことを 
言うつもりはない。なんというか、自分の現在の立ち位置を再確認する 
時間になったと痛感した。 


前にも書いたけど6年前の僕は今とは違った感覚だった。いや僕に限らず 
みんな6年前と今が全く同じな人なんていない。ただ、僕に関しては 
随分とその頃の自分自身と乖離してしまったように感じている。 


あまり書き過ぎると言い訳みたいになってしまうけれど、簡単に言うともう 
適応できなくなっていた。2回くらいのライブではもう取り戻せなかった。 
それはそうなんだけれど、まだ今の段階では取り戻すことを恐れているように 
自分では思えた。だから実際に蓋が開いてライブが始まるまでわからなかった 
のだけど、思ったよりも取り戻せなくてライブでは随分と歯痒い思いをした。 


それと同時に簡単に戻らない自分にちょっと安心もした。 
自分のしてきたことを正当化したいからじゃなくて、なんていうんだろ、 
上述した「恐れ」の感覚があったからかな。 
時間をかけて丁寧に放棄してきたものを大事に扱えた気がして、演奏で 
もっと効果的で必然的な存在でありたかったことを別にすれば 
文字通り自分の今の立ち位置を確認/痛感できた、というのが大きい。 


そんな揺れ続けてる僕なのに広い心で温かく受け入れてくれて文句一つ言わずに 
一緒に演奏してくれた矢崎愛には大感謝だ。次回があるのだとしたら、是非また 
共演したい。もっとマシな仕事ができればといつも思っているけれど。 



-------------------------------------------------- ++++++++++++++++++++++++++ 



認識としては、自分が1人でやってる音楽というのは僕自身にとっての 
箱庭療法みたいなことで、あるいは「夢」の置き換え作業みたいなことで 
自分でも理解してないことが出て来てしまうのがこの活動の主な特徴なんだと 
最近感じるようになってきた。 


これは家で1人でやっても良いことなんだけど(実際やるけど)、ライブという 
環境は一つの特殊な環境なんだね。そこにはお客さんという他人の目/耳が 
ある。「関係性」というものが生じる中でその行為を行うことに大きな意味が 
見出せるように思う。 


つまり僕はカウンセラーの前で箱庭を作るクライアントになれるわけだ。 
おかしな順番だ、と人は思うかもしれない。僕がお金をとってお客さん達は 
鑑賞しに来るというのに、僕がクライアントというのはね。 

でもそれは一つの解釈であって、社会的には演奏家とオーディエンスという 
関係性が保たれてる。ホストはこちらでゲストは向こうだ。 
にもかかわらず、自分のやってる種類のことというのはそういった逆転された 
関係性をも内包することだと自分では捉えている部分もあると言いたかった。 


作品には鑑賞した人のぶんだけ解釈が存在する。 
でも作り手としては鑑賞してくれる人が存在するだけでいいんだ。 
彼らの解釈は嬉しいことだけど存在そのものに比べて全く別の価値を持つ。 
作り手は理解者を求めてはいても解釈を求めてるわけではないから。 
もちろん理解者達にはそれぞれの解釈があるからこそ理解者としてそこに 
存在していてくれるわけだけれども。 


クライアントにとって必要なのはカウンセラーが真剣に耳を傾けて話を聞いて 
くれることなんだと思う。彼らはカウンセラーの個人的な意見なんてあまり 
必要としていないんだ。きちんと向き合って話を聞いてくれるだけでその役割は 
既に遂行されている。 


だから僕は実はあまりお客さんに感想を求めてない。感想を頂くのは嬉しい 
けれど。僕からお客さんに何か尋ねるときは僕の音量が小さ過ぎたか?とか 
そういった物理的な部分のみ。聴こえる音量かそうでないかだけなんだね。 



偉そうに語るものでもないけれど、そういった種類の演奏というのは 
自己治癒効果を持つものだから、どうしても自分でコントロールしきれない 
ものになる。夢と同じだ。夢の内容をコントロールできないでしょう? 
でもライブで自分で演奏するとなればある程度は意識的なものになる。 
けれども「箱庭」を作るくらいそこには無意識的な要素が自分の意図とは 
裏腹に生じることになる。 


自分で何故そんな行動をしたのかわからないことが演奏中にいっぱい起こる。 
でもそれはいつもじゃない。適度に緊張していながらも適度にリラックスできてる 
時であったり、お客さんの雰囲気だったり、お店だったりする。 
その環境全てに影響されてるといって過言ではないと思う。 
思えば、店というのは大きな存在だ。店=ハコと呼ぶだけあって、自分も含めて 
そこに存在するお客さんと店主と椅子やテーブルや酒や料理の匂いや様々な装飾品 
やそれら全てが箱庭の一部として全体を形成してる。「ハコ庭」なんだね。 


だから個人でやるライブハウスの店主というのは毎晩のように箱庭を作る 
ようなものなんではないだろか。もちろん彼/彼女が意図的に作るだけでは 
物事は動かない。だからこそその晩がどんなふうになるのかはコントロール 
できないわけで、そこに無意識が滲み出る領域が出来上がるんじゃないかと。 


別に個人である必要もないわけだけど、個人の方がその捉え方がわかり易い 
かもしれないなとは思う。 


箱庭と言えば、自分のエフェクターボードを見ていても「これは箱庭的な 
要素もあるんじゃないだろか」と思ったりもした。単なるこじつけかもしれ 
ないし、或いはあたってる部分もあるのかもしれない。 


自分のことは棚に上げて言うけれど、他人のエフェクターボードって 
ギタリストはみんな興味深いものなんだ。そしてそれらは本当に千差万別に 
その人らしさが滲み出てる。ギタリストのボードの中ってその人そのものだ。 
まあアンプに直みたいな格好いい人も中にはいるし、ボードを組む人ばかり 
でもないのでこれはちょっと極論。面白いから書いただけ。無責任。 


でもユングの家が彼自身のある種の曼荼羅であったことを考えるとそういった 
ことは全てに見出せると思う。「神は細部に宿る」だね。 
言葉の意味が違うか(^_^; 



音楽の世界で「病」という言葉を使うと抵抗を感じる人もいると思う。 
医療の世界で「作品」という言葉を使うと不適切と感じる人もたぶん。 
日本で「神」という言葉を使うと胡散臭い人と思われたり。 


でも割と自分では全て同じ領域の事として言葉を選んでるような気がしてる。 
それは意識下のことだけれど。無意識は時としてもっと不思議なものを 
投げ込んでくる。こうして書くブログ的なものはいつも意識的に過ぎる傾向 
があるかもしれない。何かを求めて書くのだけど何も顕現しないことが多い。 


きっとそれはブログだからかな? 
誰かに宛てて書けばそこには顕現するかもしれない。 
昔はよく手紙を書いた。退屈な授業中とかに。でもそれらの手紙は誰にも 
送られるものではなかった。でも手紙は距離感が違って無意識にぽろぽろと 
自分がこぼれてくることが多かったように思う。 



手紙っていいですよね。最近のポストは主食を食べない僕みたい。 

 

 

 

 

 

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2011年

11月

03日

獺祭魚a

2006年にブラジルから帰国して、この冬になって初めて風邪をひいた。

2006年から一度も風邪をひいてないというのは自分の中でもびっくりする

事実だったけれど、そろそろひくだろうとは思っていた。予感というか。


むしろ そろそろ風邪でもひいてくれないと困るなと思っていた。

人は時にはバランスを崩してまた立ち直るということを必要とするものなんだ。

直立二足歩行の生き物は基本的に転ぶものだから。関係ないか。はは、こじつけ。


久しぶりの喉と鼻の奥の痛み。なつかしい。

ボンヤリした頭で借りて来たマリアカラスのドキュメンタリー映画を観た。

彼女が「与えられた」人生を考えた。

マリア自身が「与えられた」と感じた事柄と、実際に彼女が「与えられた」もの

との落差について思いを巡らせた。

ついでに「獺祭魚a」という曲を録音してみた。

いや、この映画とは特に関係ない曲だけど。

いつものように適当にギターを弾いてるだけ。ライブと同じ一発録り。




先週末は宇都宮に行ってきました。Bar Lynchという空間。

狭いスペースでとても親密な人々に囲まれて良い時間でした。

演奏そのものはあまり集中できず、ちょっとだらだらしたものになってしまった。

でもお店のオーナーのカズさんの音楽的趣味はとても良いし(常に気になる音楽を

かけてる印象)、タイバンしたBastetさんも良かった。

あのバンドはまだまだこれからも化けそうな感じ。

 

以前 日光の実験音楽祭というのに参加させていただいたときにこちらの

マスターと知合って(日光のランカトルグカフェのオーナーでもある)、そのご縁で。

もともとはムーンカンパニーの谷津さんの紹介で知り合いました。

谷津さんというのは僕がまだソロで弾き始めた矢先(2年半前くらい?)にStax Fred

Big Mouthで演奏するように紹介してくれた人。Asia SunRiseさんと地方での

ライブを組んでくれたり。そんな訳で今まで自分とは縁もゆかりもなかった弾き語りの

ハコや弾き語りのアーティスト達とつながりを持つようになったんですね。

 

 

狭い東京、近くに住んでいてもテリトリーが違うだけで意外と会わないみたいで。

同じ理由で最近は全くジャズの人々との接触が失われてる僕なのだけど。

 

 

ちなみに宇都宮では写真家の山口稔さんという僕の2ndアルバムのジャケットや

ライブで使用するスライドショーを作ってくれてる方に大変お世話になり、

その山口さんとは2年ほど前に益子のイチトニブンノイチカフェというアート空間な

場所で初めて会ったんです。僕のライブと彼の写真展が同じ日に同じ場所で行われた

というのが正確な事実かな。そんな背景もあって今回は山口さんご夫妻に連れられて

2年ぶりにお邪魔してオーナーのまなぶさんが忙しそうにする姿を眺めながら

美味しいコーヒーをいただいてきました。

店に入るなりすぐに「ケイくん!」と思い出してもらえて嬉しかった。

こちらのオーナーもかなりアートに造詣が深く、コンセプチュアルで精力的に

ご自身の活動をされてる方です。こちらももともと谷津さんのご紹介。

 

 

久しぶりの益子も良かったけれど、今回は主に宇都宮にいました。

上述の山口さんの奥さん(ゆみさん)の美味しい手料理に舌鼓を打ち、山口さんと初めて

酒を酌み交わし彼が影響を受けたという写真集をいくつか拝見させていただいた。

とても興味深い体験でした。写真のことには全く無知だった僕だけれど実に面白い。

まだデジタルを使う前の山口稔氏がこもって写真を制作していたアトリエのような暗室を

案内されて内心ワクワクしてしまった。その部屋とそこにある特殊な機材のもつ時間の蓄積に。
スタジオもそうだけど、僕は人の作業の痕跡の残ったプライベートな作業場にとてもとても

魅力を感じるんです。貴重な経験となった時間でした。



さて、ここに書いたいくつかの繋がりからも今月のライブは発生しています。

 

 

順番は滅茶苦茶になっちゃうけど、まず冒頭に書いたブラジルですね。

2005年当時、僕はサンパウロでGereia Geralというバンドに参加していて、

リーダーであり作曲家/ピアニストの矢崎愛が久しぶりに帰国ツアーをやるというので

都内と新潟の2つだけ参加させてもらうことに。フライヤー → 今月の13日18日

 

矢崎愛のオリジナル曲はクラシックの素養とブラジル音楽の様々なスタイルからの構造、

それからジャズ的テンションに美しいメロディという感じだろか。

今回のツアーに参加するブラジル人のアンドレジュアレスはミルトンナシメントや

エグベルトジスモンチなど多数の名のあるアーティストとの共演歴を持つ人らしい。

彼の経歴は最近知ったけど凄いですね。

 

楽しみではあるけれど、僕自身が最近すっかりこんな感じ(?)のふわふわした

演奏家になってしまったので上手いこと合わせられるのか少し不安(^_^;

矢崎愛は今2枚目のソロアルバムを製作中で、僕は1曲参加する予定なんです。

最近懇意になったというジョアンドナートの曲を自分のアレンジでカバーするみたい。

出来上がったら買ってくださいね♪

 

 

それから13日 中目黒 楽屋で一緒にやるライブでは江崎とし子さんも参加します。

江崎とし子さんの去年発売されたアルバムに僕も少しだけ参加していて、

その中の「浮遊する白」という曲は実は僕が今年作った2ndアルバムの「消滅ノ時間」

と同じ曲です。

江崎さんのブログでも紹介してくれていた(感謝!)けれど、この曲はもともと

江崎さんのアルバムの為に書いて先に収録されていたものを、僕が勝手に自分のCD

にもちゃっかり応用してしまったんですね。でもサウンドは異なります。

江崎さんのはご本人の存在感溢れるwordless voiceが入ってより短めなアレンジに

なってるのに対し、僕のは声無しのおおもとのテイクです。興味を持った方は

江崎さんバージョンも是非 購入して聴いてみてください♪




(このあたりのアルバム情報は以前のブログとも重複していますがまだ読んでない方の為に。)

 

 

 

さてそれから。


先ほど紹介した谷津さん繋がりでもある「えこ」と11/5に西小山slowで演奏します。

数年前にも同じ場所で同じメンツでほぼ同じ事をやりました。

水中写真家の中村卓哉さんも参加して彼の作品のスライドショーとトークも合わせて。

えこも何枚目かのアルバムをリリースしたばかりで、僕自身は彼女の2枚目の作品と同様

今回も1曲だけ参加しています。

えこらしい素朴さとある種の諦観を持った深さ/シンプルさをそこに感じました。

田辺玄くんの素晴らしいmixやギターサウンドもこの作品の通奏低音的な雰囲気を支える

一つの柱になっていると思う。こちらもおすすめ作品です。是非♪



いやあ、他の人のアルバムだとこんなに簡単に購買をおすすめすることが

できてしまうんだ。自分のは申し訳なくてなかなか堂々と「買ってね」とは言えない。。

そのことを先月 小野一穂くんに叱られたばかりだったな(笑)
ものを売る人はそれが料理屋さんであれ建具屋さんであれ自信を持って自分の作ったものを

勧めるべきなのに。むしろ「申し訳ない」と思う方が失礼かもしれないのにね。

だってレストランで「申し訳ないですが」って料理出されたら心配になりますよね。

僕もそう思って自分の売りながら逞しく生きていこうと思ったりもするのだけど

やはりどこか疑ってるフシがあるんだろう。自分自身を。情けない。中途半端な証拠だ。

「だってこんなに不安定な自分が作ったものなんて」と考えてしまう。



そんな売れないギタリストの葛藤はさておき、閑話休題。

 

 

 

さて、他に宣伝すべきライブは「不自分」ですね。

泥流ことデールストロンバーグの楽曲をバンド編成でやっています。

彼は弾き語りで登場したのでその頃からの彼の世界観を好んでいる人々は

アコギ1本での彼の詩/歌を堪能してきたはずだけど、一緒にやるようになって

若干ポストロック路線の方向で少しずつ成長している段階です。

まだまだこれから発展していくはずのバンドなので温かい目で見守ってあげて

時々ライブに来てはその成長ぶりを楽しんでもらえたら嬉しいです。

僕としては「様変わりしたと言われるほど化ける可能性」を持ったバンドの

つもりでやりたいのだけど。そう簡単には化けないですね(笑)
今月のフルバンド編成でのライブは4日 と26日になります。

泥流のフライヤーやライブinfoは「不自分」まで。




さて、そんなところかな。自分のソロもたまにやってますが

まあ僕のは・・・ねえ(それがいけないってさっき書いたばかりだ。。)

 

 

 

それでは今回も長いブログになってごめんなさい。

ライブ会場でお会いしたら「ブログ長いよ」と苦情をください。それでは。

 

 

 

 

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2011年

10月

02日

ちなみに

映画の事をブログに書いたけれど、今頃になって思い出した。 


あれは通奏低音的に「ヨブ記」を持ち出していたことを 
すっかり書き忘れてた。「神は与え、神は奪う」のヨブ記だ。 



そういえばC.G.ユングは「ヨブへの答え」を書いていたなあと 
思って。でもあれはユングがあの時代のヨーロッパに生まれ育ち 
いろんな意味で宗教的な在り方に疑問を持ったからだと思う。 
彼自身の父親との関係性もあるし。 
彼が例えば日本に生まれていたら「ヨブへの答え」は書かなかった 
だろうと思える。本当にそうかはわからないけれどかなりの確率で。 
(いや、内心では「絶対に」とさえ思ってる) 


でもともかくヨブ記ってなんだかいいなあと思う。 
ああいった凄まじいものは東洋にはない。 
なんていうのかな、ある種の厳しさ。異常にさえ思える。 
ああいったものが根源的にあることが時に羨ましくさえ思える。 
屈折し過ぎていてというか、ややこしくてその真意が見えにくいのだけど。 

「神から幸福をいただいたのだから不幸もいただこう」という概念に 
に感銘を受けてるわけでもなくて。不遇や災いに対する向き合い方と 
いうべき「姿勢」を敬うわけでもなくて。 


そういった厳しさを育ちながらに内在させてる上での「葛藤」というところに 
価値があるように思える。実際に「神は与え、神は奪う」を本当に理解してる 
イエスの信者はそれほどいないんじゃないかとさえ思える。想像だけれど。 


もちろん僕だって理解してない。当然だ。 
でもその理解し難いからこそ考えあぐねて葛藤をしてる信仰の姿は僕から 
見てとても理想的な宗教のカタチだと思える。 



そう、あの作品は「ヨブ」を基調としてるところにフックがある。 
それで前回書いた「葛藤」が本質的にソリッドに表現されようとしてる。 



なんだか帰宅して夜中にそんなことをふと思いついたので忘れないうちに 
書き留めておこうと思って。まあ自分の為に。別にキリスト教徒でもなんでも 
ないのだけれど。そもそも「原罪」という感覚が日本人には馴染みがないから。 

 

 

 

 

 

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2011年

10月

01日

映画館にて

少し涼しくなってきた。 
暑いの苦手な僕としては良い感じ。夏生まれなのに。 


今日は久しぶりに何の予定もない日。 
長いつきあいの親友に勧められた映画を朝から観に行くべく早起きし 
コーヒーを淹れて小さな水筒に用意する。 



朝からバウスシアターに行く人なんてサボりの学生か僕くらいだと 
思っていたのに想像に反して年配の女性が多い。なるほど、まあ 
そんな時間帯ではあるな。タマゴと野菜のサンドイッチを買って少し 
早めに到着。始まるまでに席を確保しiPodで古いサンバのオムニバス 
音源を聴きながらカバキーニョの音と共にこっそり食事。 
どうして水筒に入れたコーヒーって香りが逃げちゃうんだろう? 


でも古いサンバの音源というのは誰が誰なのか全く知らないのだけど 
なんだかとても実態感のある匂いや雰囲気を運んできてくれる。 
聴いたその瞬間にブラジルのとある無名なバールに一人で座ってるような 
気持ちになれる。最初にその種の音楽を聴いたときはなんとなく地域密着型 
というか、日本で言えば居酒屋で歌謡曲や演歌が流れてるような感じで 
とても自分の趣味と合わなくて気になったものだけど、今では自分を 
その無名なバールに引き戻してくれる手段の1つになっている。 



さて。ともかく映画が定刻どおりにスタートした。 
何の予備知識もなく行ったのだけど、とにかく友人のおすすめだった。 
できれば劇場で見て欲しいということだったし、今日がその会場での最終日 
だったこともあって来てみたわけだ。 



"Tree of Life"という作品。巷では宣伝もちゃんとされてたみたいですね。 
僕はTVも持ってないし、映画の宣伝なんてまず見ないので全く知らなかった。 



始まってみてそこにドローンのように存在するある種の宗教性を思った。 
そのキリスト教的葛藤がコードのルートでありトニックなんだと思った。 
こういう感覚って日本ではあまり浸透してないんじゃないのかな? 
日本の普通の感覚からしたらもっとパーソナルでノスタルジックな感覚で 
観てしまうんじゃないのかなと思えた。ここでいう「普通」というのは 
多分に語弊を含んだ言い方だけれど、キリスト教やイスラム教やユダヤ教 
でさえこの国に入ってきたら「日本風」な解釈に変化してしまうのではないかと 
常日頃から疑ってるフシがあるので。 


仏教もそうだし。「戒を守る」という感覚を保ち続けにくい環境が日本の特徴 
だと僕は思う。結局そこに疑問を持ち、どうにかして自分なりの戒律を構築し 
守り続けようとする人はマラソンをしたり山登りをしたり自転車をしたりと 
そういった方向に向く傾向があるように見受けられる。 


意識的に社会から隔離されようとするとそうなってくるんだろう。 
もちろん引き蘢りもある意味では同じ事なのかもしれない。でも能動的に「戒律」 
を守ろうとする人は能動的に動くことを自分に強いることが多い。 
引き蘢るとむしろ「何もしないことを強いる」ような結果になり、それは結局 
「戒」ではなくなってくる。 


いずれにしてもマラソンや自転車をする人が「宗教的」という意味じゃないです。 
ただ自分自身と向き合う行為というものの在り方の傾向についての印象。 
たとえそれが唯一の「逃げ道」だったとしても。 




映画の話と関係ないですね。失礼。 




映画の中では長男の視点のようなものを借りて繰り返し問い続けられる。 
それは時には長男だけではないみたいな感じだけどともかく。 
そこには本来なら盲目的に信じられるべき信仰と、明らかな懐疑と、救済を求める 
切実なあがきと、それらの思いを現実の自分の置かれた環境に照合して答えを 
探そうとする出口のない問いかけがある。 



僕は映画の出来の善し悪しを発言するほど映画そのもののことはわからない 
けれど、まず個人的にそういった総合的な葛藤にとても共感を持てた。 



自分の信仰を疑い、同時にすがろうとする。 
そこには明らかに目には見えない戦いがあって、彼は人生に苦しみながら同時に 
宗教によってより深い矛盾の受容を迫られている。疑うことがさらなる苦しみを 
生んだりする。疑わなければもっと幸せなのかもしれない。 



それは思春期のバランスの崩れた自我の葛藤と両親の存在の巨大さと身内を亡くす 
喪失感によって少し誇張気味に表現されるある種のテーマの1つだ。 
そのテーマにカウンターメロディーのように差し込まれる地球と宇宙の「存在」を 
表現するある種の美意識。 



美意識はすべて「イメージ」で表現されていた。それは現実的な建築物の風景から 
建物内のあらゆる角度からの描写から、また自然の風景や自然模写的風景の全てに 
ちりばめられた「象徴性」によって。 
それら全ては総合的にマクロとして表現されていながら同時にミクロのどの部分を 
切り取っても同じことだというニュアンスが含まれているようにも見える。 




でもとにかく、そこには安易な「救い」や安易な「神による解決」なんかは意識的に 
排除されている。強いていうなら「葛藤そのものが宗教である」ような一面を浮かび 
上がらせてフォーカスしてるようにも思える。 


あるいは特に「宗教」ということを強調したかったわけでもないのかもしれない。 
でも明らかにそこには救済というテーマがあるし、それはキリスト教の家に生まれた 
者が内在的に持つ葛藤を含めて日常や人生を表現してる。 



宗教って言うと人はまず一神教と多神教で分けてしまうし、宗教団体的な活動も 
想像してしまうのだけど、シンプルに「葛藤すること」という基本軸を設定すると 
(つまりそれは全ての人間がすることなのだけど)「信仰」ということの本質が 
少しは見えてくるような気がする。わからないけれど。 



それは例えば戒律を守り続けることがもっとも単純に向き合える1つの手段であり、 
また、死ぬまでやり続けるには非常に難しい事柄だったりするんだろうな。 
だから日本の坊さんの多くは戒律を守らない。結婚式や葬式と一緒で儀礼/儀式的に 
形式化されてるだけ。それは僧侶という役を演じているだけで本質とは無関係だと 
僕は思う。でもそんな役割の人が社会に少しはいないと社会というシステムが 
機能障害を起こすので古くに組み込まれた役柄設定なんだろう。 
「父親」というのもそうかもしれない。一夫一妻制がなかった頃は「父」という 
概念の役割がきっと全く違っただろう。 


いずれにしても社会においてはそんな形式化された本質とは無関係な存在さえ 
人々は依存して生きてるし、その依存自体は少しでも苦しまずに生きていく上で 
少しは機能しているようにも思えるので、むしろそれは「役割を演じること」の 
本質的重要性なんだろうと思う。人は生きる為にどんなものにでも依存できると 
僕は思う。それは何かの「代理」なのかも。 




話がそれたけど、「葛藤」というのを基本軸に捉えて生きてくことを考えると 
それが一神教だろうと多神教だろうと、プロテスタントだろうとカトリックだろうと 
真言宗だろうと日蓮宗だろうと華厳宗だろうと個人的な本質とそれによって行える 
行動は似たようなものになってくるんじゃないかな。 


それは本来、個々人が各々の中で行うことであって、でも実際にそれをやり遂げる 
ことは非常に難しいので集団的なアクティビティーが必要となったのかもしれない。 
でも人は集団になれば「派閥」が生じる。個人は二人以上が集まれば社会になる。 


あるいは順番は逆かもしれない。 
派閥が発生したのでその集団性はより集団的特性を獲得し、それによって 
ビジネス的にも政治的にも大きく力を持つようになっていったのかも。 


宗教団体的なプロパガンダやそういった政治的なものも含む利害のことは さておき、

個人が自分自身とまっすぐに向き合ったときに時々垣間見えてしまう「無」 
について「絶望」をプリセットで内包してることに対する「無意識的な手段」として 
表出してきた概念なんじゃないかなと僕は宗教の本質について想像するのだけど。 



つまり「絶望」は生を授かると同時にデフォルトでついてくるのだと思う。 
それは人間だけがそうなんじゃないかと思える。そりゃあ多少の例外はあるのかも 
しれない。鬱気質のネコもいたりするのかも。でも人間は言葉というものを獲得して 
しまったので結局「概念」も獲得するに至ったわけだ。 
それでいろんなことに意味を見出すようになってしまったんだね。 



んんんん、いいやそうじゃないのかもしれないな。 
「絶望」という感覚はひょっとしたら概念ではないのかもしれない。 
だとしたら人間だけに与えられた感覚ではないのかもしれないとも思う。 



でもその他の動物達はそういった大いなる絶望に対してもっと寛容的だと思う。 
それは受容するしないとかじゃなくて、そこに意味や価値を見出してないだけという 
理由なのかも。つまりそこに意味や価値があることを見出してしまった者が絶望的な 
要素も見出してるだけなのかもしれないな。言い方を変えると「無」を絶望的に 
感じる生き物が人間ということかしら。そうだとしたらやはり「絶望」は概念だ。 
ここでいうところの「無」という概念が絶望感という感覚を象徴してるだけなのか。 





ただ、「無」だって言葉で表しているうちは「概念」に過ぎない。 
だから映画ではイメージを使用したし、そこに説明を必要とはしなかった。 
その代わり「問いかけ=葛藤」を持ち込んだ。 



もっとも、映像として美意識的に表現されていたものは「絶望」や「無」なんか 
ではなくその真逆の事柄だった。でもそれは「希望」そのものではなかった。 
だから「絶望」と「希望」の二律背反性はここでは排除された。 
そうだとしたら「有」を表現してたのかな。「在る」こと。 
でもそれは「無い」をも同時に意味してる。だからそこで「絶望」がテーマに 
なってくるんだね。「在る」ことはそれが永久には続かないことをも意味する。 
だから「無くなる」ことも内包してる。そこに本質的には意味はない。 



だから生きた人間が葛藤して見出そうとするのは漠然とした生きることの意味とか 
何故生まれてきたのかという一般論的な事柄ではなくて、「自分が」「自分は」 
という限定性の中で初めてそれらの意味が生じるのだと思う。 


個人個人が宿命的に抱え込んだ命題なんだろう。 
そこに焦点を当てて初めて「宗教性」が本質的に意味を持つと思う。 


「自分」をつきつめていけば「他人」にも行きつくし、その逆もまた然りだ。 
でもそれを極限まで細分化していったのがキリスト教をはじめとした個人主義的 
傾向だったし、仏教なんかはその対極みたいに統合して「無」とか「空」とかに 
還元したみたいに見える。歴史が古いのは仏教かもしれないけど、キリスト教が 
その概念を生んで自然科学が発達したことを考えるとどちらも人が生んで時代や 
歴史ごと揺さぶり続ける存在ではある。 

キリスト教は「精神と物質」を先ず2分化した。基本的に0と1みたいに細分化する 
傾向があると思う。対立概念ではないけど仏教なんかでは全て0みたいな感じの 
イメージが僕はする。「無」とか「空」というのは。 



結果や傾向は全く違うけど、出発点は同じように思うんだけどな。 
救済を求めていたのではないかと。 
そういった人生のデフォルト的葛藤を美醜を問わないことと知りつつも、 
美しいものとして表現した映画のように感じた。主にキリスト教的視点から。 


だからこそ象徴としてのドアがそこに配置されたんだろう。 
そのドアは入り口であり出口だ。優れてドア的象徴性を備えてる。 
特にそこにドア以外に何も存在しない時は。 


そう思うとドラえもんの「どこでもドア」という概念は凄いですね。 




これがこの作品についての今年の感想文。 
もう一回観たらまた違った印象を持つのかもしれないけど。 

 

 

 

でも主に宗教的側面から書いてしまったけれど、タイトルが示しているように

人の営みもその永続的な繋がりもまた自然の一部であることを表しているように

感じられて興味深く観て来ました。好きな作品だったよ。



(それにしても多くの偏りと説明不足な内容になったなあ。。。) 

 

 

 

 

 

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2011年

9月

14日

フレームについて


2枚目のソロアルバムを作って7月に出して、その後。 


8月はなんだか忙しかったな。ライブも沢山やった気がする。 




9月に入ってもバタバタしてて。 
なんだか落ち着かない気持ちのまま時間だけ進んで行く感覚はもう 
いつからそうだったのかが思い出せないな。浮ついてるのかしら。 
浮つく理由もないままに。 




さて。 



以前、TwitterにBrian Enoの言葉をメモ用紙代わりにつぶやいた。 
フレームについて。フレームについて。フレームについて。 




フレーム自体が自分の価値基準なのだろか。 
それは写真家がシャッターを切る瞬間みたいに。 


被写体が何であれ、写真家も絵描きも自身のイマジネーションの中で
自前のフレームを設定することによって「何か」を切り取る作業をしてる。 
それは音楽においても同じことなんだよな、ともいつも思う。 


つまりはそのフレーム設置行為そのものが「その人」の価値基準だということになるんだと
仮説してみる。被写体そのものではなく。だって同じものを見ていながら、その解釈によって
それぞれに見える「モノ」があるわけだから。 


「ただの存在」を自分にとって「意味のある存在」に置き換えること? 



とにかく被写体(あるいは物事における被写体的な存在)は誰かが「切り取る」ことによって
初めて被写体として存在するのかもしれないと考えてみる。 
それは往々にしてフレームを自分から「置く」という行為なんだろうな、と。 



つまり「どこにフレームを置くのか?」という設問になるんじゃないかしら。 
それも「いつ」置くのか。いつ/どこに置くべきかを自分は知らされているのか? 



それは音楽や写真や絵画だけに限ったことではないと思ったりもする。 
自分が関わる物事であれば全てにおける設問になるんじゃないのかなと考えたり。 






ふとそんなことを思ったのは8月いっぱいで営業を停止してしまったルイナの 
入り口の暗い階段の下から地上を見上げたとき。 




入りの時間が比較的早い時間帯で、僕はまだ店主の到着する前に着いてしまった。 
地下のドアの前でぼんやり佇んでいて、ふと階段の上を見上げたらそこに切り取られた空が見えて。
夕方の地上は暗い階下から見上げるとまだまだ明るくて真昼のようだった。
そこにすごいスピードで夏の雲が流れていくのが見えた。 





外で空を見上げたときはそんなふうには見えなくて、雲もいつものようにぽっかりと浮かび
流れているのかいないのかわからないくらい緩慢な存在だったのに。言葉ではうまく説明しにくいのだけど、
うす暗い地下から見えた小さな四角いフレームに収められた空は明らかに「別の何か」に焦点が
しぼられていたように思う。 





それは不思議な気持ちを伴う時間だった。何か見てはいけないものを見てしまったような気さえした。
不吉ではないけれど、何かの核心に心の準備もないままにふとしたはずみで触れてしまったような。
ああいった種類の静けさを味わうことは今までなかったように思えた。どんな森の奥でも。 



そこは池ノ上の駅前なのに。でもそれはほんの一瞬のできごとだ。その瞬間の中にすごく長い時間性を
含んでいただけなんだと思う。その時間性はフレームがそこになかったら気づく事の無かったものかもしれない
と後になって思ったわけだ。 




それがフレームを置くということなんだろか? 




フレームと時間性はどんな関係なんだろう。そこに切り取られることによってある種の深い時間の流れが
見え易くなる、とか?自分の血管を通過する血流の動きはそのままでは見えないように? 


フォーカスすることとフレームを置くことは似てるところもあるけれど微妙に違うのか。そこにフレームを
置くことでフォーカスされる何かが浮かび上がったりするのかな。あるいは置く人は浮かび上がらせるものを
その目にフォーカスしているからこそフレームをそこに置くのかもしれない。その2つの行為には先も後もない
のかもしれないし、あるいは厳密な手順が存在するのかもしれない。 




ともかくそんなことをぼーっと考えてた夏の夕方の数分。 
何で今頃になってそんなことを思い出してここに書こうと思ったんだろう? 
でも思えば その日がルイナで弾いた最後になったな。 
感傷ではなくてね。今は無機質にふと思い出しただけ。かたくもなく、やわらかくもなく。 
あたたかくもつめたくもなく。 





うーん。とりあえずコーヒーでも淹れよう。 






関係ないけど↓ 無機質で無感情で無意味。 

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2011年

7月

24日

it is true, but it is pity you have said it

育つ石
育つ石
大事な友人達の結婚をお祝いし、大事な友人の娘が1歳の誕生日を迎え、
日本から遠く離れた国でテロのような事件があった翌日。
台風の影響か2〜3日涼しい日が続いていたけれどまた夏な感じに戻って
きたみたい。



最近どうも口数が多いような気がする。人と話してもメールを書いても。
ちょっと控えよう。直接的過ぎる言動は自分をダメにする。
喋らない生き物だったら良かったのにね。そう、たとえばカエルとか。
カエルならきっと無口ではなくても言語化できないだろう。



言語化しないことをこのごろよく考える。
それで逆に最近書かなかったブログに矛盾しながらも書いたりして。
でも直接誰かと会話したりメールしたりするよりもずっと間接的だ。
自分の口数が多くなってくるのは危険信号だと思う。




ところでアルバムの話。



1枚目の「えんちょうじが」を出してから音源がまた溜まってきて
しまったこともあり、そろそろ2枚目を出すことに。
1枚目の時もそうだったけど、アルバムの為に音源を作るのではなくて
溜まったからアルバムにするという記録式のやり方なのでそれがCD
なんかになる頃にはもう随分過去の作品ということになる。


まあタイムリーではないけれどこれはこれで良いペースだと自分では
思う。売れてないことの良い側面だ(^_^;


アルバム1枚の曲数が少なくなる傾向にある昨今、15曲入りという
今どき珍しいことになってしまって。
まあ1曲がそんなに長くはない(ライブで弾くときほどにはという意味)
のでそれだけの曲数でもCDというメディアの容量に収まるのですね。


今回は自分でずっと否定してきた声を入れてみた。実に6曲ほど。
とはいえ明らかに声とわかるのは1曲だけで、あとは目立たない程度に
ちりばめてあるだけ。自分の声はとにかく嫌いだったけれど
でもそれは何はともあれ自分のものなので使ってみようかと。


「声」という素材はすきで。人の声ってのは個性そのものだから。
それが自分のものでさえなければ本当に愛すべきオリジナリティを
それぞれに感じられる。自分の声が許せないのは自分の顔が許せないのと
同じような事で、ずっと毛嫌いして放置してあったのだけど。
でもまあ歌を歌うというほどの感じではない程度でなら使ってあげても
いいかな、くらいの年齢になってきたということかな。


今月の最初にみた夢は「嘔吐しながら歯が全て抜け落ちる夢」だった。
そういうのと関係があるのかも。ないのかも。



1枚目のジャケットは自分で絵を描いた。それも僕にとっては自分で
声を出すことと同じようなステップのことだった。
今回はライブで知り合った山口稔さんという写真家が写真を提供して
くれたばかりかジャケットまで作ってくれた。


2年近く前に栃木県の益子にあるお店でライブをした日、その写真家は
同じお店でギャラリーとして展示会を行っていたのです。
イチトニブンノイチカフェというアート空間なスペース。
主にモノクロ作品を好む人で僕もその場で作品を一目見て惹かれてしまった。
実を言うと その日会ったきり一度も再会してないのだけど
メールのやり取りを続けていて それこそ禅からシュタイナーからユングから
グノーシスからフーコーみたいな会話をいつも文面上で交わす関係になり
おかげで今回のジャケットが実現したというわけです。


僕のサイトの主な写真は彼がそのライブの日に撮ってくれたものだし
今度7/28に新高円寺のStaxFredでやるライブで使うスライドショーも彼が
作ってくれたもの。僕が弾く遅いテンポに合うようなとてもゆったりした
スライドショーです。僕が自分で作ると異常なスピードのものになってしまう
ので、そうすると写真を殺してしまうから。何故かはわからないけれど
自分で作るとちょっと分裂症気味な作品になってしまう。どうしてかな。



というわけでアルバムジャケットとスライドショーは敬愛する
写真家・山口稔 氏の手によるものです。



それから最近 僕のフライヤーや一緒にバンドをやってる泥流(不自分)
フライヤーに絵を提供してくれている画家のセキネコさん。
彼女の作品を盤面に使わせて頂きました。セキネコさんという画家は
カオス的な方向には行かずに 主に一点もので表現するタイプの人。
特定のモデルを必要とせず 頭の中のイメージのみで生み出していく人です。

作品はいつも様々に不思議な生き物というカタチをとって生まれてくる。
それらは異形の者達でありながら超がつくほどのバランスで自立してる。
そう、なかなか転ばない不思議な安定感がそこにはあります。
優れたアーティストはみんなそうだけど大した集中力だといつも思う。

僕には集中力が欠けてるのだけど、でも僕が音に変換することで自分の
バランスを保ってるのと近い感じのする作品の人だと思う。
その行為が自分自身を救ってることに無意識に反応してるような。
言うなればセキネコさんも僕も「自分の影」にカタチを与えているような
スタイルなのかもしれない。ユング的にみると。
制限連想的掘り下げ/飛躍 型ですね。タイプファイするなら。




それから僕よりもmacに強くて僕が持ってないCS4を駆使して手伝って
くれた泥流。彼もなかなか忙しい男だけれど快く協力してくれて。
関わってくれたみなさんには本当に感謝です。言い表せないくらい。
幸せ者です。




とはいえ、まだ入稿してなくて(^_^;
間に合えば今度の7/28のライブには持って行けたらなあと思ってるのだけど。



1枚目同様、ライブ会場では1枚¥1,000にて。
iTunesやAmazonでのダウンロードは恐らく¥1,500になるかな。
ダウンロードの場合は僕のサイトの「about me」の欄に3枚の色違いの
ジャケットがあるのでそこから好きなのをコピペして使ってもらえたら。


そうそう。ジャケット3枚あるんです。いろんな人に「どれが好き?」って
尋ねてまわったのだけど、面白いくらいみんなそれぞれに違って。
割合で言うと丁度 均等に意見が分かれたのでじゃあってことで。




アルバムは「消滅ノ時間」と名付けたのだけど、これは同名の曲を
前に作ってあったもので。去年の9月くらいかな?いつだったかな。

江崎稔子さんというシンガーの一番最近のアルバムに1曲書いたんです。
その中では江崎さんの声が絡みつつ、もともと作ったものの半分くらいの
長さで収録されています。タイトルも僕が決めて良いとのことだったので
物理を職業にしてる親友の男にもらった「差分」という本の中から言葉を
拝借して2案提出して。それが「浮遊する白」と「消滅の時間」。
江崎さんのアルバムには「浮遊する白」で収録されています。
聴き比べたい方はそちらも是非。(はは。コマーシャル)

というわけで今回のアルバムに入ってる「消滅ノ時間」はおおもとの
テイクです。声なしの。同じ曲が違うカタチで別のアルバムに入ってるのって
良いじゃないですか。そういう意味では1枚目のアルバムに入っていた
「amnesiac penguin」と「areia」は泥流と二人で作った4曲入りの
共作「砂と紙と日光と記憶でできている鳥」にも収録されています。
特に「記憶喪失のペンギン」は泥流がアレンジしてくれて オリジナルとは
全くイメージが違う同一の曲。


さらに1枚目でピアノと歌を担当してくれたえこと弾いた「aieu」も
カタチを変えて今回のに入ってます。えことはたぶん10/1辺りに
水中写真家の中村さん(下の名前なんだっけ・・)の映像を使ったライブを
やる予定。彼女は出産/育児を経て久しぶりのライブになる。



・・・うーむ、口数を減らす宣言をして書き始めたブログに大量な文字を
打ち込んでしまった。。。(短い文章にまとめる才能がないのだろう)



結局ほとんど宣伝のブログでした。  
*最近のライブのお知らせ;


 

7.28 新高円寺StaxFred     タカスギケイ/BlueHourボンバードラミNilla+Midoriyama

      *Staxと共同企画といいますか、僕が映像と一緒にライブをやる為に発案してもらった日です。

 

 

7.30 池ノ上ルイナ   ミディ.ヨロシクvol.5 -島崎智子プレゼンツ-  千春/沢登秀信/mayuluca

   *この日は千春ソロ名義での出演ですが、3曲ほどお手伝いで僕も弾きます。


8.03 渋谷WastedTime       不自分(泥流/林/タカスギ)

 

 

 
8.06 静岡市Living Room    Asia SunRise/opening act: タカスギケイ

 

 

8.07浜松市エスケリータ68    Asia SunRise/opening act: タカスギケイ

 

 

 

 

*Live Scheduleの欄と同じ内容ですが↑

 

 

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2011年

6月

03日

その後の

日記をば。 


帰国して髪を切ってはや1ヶ月が経ちました。 
かなりの量を切ったのだけど首筋はまだ暑い。それは仕方ない。 
なぜならそこにはまだ髪の毛が当たるのだから。 


でも相変わらず季節外れの帽子をかぶり 視力と関係ない眼鏡を 
かけて演奏をしています。顔が隠れれば何でもいいやと思っていたけれど 
髪の毛がぶわ~と落ちてきていると かき上げないといけない分だけ 
余分な動作が必要になってくるのでやはり帽子を。 
帽子をかぶり 眼鏡をかけ shoe gazeしていれば顔は見えない。少なくとも。 



さて その後の話でした。 
帰国して髪を切ってライブをしたり録音したりしておりました。 


というところでいくつかお知らせを。 
まず明日(もう今日ですね・6/4)は静岡に行きUHUという店で弾きます。 
その昔ウインナーという店があったのと同じ通りかな? 
銀水というラーメン屋さんもあった通り?・・・明日判明します。 


何度か共演させて頂いているAsia SunRise(畑崎大樹)さんのオープニングアクト 
です。misato&shinさんという静岡在住のアーティストの方々とも一緒に 
というか同じ日のステージを共有させて頂きます。 

上記の大樹さんとはつい最近一緒に何か即興デュオ的なことをしようと 
2時間ほど特に会話もなく弾いたりしました。まだ一度しかそういう暗い作業は 
していないのでお互い気を遣い合って自主規制的な演奏になったかもしれない。 
僕は一人でも十分に暗いのでいつも通りなのですが。 

それはともかく大樹さん;http://ameblo.jp/asiasunrisehappy/ 
それからmisato&shinさん;http://misa-shin.com/ 





それで 明後日(6/5)には一緒にバンドをやってる泥流と弾きます。 
泥流とは「梯子ノ上デ」というアコースティックよりのバンドと 
「不自分」というバンド2つをやっていて明後日(6/5)は「梯子ノ上デ」 
の方のライブになる予定。この日は泥流がタイバンを決めました。 
4月にレコ発ライブで共演させてもらったViolet Mothさんと 
以前から泥流が愛してやまないBluehourさんの二組ですね。 

僕のフライヤーを作ってくれてる画家のセキネコさんのデザインした 
Tシャツの限定販売もしています。僕もセキネコさんの絵にシンプルな音を 
つけてupしたりしています; http://youtu.be/cgdTlXUXevY 

それから「梯子ノ上デ」の音源もチケット予約して頂いた方に無料配布 
するそうです。詳しくは不自分のサイトの6/5の出演日程にて; 
不自分; http://fujibun.jimdo.com/ 
Violet Moth; http://www.myspace.com/violetmothcozmicblues 
Bluehour; http://www.myspace.com/bluehourtokyo 
セキネコ; http://sekineko.jimdo.com/ 



そんなこと言い出すとキリが無いのですが、今月はその他9, 10, 13に「不自分」、2(一昨日), 16, 19と「narcolepsy#2」(千春という弾き語りとやってるユニット) 
でのライブ、それから17にまたソロで弾きます。 

narcolepsy#2; http://narcolepsy-2.jimdo.com/ 


ソロでは毎回ぼんやりとその場で思いついたことを弾いていますが 
自分の頭の中で思いつくことなんてそれほどなくて、結局そういった状況を 
軸にした自分なりの音的ロールシャッハテストみたいなことを繰り返している 
感じです。それも自分にとっての被験者は自分自身だけれど でもそれはお客さん 
を無視しているわけではなく お客さんもお店もその日の環境や状況も全て 
含めた上での無意識的なある種の結果を求めての作業だと思っていて。 

僕は誰かの鏡として存在するかもしれないし、逆に誰かは僕に僕自身の姿を 
(一面的・結果的に)映し出す為にいてくれていたりするのかもしれない。 
とにかくライブというのは一人では出来ないし、その場にある状況全ての要素で 
成り立ってるものだから。そこで出ている音がどんなものであれ そんなつもりで 
一人で弾いています。ソロで弾く予定は今のところ6/4 6/17 7/13 7/14 7/28。 




あと全然 別情報ですが 親友である柴山哲郎が数年間のブランクを経て 
また復帰しました。希有なギタリストであり独特なアーティストですが 
今はギターではなくウードという古い楽器を模索中です。 
6/14に渋谷Plugで短い時間 演奏するようです。興味を持った方は是非。 
*彼のサイトがわからないのでPlugのスケジュール; 
http://www.shibuya-plug.tv/schedule/index.html 





ええと、それが「その後」なのかな? 



何もしてないので「その後」と「それ以前」の境界がない感じ。 
何もしないでいながら「その状況」にコミットするのはとても難しくて 
それをロクに言語化できないことが先ずコミットメントの浅さを自分に 
教えてくれる。 




無闇に言葉をたくさん発するよりも先ず自分がしっかりとコミット 
できてるのかどうかを明確にしておくべきなんだろう。 



今夜はもう寝ます。おやすみなさい 

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2011年

4月

27日

frisell

昔はそうでもなかったのに今ではひどく怖いと感じる飛行機に 
久しぶりに乗った。いや、昔から乗るときはいつも「今日こそ落ちる」 
と思いながら乗っていたけれど。 


行きの便では持って来た本の一つをすぐに読み終わってしまい 
計3冊あった僕の時間と心の空白を埋めてくれるはずのそれらは結局 
3日間くらいしかもたなかった。 


仕方なく滞在先の本屋で2冊購入。 
一つは英・英の辞書だ。 
これは飽きないしなかなか読み切れるものじゃない。 
もう一つは過去に読んだことのあった"Kafka on the Shore"の英訳。 


いつものようにJ.ルービンさんが翻訳してるのかと思いきや 今回は 
P.ガブリエルさんという人だった。 
作品の翻訳というのは難しいものだなと常々思う。 
作家の文体というのはシンガーの声でありピアニストのタッチだ。 
いや、ちょっと違うか。シンガーやピアニストの「語り口」かな。 


つまり翻訳というのは忠実なるコピーでありながら同時に別言語である 
わけでそれぞれの国の言語にはその言語を構築する背景があり それに 
見合った「言い回し」があるわけだから。 

基本的にはこれは「直訳」作業だと思う。そしてその言語的背景 
(文化や時代の背景)とのギャップを埋める時にのみ「意訳」が必要になるの 
ではないか、と。或は作家の文体の雰囲気を残すために。 

だから「直訳」し過ぎれば愚直なコピーになりえるし「意訳」に固執 
すると原作者の声色が変わる。愚直なコピーがどれだけ滑稽かは 
昔の「ものまね王座決定戦」みたいなものを想像させる。 


ともかくそういう意味では何と評価していいのかわからない英訳を読む。 
当然ながら日本語で読むほどのスピードでは進まない。これで当分は 
もつはずだ。最初に買った辞書はそういうときは使わない。 
わからない単語があっても文章の流れの方を大事にしないと情景が想像 
しにくいから。でも既に母国語で一度読んでるので読み易い。 




滞在の最終日にgreenwich villageの14th st駅付近にある古いジャズ 
クラブに行く。現地の情報誌を見ていてたまたまこの日からビルフリの 
トリオが6日間出ずっぱりな事を発見。よく見るとそこから1日あけて 
さらに6日間ほど彼のカルテットが出ることにも気づいた。 
きっちり2週間仕事をしてる訳ですね。ああいった種類の音楽でこういう 
スケジュールというのは僕にはただただ驚愕するしかない。同じ店でね。 


この店はビル自身も学生の頃から客として足を運んでいた場所だ。 
コルトレーンやロリンズがいつもここで演奏していたとは客席に座って 
ちびちびとsamuel adamsを飲みながら周りを見渡していてもにわかに 
信じ難い。sam adamsは学生時代に愛飲していた地元のビールだけれど 
割と市民権を得ていてNYやFLでも普通に飲める。 


注文して出て来たそれはあまり冷えてなかった。もっと冷たかったら 
良かったのにな。冷たくないビールなんて酸味しかないコーヒーみたいな 
ものだ。何か大事な要素が欠けてる。 


本番前、ステージにはアンプ3台とドラムセット。 
それから中央の足元には比較的シンプルなセッティングでビルの 
エフェクターが並んでる。最近よく使ってる(らしい)"Freeze"という 
白いやつは踏むときにカチっと音がしないのかな。 
僕の位置からでは聴こえなかったけどもししないようなら僕も使って 
みたいな。そういえばPog2といい、最近エレハモ指向なのかしら? 
今回は置いてなかったけどZvexのエフェクターも増えた。自分には高額だ。。 


この夜はギターとバイオリンとドラムの3人編成。 
僕は彼のbassless編成のバンドはどれも好きだったから今回のもとても 
楽しみにしていた。 


ライブのレポートは特にしない。 
いつもの彼らしいinteractiveな絡みを堪能する。 
ベースがいなくて音数も多すぎない彼らはスカスカであるはずなのに 
高密度だ。彼は珍しく(?)サンバーストのストラトを弾いていた。 
メイプルネックだ。音が異常に太い。 

ストラトには聴こえないくらい太い。シングルコイルだったのに。 
ストラトの良さが出てないと言ってしまえばそうも受け取れる。 
それくらい中域が厚くて あの編成でジャズよりなサウンドを出すにはまあ 
うってつけな感じだ。というかあの人はSGをリアピックアップのみで 
弾いていた頃からこういう音だった。tcのコンプとv.ペダルの時代に特に 
独特な印象を与えていたし、klein electricが更にそれを助長していて 
今でも彼と言えばその音像をイメージしてしまうのだけど。 


いずれにしても彼にしか出せない音だし さまざまな使用ギターの違いは 
彼の文体を決定づけるほど彼に影響を与えない。いや、彼は影響を 
受けているだろう。聴いてる側がその違いから本質的なブレを見出さない 
というだけだ。最近の動向からてっきりテレを使うと思っていた僕は 
良い意味で期待を裏切られた。テレの持つ透明感はそこにはないぶんだけ 
彼自身のタッチから産まれるある種の透明感が中域過多のストラトを 
通じて実に骨太に感じられた。 


おっとこれではまるでレビューだ。やめよう。 



本当は終了後に彼の時間が空けば少し話しをしてみたかった。 
持って来た自分のCDを手渡して(そんなものもらっても困るだろうけど) 
少ない会話を交わしてみるつもりだった。 
僕自身の為に彼にインタビューしたいこともあった。 



でもその日は1stセットだけ堪能して戻ってきてしまった。 
前回の渋谷に続き消極的な僕。 




店を出ると雨はやんでいて空が不思議ないろに染まっていた。 
近くの角から地下鉄に乗るべく潜る。 



その日は朝から霧のような雨でゆっくり公園を歩いているだけで 
濡れた。ダコタアパートまで歩いてしばしジョンのことを考えたり。 



本当はビレッジでのライブで感じたことを書き留めておこうと思って 
キーを打ち始めたのだけど書いているうちに言葉にすることが億劫に 
なってしまった。でもそこで何か大事なものを感じ取った気がする。 
それは時間性と関係があるのかもしれない。 


長い時間の中で人が知らず知らずのうちに歪曲されてくるようなこと。 
それは良くも悪くもなのでそれ自体がどうのというのではなくて。 


そういった時間の持つある種の要素、人に与える影響についてと 
同時にビルフリゼルという人があの晩も変わらず示し続けていた姿勢との 
因果関係について考えた。 


うまく言えないけど勇気づけられたのだと思う。 
思えば彼には決定的に勇気づけられた場面が過去にも何度かあった。 
それは音楽がどうのというのとは少し違うのかもしれないけれど。 


彼にはそういった作用があるんだ。少なくとも僕にとっては。 
僕はそこまで彼の音楽の熱狂的ファンではないかもしれない。 
でも彼が与えてくれるものによって随分と救われてきたように思う。 
自分自身との折り合いをつけていく中で。社会との折り合いもだ。 


そのことが感じられたから特に話ししないで帰ってきてしまっても 
良いように思えたのかもしれない。そのときはわからなかったけど。 
僕にはそれで十分だったし、実際に彼と話す共通のトピックも最初から 
存在しないし(なにしろ向こうは僕の存在すら知らない)。 



今にして思えば彼の話す言葉に耳を傾けるような行為だったなと思える。 
ライブでその瞬間の音/全体を感じるというのはね。 
それで与えてもらえるだけのものは十分に受け取った。自分にとっては。 
久しぶりにライブをライブとして受け止めることのできた貴重な時間 
だったな。 





帰りの飛行機は座席がガラガラに空いていて、僕は3席まるまる使って 
のんびりくつろいできた。やはり英文で本を読むのは母国語よりも沢山 
集中力を要するのですぐに疲れて、帰りの便では珍しく映画を観た。 


日本にいたらまず観ることはないはずだった映画だ。 
というのも奇しくも今読んでるのが正に同じ原作者だったからだけど 
僕の本当の興味は映画そのものにではなく音楽を担当したジョニー 
グリーンウッドのサントラにあった。 


僕が原作を読んだのは今から約20年前でそれは日本語で読んだ。 
その後英語でもう一回読んだかな。 


英訳の本はともかく、映画の方は実にひどいシロモノだった。 
「これはないよな」というのが見終わってからの僕の感想。 
ビートルズの原曲の使用が許可されて、ジョニーが音楽を担当して 
それで肝心な内容がこれではあまりにもひどい。 


いくら"NorwegianWood"というタイトルが"knowing she would"という 
ジョンの言葉遊びから発展したというのが本当だったとしても 
この映画を観てエンドロールと同時に流れる原曲を聴いたら本当に 
"knowing she would"としか思えないくらいだ。 


ジョンが観たら怒るんじゃないかな。 
原作者の逆宣伝効果じゃないかな。 
まあ僕が憤慨することじゃないのかもしれない。 



しかし それでいて台詞はほとんど原作のまま。 
あの口調で実際に喋るととても奇妙だ。 
しかも頑ななほど原作どおりの台詞を使い回しているのに 
肝心なところで監督なのか脚本家なのか知らないけれど微妙に台詞を 
作り替えてある。だからその部分だけセリフが浮いてしまう。 
場面転換の為だけにセリフを作り替えてある。緻密な構成も必要性も 
全く感じられない。 
実に気持ち悪いなあと思いながらもジョニーの音が聴こえてくるとつい 
聴き入ってしまう。結局そんなふうに最後まで観たわけだ。 

それで最後にあの有名なアコギのイントロからシタールの音が 
入ってきて心の底からガッカリしてジョンがまだ歌い続けていたにも 
関わらず僕はヘッドフォンを置いた。 



まあ映画の出来はともかくとしてあの仕事に関わったジョニー 
グリーンウッドは実際のところ完成された作品の全体を通して観てみて 
どんなふうに思ったんだろう? 




++++++++++++-----------------++++++++++++++ 




余談だけれど、国外滞在中もずっと奇妙な地震酔いを感じていた。 
特に座っているときにそう感じた。それはあの3.11の日に僕がたまたま 
座っていたからだろうか? 


日本を発つ日にも大きな揺れがあって僕の乗った飛行機が離陸したすぐ 
後に空港は一時的に閉鎖されたらしいと後から知った。 
地震のことや原発のこと。不幸にも命を落としてしまった人々や不幸にも 
(或は幸運にも)生き延びてしまった現地の人々。 
被災者と繋がってる人々のこと。被災地と遠く離れている人々。 
まだ言葉にできなくていつも漠然と思い続けてること。 


原発については僕は卑怯(というのか)にも逃げることをずっと考え 
続けてた。自分さえ良ければそれでいいというつもりはなかったけれど 
まず自分の安全を考えた。自分を救えない人は他人なんて救えないという 
考えを自分に押し付けて正当化しようとしていた。 


でも不思議なもので、しばらく外に出ていると逆に日本のことが気がかり 
で余計に落ち着かない気分になってくる。それは誰かが書いていたように 
自分の安全が確保されてから初めて自身を省みるようなことなのかな。 
それと同じことだと言われてしまえば否定はできないな。 


でもとにかく思ったことは自分一人が助かってもそれは幸福ではない 
のではないかというごく単純なことだったり。 
あれだけ危惧していたにも関わらず、外に出ている間じゅう日本にいる 
僕のよく知る人々の事を気に病んでた。今こうしてる間にも大きな地震が 
再びどこかを襲うんじゃないかとビクビクしていた。でもそれなのに 
早く戻りたくてしかたない自分がいて困惑した。それは自分が安定した 
立ち位置にいるからやっと他人の心配をしはじめた人みたいにも思えたし 
それから自分が恐れていることは自分の知る人々を失うことなのかも 
しれないとも思えたし。結局僕はいつも自分なのかと幻滅もした。 



でもとにかく日常に戻ってきて少しだけ落ち着いた。 
自分にとっての日常ってどういうことなのかをもう少し深く理解していて 
もいいんじゃないかと思った。それが何かの解決や人の為に直接なること 
ではないのだけれど。全体の中で生かされているような感覚のこと。 



飛行機の中から見た空はまるで地球のようなカタチをしていて不思議な 
感覚を味わった。見たものが見たままの真実じゃないんだと何故か思った。 
見たものは風景であれ人であれ自分の心の中を反射して映してる 
だけなんだと改めて思わさせられたり。内と外は繋がってるんだと。 



最後まで支離滅裂なままこの話はここでおしまい。

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2011年

2月

01日

Jazz

Bill Frisell来日してたみたいですね。 
29日は渋谷のタワレコでインストアライブだったとか。 
すぐ近くにいたのになあ。「これは後悔するな」と頭ではわかっていながら 
足を運べなかった。いやもう運ばなかったと言っても同じことだね。 



ものごとをタイプファイすることにあんまり意味はないのかもしれないけど 
例えばビルフリなら自分のやってることを"Jazz"と定義するんだろうな。 
メセニーもするだろう。それは彼らのバックグラウンドに生々しく含まれて 
いるだろうし、実際に彼ら自身も自分の事をそういった前提で理解してるように 
見える。時代背景もあるだろうしレコード批評の位置づけもそっち方向に収まる 
だろうと思う。 



Jazzそのものを語るつもりは毛頭ないのだけど。 
でもふと自分自身の今までの流れをふり返るとギターを持ち始めた最初の頃、 
10代の時にはRockやFolkから音楽というものにのめり込んでいったわけだけど 
物心ついた(?)19歳から20代の後半に至るまではどっぷりとJazzに浸かっていた。 
それはもうJazzの演奏家になることを想定して練習していたし、それ以外の音楽は 
好きでよく聴くことはしても自分のやることとは別だと思っていた。 


何でそう思ったのかわからない。でもとにかく盲目的にそう信じ込んでいたし 
それを疑ったこともなかった。その頃の自分の頭の中は牧歌的にいたってシンプル 
で実に平和だったのだと思う。それは幸せなことだったんだろう。 


「疑った事は無い」とさっき書いた。穏やかな性格の人なつこい犬みたいに 
本当に疑ったことはなかったのだけど、それはロジカルにという意味において 
だったと今では思う。何故なら自分のすきなRockのバンドの音源を聴くと 
いつも激しくコンプレックスを揺さぶられて不思議な喪失感を味わうからだ。 
その頃はそれが実に邪魔だった。自分の立ってる大地の足元から揺さぶられる 
ような感覚に陥るのだ。それで全てが無意味なような気がしてくる。 


そのRockのバンドが好きだと思えば思うほど自分の確立しようとしてる 
アイデンティティの地盤が緩んでくる。でも頭ではそんなこと気づいていない。 
「僕はジャズギタリストなんだから」と思ってる。 


なにしろそんなふうにゆらゆらと揺れていても僕の頭は已然牧歌的に平和で 
何故自分がそんなに揺れてるのか理解できていなかったのだから。 
これは音楽的思春期みたいなものだったのではないかと自分では思っている。 
自分が今の今、「何者」になろうとしているのかわからずにただひたすら 
思い込まれた「真理」に向かっている状態だったわけだ。 



一神教の国の子供達(主にキリスト教でしょうね)が思春期を迎えて大人になる 
過程で自分の宗教観を疑うときがくるでしょう? 疑わない子もいる。 
それはそれで大事なことだ。でも疑う子はその疑う度合いとか深さによって 
かなり決定的な価値基準を獲得することになると思う。それはひいてはその子の 
生き方そのものに反映されていくわけだね。そしてそこで獲得した価値基準は 
人生の中で挫折を繰り返すたびにその本質的な価値を問いただされて 
それぞれに変化していく。 


そんなふうにして一個人の自我みたいなものが形成されていくとしたら、 
僕が20代後半まで後生大事に抱えていた「Jazz」という価値基準は 
実際に僕が方向転換をするまで揺れて揺れて揺らし続けてもの凄く僕自身を 
振り回すことになった。 


「自分のすきなこと」「自分が自分でやるべきだと思うこと」をやっているのに 
どうしても足場が揺らいでしまう状態のまま煮え切らない数年間を特に大学卒業後 
の日本で過ごした。 


でも今思えばこれは思春期にグレているようなものだったんだと思う。 
いや「Jazz」のことを「グレてる」といってるわけじゃなくて。 
僕自身にとってのJazzの期間というのが大人の身体になりかけているのに 
子供の心のままでその変化についていけてない無意識の葛藤みたいな感じで、 
意識が認識してることと、無意識が勝手に反応してることの中間で行ったり来たり 
していたようなイメージなんだと思う。 



それで2005年にあるきっかけでブラジルに1年間ほど住むことにした。 
こういうものごとって自分で動いてどうにかすることではなくて全部人生の 
節目にセットされているようにも思う。それは一つの考え方であって、全く 
そうでないのかもしれない。 



でもとにかくブラジルに行ってみて、サンパウロで知人に紹介された人に 
世話になりそこで知り合った人々と接しながら音楽を続けていく中で 
今まで内面で少しずつ形成されてきた自我のようなものは確実に肥大していく。 



つまり揺れに揺れていた大地がもうその骨組みを内部で崩壊させていて 
いつ崩れて沈下してもおかしくない状態にまで近づいてきたんだね。 

一年間ブラジルで過ごしてみてバンド活動や録音なんかもする中で 
「もっとこの土地を深めたい。もっとここで弾いていたい」 
と思った僕は荷物を無料で借りていた倉庫のような自分の部屋に全て残したまま 
ビザの更新の為に一時帰国するのだけど、もうこの時点で僕は次のステップに 
さしかかってしまった自分を発見することになる。 



それがこうして言葉にしてしまうと非常にばかばかしいくらいの発言になって 
しまうのだけど、たった一つのディレイペダルによってそれまでの僕の人生の 
流れは方向転換させられることになった。 


ディレイというのはエフェクターの一種なのだけど。 
どういった流れからというよりはごく自然にそれを楽器の一部として 
使うようになってしばらく時間が経過した頃に僕自身の自我は自分の居場所を 
見つけたかとでもいうようにぴったりとそこに収まってしまった。 



僕が長い事ギターでやってきた葛藤はギターではないものによって 
ある種の光がもたらされたわけだ。いや、こう書くと本当に陳腐ですね。 
「エフェクターと出会った!」みたいな書き方でね。きっとこれを読んでる方々 
は下條アトムさんの声で「タカスギケイがー、無意識の草原でー、ディレイペダル 
と出会ったー」と抑揚のない声で言ってるのが耳にこだましてることだろうと思う。 



でもまあ言うなればディレイというものは僕と僕のやってきたことと 
未知の「何か」を結ぶためのブリッジだったと言える。 
自分の意識はギター的な音像を求めてフラフラと彷徨っていたにも関わらず 
無意識はディレイ・・・あるいはディレイが象徴する「何か」によって 
統合に一歩近づいたような変化を見せる。その変化のダイナミズムによって 
結果的に僕は誰にともなく「Jazzやめます」宣言をする方向に向かっていく。 




これはいつもみんなに突っ込まれるのだけど 
「ジャズやめるって言ったのにまだ弾いてるじゃん」とかね。 
僕はその度に適当な返事をでっち上げていたわけだけど。 
「いや、ジャズクラブで弾くのをやめたんだよ」とか。 


でも本当はそういうことではないですよね。 
もっと言えば「やめる」とかいう表現でなくても良いのだと思う。 
でもとにかく例えばビルフリが「私はジャズギタリストです」と何のてらいも 
なく言えることが自分では言えなくなってしまったわけだから。 


だから自分で自分を「Jazz」と認識することを変更する、というのが 
正しい解釈なのかもしれない。Jazzこそがお母さんでありお父さんであったと 
自分では思う。そういう意味では自分の背景にはそういった要素はたくさん 
含まれているだろうと思う。でも今では自分で自分に「?」と名前をつけられない。 


「名前をつける」ことはある意味では何よりも一番大事であるとも言えることだ。 
Rockが好きだからって、じゃあ「Rockです」とも言えない。 
何故って「違う」ことが自分でわかってるから。性同一性障害の男性が自分の事を 
「女です」とも「男です」とも明言できないように。 


そんなわけで僕はそれらのどちらでもない音楽的オカマになったわけです。 
あれですよ。別に二者択一みたいなシンプルな構造の話ではないつもりです。 
今の自分は「名前のない状態」なのだと思っている。 



でも名前がないまま生きてはいけない。 
何しろ人間以外は名前を必要としない世界で生きてるわけだから。 
猫は自分の事を「猫」だとは思わないように。 
また彼らは「人間」の事を「人間」とも思わない。 


そういうことを思うのは人間だけだから「名前のない状態」というのは 
人間として非常に困った状態なんだね。非常に不完全な状態である。 



でも一時的になるのか一生このままなのか自分では知る由もないけれど 
「Jazz」を抜けたことで自分はそういう「無名」状態になり、 
ただ無意識はそのことを少なからず喜んでいるようだということがわかってきた。 



名前はないけど、少なくとも思春期のごたごたした時期よりずっと安定して 
地面に立つことが出来てるような実感がある。これが人より随分と遅れては 
いるけれども「音楽的20代」の始まりなんだろうなと思いながらこの2年くらい 
弾いています。30代半ばも過ぎてソロで弾くたびにそんなことを思う。 



偶然なのか無意識との符号なのか自分一人で弾くものはどれもカタチが 
はっきりと定まらないものが多い。でも今まで弾いてたものよりもずっと 
自分自身に対して説得力がある。いや、自分でそう思うだけです。 
ともかくこれからカタチになっていくのかしらん。 
カタチになった暁には「名前」を得ることができるのだろうか。 



それとも仏教の言う所の「空」みたいなものなのかもしれない。 
名前を求めて一生彷徨うことそのもの。結果的に揺れ続けることであって 
今は一時的な変態後のつかの間の休息なのかもしれない。 
それでも「おたまじゃくし」と「かえる」くらいの違いがある(!) 




「Jazz」について考えると僕はよくそんなことを思う。

 

 

先日のソロ演奏→http://www.youtube.com/watch?v=nrdgUToZqB8

*「映像1」にも同じ物がありますが。。

 

 

 

 

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2011年

1月

26日

ギター改造その2

前々回に書いた日記の続き。 


まあ改造と言っても今回はほとんど
お願いしていろいろとやって頂いて
いるのですが。 


ピックアップを変えたりしたことは
前に書いた。今はギター本体の塗装を
リフィニッシュしていただいている 
ところです。web上を彷徨っていて
良心的そうな工房を発見しまして。
すぐにメールをしてみると
快く相談にのって頂けたのですクローバー

僕自身は塗装に関しては完全に門外漢なので、最初は剥がすだけの 
つもりでいて。それも安易に「剥がすだけなら自分でやろうかな」とか 
考えていたんです。。もちろん剥離材とかじゃなくてサンドペーパーで冷や汗 
やってできないことではないのかもしれないけれど、これだけでどれくらい 
自分にその手の知識が無いのかご理解いただけることでしょう。 

今回は専門職の方にお願いして本当に正解だったと思う。 
そもそも色合いをそんなに細かく選べるものだということも知らなかった 
のだから。というわけで、もともと真っ黒だった中古のspiritの皮膚を 
ずるずるずると剥いて(比喩ですもちろん)目的のビンテージアンバー的な 
色合いにすべくa-color-z工房さんに発注した。 



どこの工房でもこんなに丁寧に対応してくれるのかわからないのだけど 
a-color-z工房の笈川さんという方は先ず僕の希望する色合いをメールでの 
打ち合わせのあと約5cm四方の木片に実際に塗装して具体的なイメージの確認の 
為にすぐに郵送してくださった。これは個人的にとても感激しました。 


送られて来た木片(カラーサンプル)を確認し、これで自分の希望に沿った感じの 
色合いに仕上がるだろうということをオーダー初期のこの時点で 
ある程度の確信が持てるというのは安心できるし凄くありがたいことだった。 




今回は一旦もとの塗装を剥いでしまうということもあって 
この機会にとボディ背面にコンター加工も施していただくことに。 
しかもこのギターはスルーネックなので剥離はボディだけでなく 
ネック裏まで全て剥いでリフィニッシュしてもらうのです。 
ギターははたしてどんな気持ちなんだろか。 
そんな風に皮膚を剥がされてしまったり、身体の一部を削られてしまったり。 
痛みとか感じてないことをただただ祈るのみだ。 



塗装を剥いだりすればきっと音にも影響があるのでしょうね。 
どんな音になって帰って来るのかというのは、これは賭けだなあ。 
コンター加工で削ったこともきっと影響するに違いない。 
全ては戻ってくるまでのお楽しみ。 



来月のライブのどこかで登場することになるのではないかと思います。 
都内で弾く為に手に入れたわけではなかったのだけど、年末に工房に送るまで 
しばらく弾いているうちに思ったよりも使い易くてメインのギブソンと比べても 
使用頻度が50/50くらいになってしまった。これで音と見た目が気に入って 
しまったらやはり沢山弾いてしまうんだろうな。なんだかいつもの 
チョコレート色の子に申し訳ないような気持ちになってしまう。 





というわけで今日(1/27)は凄く久しぶりに新高円寺StaxFredでソロで弾かせて 
いただくのですが、今回はまだチョコレート色のギブソンです。 


最近は懇意にさせていただいている山口稔さんというモノクロ写真家の作品を 
スライドショーにしてライブで映像として流しながらソロパフォーマンスを 
しようと考えていて、今日のStaxFredでももしもプロジェクターが使用可能 
なら使わせて頂こうと目論んでいたのですが、訳あって見送ることにします。 


これから映像を流せる環境でのライブでは可能であればやっていこうと 
思っているので、ライブのハコで弾く僕自身の姿を見たくない人は(笑) 
是非そんな機会にいらしてくださいね。 


「弾く姿」を特に見ても見なくても良いという意味では 
僕の演奏中は読書とか、絵を描いたりだとか 
お酒を呑みながらボンヤリと物思いに耽ったりとか 
隣の席の女の子(あるいは男の子)の横顔をそっと眺めたりだとか 
瞑想に耽ったり、妄想を逞しくしたり 
メールをチェックしたり、羊の数をかぞえたり 
旧約聖書を最初から読み直したり 
悟りを開いたり、ロールシャッハテストを行ったり 
しっぽを振り回したり、肉球をぺろぺろしたり 
サザエさんの家族構成を再度深く考え直してみたり 
象さんとキリンさんの匂いの違いを想像したり 
クロコダイルとアリゲーターの違いについて英語で考えてみたり 
イッチー&スクラッチーの似顔絵を紙ナプキンに一筆書きしたり 
カンガルーの夢を見たり、カエルの影を踏んだり 
象徴的なあくびをしてみたり 
形而上学的なビールのおかわりを注文してみたり 
形而下的にももちろんビールをおかわりしてみたりだとか 
できればそういったことをお客さんが各々好き勝手にやりながらも 
音が意識の隙間から入ってくるような感じが好ましいなあと思ってます。 

じっと集中してステージを睨んでいなくてもいいんじゃないか 
ということを書きたかっただけなのですが。勿論、睨んでいても構いません。 


そういえば個人的には音を聴くともなく聴きながら絵を描くととても 
すらすらとペンが進むのだけど、文章は書けなかったり。 
そういう意味では何かしら「視覚的」なことが相性が良いのかも? 
・・そっか、それでスライドショーにしようと思ったんだったあせあせ 
まあ今夜はともかく映像を用いたライブはまた近いうちに。 



部屋 真っ暗でライブというのも一度はやってみたいのだけど 
きっとそれは許されないだろうなあ。。 
お客さん全員に目隠しというのも考えたけど・・・危険ですね。 




StaxFred:http://sound.jp/staxfred/ (タイバンあり)
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2011年

1月

10日

Dedicated to Mick Karn

先日、池ノ上プラハでbassist Koyu氏と演奏してきました。 



というか、誰かと初めて一緒に弾くのはいつも緊張します。 
それがしかも全くの即興となると変に小さくまとまってしまうのが 
悪いクセなのだけど。 



今回もやはり初共演的緊張をしていたので小さくまとまっています。 
そもそも僕自身が普段から演奏者として小柄(身長じゃなくて)なタイプ 
なので、それが最初の手探り感を伴えば余計に小さくなってしまうのは 
当然なのだけども。 



ともかくその時の演奏は映像に収められKoyu氏の手によって短めに 
区切られてupされました。カメラとアンプの位置の関係もあり、僕の音は 
随分小さいです。(そもそも小さめの音だったし) 

このお店には音響機材が一切ないので小型の安物アンプ(\3,500!)を 
持参しました。やはりこの価格帯のアンプは値段なりの音ですね。 
それにしても高校生だって買わないような値段のアンプでしょう? 



まあ僕のことはともかく、Koyuさんとは初めての共演だったのだけど 
どこか発想が近いところがあるんでしょうね、ここ数年で出会った中では 
完全に即興で絡むベーシストとして本当にやり易かった。 
そもそも僕自身が即興で弾き始めたのが最近のことだから、それ以前には 
もちろんこういった絡み自体がなかったのだけど。 


また一緒にやると思います。自分がソロでやる方向の延長線上でできるのは 
珍しいことなので。あるいは彼がソロでやる延長線上に僕がいるだけなのか。 



この日はKoyu氏はfretlessとfrettedの2本のベースを持参していた。 
Mick Karnが52歳という若さで他界したばかりだったこともあって 
Mickにdedicateするべくfretlessを弾いていたのかもしれない。 


1曲30分とこれまた長めの演奏になったが、映像にupされたものはそのほんの 
一部だ。ヘッドフォンで聴かないと最初の方の僕自身のギターは聴こえないかも 
しれないな。 

ところで僕の横の壁に映ってる自分自身の影が良いですね。 
まるで無意識が抜け出してきたのに本人がそれに気づいてないみたいで。 
一見、僕と連動して影も動いているように見えるのだけど。 


Koyu氏 http://www.suzukibass.com/ 

 

 

ライブの映像は映像1へ↓

http://takasugik.jimdo.com/映像1/

 

 

 

 

 

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2011年

1月

06日

ギター改造その1

どうもいつも弾いてるギブソンのノイズが酷い。 

直列過ぎるエフェクターのボードじゃないかとか 
自分で作ったパッチケーブルのせいじゃないかとか 
いろいろ調べてみたけど、どうやらギターみたいだ。 


けど不思議なことにギターをアンプに直でつなぐと

ノイズは ほとんど乗らない。

エフェクターを通すと酷いノイズだ。 
じゃあギターのせいじゃないと思うでしょう? 

でも別のギターを繋ぐとエフェクターを通してもノイズは無いのです。 
ケーブルもボードもアンプも全て同じもので試したのだけど。 


その別のギターというのがSteinberger Spiritというヘッドレスの 
安物で、ピックアップだって普通のパッシブのものに交換してある。 
とくにEMGというわけではないのです。 
にも関わらずこっちには無いノイズがあっちにはある。 
でもアンプに直だとあまり問題じゃない。どういうことなんだろう。。 



・・・という疑問は解消しないまま上記したヘッドレスのギターを改造に。 


というのもそのままではなんだか使えないのだ。気恥ずかしくて。 
実は昔オリジナルのグラファイトでできたSteinbergerを使っていたことがあって 
今更この形状のものを手に入れることになるとは自分でも思っていなかった 
のだけど、飛行機で持ち込み拒否をされるうちに機内持ち込みのできるギターを 
考慮するようになった。 

7年前にはKlein Electricを当時制作していたロレンゾという男と何度もメールの 
やりとりをして1本カスタムメイドで作ってもらおうとしていたこともあった。 
Steinbergerのグラファイト製の構造や音質と、EMGの早過ぎるレスポンスが嫌い 
だったせいもありKleinには木でできたネック/ボディとその人間工学に基づいた 
形状にとてもとても期待していた。まあBill FrisellとDavid Tornが使っていたから 
というミーハーな理由もあるのだけれど。(二人とももう使ってないですね。。) 

正直今でも使ってみたいとは思うものの、そのロレンゾは消えてしまった。 
彼の受けていた沢山のオーダーはどうなってしまったんだろう。 
最後に彼とメールのやりとりをしたのは僕がまだブラジルに居る時で、彼は 
その時のメールで「今ちょうどMick Goodricからアコースティックよりな 
サウンドの物を制作して欲しいと依頼があったんだよ」と嬉しそうに言っていた。 

今では国内でもKleinとほとんど同じスペックのギターを制作してくれる工房が 
あるみたいだけど、僕は個人的ないきさつもあってやはりロレンゾの手にかかった 
ものを使いたかった。 


さて、話をもとに戻そう。 


とにかくメインのギブソンのノイズに悩まされ、また移動時に機内持ち込みに 
適応するサブギターを入手する必要を感じた僕は安いSpirit(2万もしない)を 
中古で見つけた。これは賛否両論あるだろうけど個人的には本家Steinbergerよりも 
ずっと好みな音がする。それに軽い。やはり木製だから。 

いつも太めの弦を張るのでダブルボールエンドは使いたくなかった。 
でもこのSpritは中古で購入した時点で既にストリングアダプターが付属されて 
いた。前のオーナーが付けたものだろう。 


見た目はともかく弾き易い。ピッチがギブソンよりも安定してる。 
それになんといってもノイズが少ない。 


あとは移動が少し楽になった。重たいギブソンをギグバッグに入れて、 
そのポケットに自分で作った小型エフェクターボード(エフェクト5台分)を入れ 
反対の手にはループやらディレイやらの詰まってる重たいボードを。 
これを抱えて毎日歩き回るというのが去年のスタイルだった。 
それによってなのかなんなのか頭痛が増えたし、重たいものを持ち続けること 
によって手の痺れも増えた。キャスターが嫌いで手で持ち歩くのもそれを助長 
していたと思う。頭痛との相関関係はわからないけれど、とにかくずっと肩を 
重たいもので圧迫してるのだ。慢性的に首筋に痛みが残るようになった。 



というわけでSpiritのピックアップを交換。 

本当はかねてから用意してあったテスコのゴールドフォイルをフロントに 
搭載する予定だった。でも悲しいかな、形状が合わない。ザグリを入れることも 
もちろん考えたけどここはぐっと我慢して将来ストラトにでも乗せようと 
諦める。正直、テスコを乗せるのは賭けでもあったから。 
Ry CooderのストラトやBill Frisellのテレでその音の良さは実証されてはいるものの 
リアに何を乗せるのか?という課題も残っていたし「今の時点」で決定すること 
ではないのだという結論に達した。 

結果リアにはDuncanのAntiquityを。フロントにはエンジニアの喜多野氏が 
所有していた古いグレコの名も無いものを。 

しかしながら喜多野氏は自他ともに認める古いレスポールのコレクターで、 
ギブソンとグレコがその主なアイテムなのだが、昔彼が購入したグレコのフロント 
が非常にPAFっぽい音がする、と。 
テスコが乗らずに落胆していた僕を慰めるように「返却はいつでもいいから気が 
済むまで乗っけててください」と言って取り付けてくれた。 

弾いてみると確かにPAFっぽい。昔の「あの音」だ、と思う。 
力があるわけじゃないけれど暖かい。うんうん。お借りしよう。 

リアのAntiquityは当然枯れた、でも艶のある感じだ。これはギブソンにも乗せて 
いるのでだいたいイメージ通りの音になった。このピックアップを前述した 
喜多野氏に見せたところ彼は即座にそれを鼻にあてその匂いをかぎ、「うん、PAF 
と同じ匂いですね」と感心していた。 

とにかくこれで随分とギターらしい音が出るようになった。 


話が長くなりそうなので続きは後半に。 
といって、これは誰が読むわけでもないだろうから個人的な公開記録みたいな 
ものだけど。 





さて、今度の土曜日1/8にベーシストKoyuさんという方と池ノ上プラハで 
演奏します。彼もBerklee出身らしいのだけど僕は去年の11月に初めてお会いした。 

素晴らしいプレイヤーです。ボンバードラミが知り合いだと言っていたなあ。

それで今回ちょっとお呼ばれした感じなので一応宣伝というか告知をさせて 
いただこうかと。でもだいたい宣伝とかしてても人って来ないですけどね。 
むしろしてないほうに来てくれる傾向があるなあと常々思う。

しかしながら自分のライブ告知をしない僕としては珍しく告知らしきものを。 


まあそれはともかくなかなか良い雰囲気のお店です。 
とても狭い。10席しかない感じかな。 是非☆

BAR PRAHA (Ikenoue, Tokyo) 03-3485-8886 
1-33-19 Kitazawa Setagaya Tokyo, Japan 

 

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2010年

12月

23日

ヒノキヲ

あまりふだんは書かない日記を今月はせっせと書いています。 


昨日は池ノ上ルイナ(旧ボブテイル)にて即興ペインティングをやってきた。 
とはいえ絵を描くのは僕ではなく、僕が「画伯」と呼んでいる男です。 


画伯は自身を「ヒノキヲ」と名乗り、彼の作るものは非常に繊細かつ大胆かつ 
どこかレトロでユーモアに溢れ、どこか決定的にグロい。 
いや、これはあまり意味のない描写だな。なぜなら観る人によってはその「グロい」 
部分こそを「美しい」と感じるかもしれないから。例えば僕がそうだ。 



画伯は繊細で緻密な絵を描くのだけれど、それは例えばボンバードラミの 
アルバムジャケットを観れば一目瞭然かもしれない。 
精緻というと語弊があるかもしれないが、ミニマルと全体性を同時に内包した 
実に彼らしい世界観を提示してる。 


でも僕自身はこうして映像にするにあたっていつもハッピーミディアムに 
してしまう。本質的なグロさを全面に押したりはしない。何故かな。 
よくわからないけどこうして映像に変換する時点で既に伝言ゲームみたいなもの 
だからだろう。より大勢の他人の目耳に触れるためにブラッシュアップして 
しまう傾向が確かにある。それでいいと思ってる。 



ヒノキヲ画伯に話を戻そう。 


彼は実に細かく繊細に筆を進めるように見えて、ライブでは時に大胆だ。 
僕はまだ2回しか彼とライブしたことがないのだけど。 


今回はBar Ruinaでのタイバンライブという時間的制約があったので 
実質約45分間、お互いに即興で・・・というかつまり何も決めずに始めた。 
ちなみにこれは上記したボンバードラミのライブです。 
画伯とボンバードラミは深く結託していて古くからこうした活動を共にしてる 
ある種のチームな関係だ。僕は最近ただいろんな人のところに行っては 
いつもと同じようなことをしてるだけの隙間産業的ギタリスト。誰かとチームを 
組むというほど深くコミットするにはそれ相応の時間をかけないといけない。 




この日も画伯はいつもの白い衣装をまとい裸足で、それからふさふさとした 
白い大きなしっぽをつけて登場した。ステージでキツネの面をかぶり彼は 
壁を抜け「向こう側」の世界に入る。この一連の儀式は能の「それ」と似てる。 


彼は今回は墨を使った。映像を観てもらえればわかると思うけど 
長い筆を持ち、舞を踊りながら我々の出す音に反応して描き進めて行く。 
出来上がった作品を観てしまうとそれはそれで「作品として」感動するのだけど 
興味深いのはそのプロセスかもしれない。 


完成された作品を観る限りでは彼が何をイメージして何から描き始めていくのか 
以外とわかりづらいものだからだ。彼に言わせれば「彼自身にもわかってない」 
ということになる。つまり音を聴きながらその場で浮かんだものを捉えているに 
過ぎないので完成図を想像して描いてるわけではないのだ。 



なのでこれはそのプロセスを撮影したドキュメンタリーということになる。 
約45分間の演奏をどれだけ頑張って縮めてもこの長さになってしまった。 
You Tubeで15分近い映像なんて恐らく誰も観ないだろう。もちろんそれは 
内容にもよるのだろうけど。また、短く3分割ということもできたのだけど 
今回はあえて1本で行かせてもらった。 
最初と最後が繋がってることが僕としては大事だったから。 


残念なことに撮影してるのは僕の小さなデジカメなので演奏中はもちろん 
手元で固定したまま撮りっぱなしということになる。本当は正面から映したほうが 
スピーカーの事を考えても良音質で撮れるし全体が見えやすいのだろうけど 
僕自身があまり正面のカットを好まないので仕方ない。それに撮影してる行為が 
あまりおおっぴらでないほうが良いのだ。エフェクターを手や足で弄りながら 
ついでにカメラも弄るという程度で。それに僕は撮る時に一切ファインダーを 
覗かないから後から映像を観るまでどんなふうに切り取られているのか自分でも 
知らない。「知らない」方が良いときもある、とたまに思う。 




絵が完成してしばし舞を踊る画伯。 
彼の持つ独特な象徴性を僕はとても評価してるし好意さえ感じている。 




時期が時期ということもありボンバードラミの歌う即興だったり既存の曲だったり 
する中にはクリスマス的な歌も含まれた。クリスマス前のこんな夜があっても 
いいだろう。 



 

 

 

*このライブの映像は映像2にあります ↓

http://www.youtube.com/watch?v=6efzJMNssek

 

 

 

 

 

 

 

 

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2010年

12月

14日

soloを終えて

2010年ももうすぐ終わろうとしてますね。 
時間の経つのがとても早く感じられる。 
こんなに早くて良いのだろか。周回遅れの意識がびっくりしてる。 
ちゃんとついていかないとなあ。。 



いつも基本的に誰かの横で弾いてる僕なのだけど 
たまに一人で弾いたりまったりとした空間を作ってます。 
つい先日も北千住の倍音バー(?)であるCosmicSoulというお店で 
アンビエントな感じでのんびり過ごしてきました。 



雰囲気が良く、とても落ち着くスペースだった。 
僕は自分のソロはできるだけ変化に乏しく、盛り上がりに欠け、 
灯りのほとんどない中で極力少ない動きで・・・というのが 
理想なのだけど。  今回はどうだったのかなあ。 

でも小さなスペースだから上記の部分は満たせても肝心の音質が 
物足りなかったりね。ギターの生音が聴こえてしまうのも興ざめだし。 
聴覚的な効果は随分と物足りない感じになった。大事な要素だ。 


ライブとはいえ、インスタレーション的な効果も自分には欲しいと思った。 
だから視覚にも何かこだわって表現しないと、お客さんは普通の 
ライブのように演奏してる僕自身を観てしまうんだろうね。 


「何か」が起こるのを待たせてしまう。期待させてしまう。 
特に何も起こらないのにね。 
それがライブをやってて「申し訳ないな」と思うこと。 
いや「申し訳ない」と書くと失礼か。 
とにかく期待は「良い方向」に裏切らないといけないものだね。 



「僕はそこにいるけどでもそこにはいない」というのが理想なのです。 
だから何かをオミットするなら僕自身なんだろうなと思う。 
どうやって消そうかなと考える。 
そこにいないのが一番だけど、それでは本当にインスタレーションに 
なってしまうし。もちろんそれも興味あるけれど、ライブというのはまた 
別物だから。  



白州正子さんが生前「お能」について語っていたのと同じように 
「余韻を大切にする類いのものは拍手を必要としない」のは確かだ。 
拍手はせっかく時間をかけて作り上げたアトモスフェアーを壊してしまうから 
無粋とされたのだね。白州さんのその発言は実によく理解できる。 
日本人は特に形式的に拍手をする傾向があるから、曲が終わって拍手がないと 
なんだかおかしな空気になっちゃうんだね。 

まあライブと言えば何でも並列的に捉えて形式的に同じようなリアクション 
をとってしまうことに不満を抱いてるわけじゃないです。むしろ僕がしてる 
行為の方が紛らわしいのだし。 



なのでどうしたらすっきりと心地よい空間を作れるのかなと思い悩んでみる。 




随分と前にBrian Enoの「空港のための音楽」を聴いてちっとも好きに 
なれなかった。音が生々しいわけでもないし過剰な毒素も含んでいなかった。 


それからしばらく聴いていなかったのだけど、数年経ってからふとしたはずみで 
聴いてみて、それからタイトルの意味について想像をした。 
つまりその音源が空港でどのように流れているのかを想像したらあっさりと 
合点がいったわけです。あのあまりにもあっさりとした無機質な音源は僕の想像上の 
空港の適度にごったがえす静かな人ごみの中で実に見事に機能していた。 
そこには十分な毒素も含み、世界をシュールに包み込みながらも優しさというか 
悲しさというかそんなような淡いサウダージを感じさせるだけのものがあった。 



何かのライナーノートでその音源が実際にNYの空港で流されたときは 
「気分が滅入る」などの理由によってお客さんからいくつものクレームが 
寄せられたことを読んで僕は心の底から感動した。やっぱり!と思った。 



それは非日常的或は日常的に空港を利用する一般人から空港職員から 
そこにある風景から飛行機やら電光掲示板やら大きなガラス窓やらを 
まるごと内包した巨大なインスタレーションなんだね。 


特に何かをプログラミングしなくても、そこにある人々の動きの変化に伴い、 
その日の天気や光の射し具合に反応し、自然に変化する箱庭なんだ。 
そして人々は自分達がインスタレーションの一部になってることなど全く 
知らされていない。 



僕がその光景を思い描いて想像したものと、実際の利用客のいくつかの 
リアクションは実に一致していた。それに気づいた時点で楽曲を聴く僕自身の 
方が変化したとも言える。作り手であるイーノ氏はそもそもそこまで理解 
して書いてる(描いてる?)のだろうなと思うと鳥肌がたった。 


いや、もちろん一人一人の反応なんて想像してないと思う。 
でも大筋のところで彼のイマジネーションはある意味シンプルであるが故に 
より大規模な総体を捉えてるんだと思う。空間を限定することによって 
それは実現されてるんだなということにいろいろと考えさせられることになる。 




そういうことに興味を持ちながらライブについて考えるので当然ややこしい 
ことになる。ライブは「生」だからこそライブであるし、目的が本来違うんだ。 



録音作業が日々の自宅での栄養バランスを考えた粗食的(粗食でなくても)な 
ものであるとすれば、ライブはしっかりと味のついた外食みたいなものだと思う。 
1回きりの中で客の舌を満足させ、しかもまた足を運んでもらうためにアディクト 
症状をひき起すくらいのものでないといけないものね。 

逆に録音はこってり作り過ぎると取っ付きは良いけど長いこと聴く種類の 
ものではなくなる。賞味期限の長さは味の濃い薄いだけではないけれど 
少なくともライブのようなその場の瞬間的な要素で成り立つようなものではない。 
いや、全ての記録物は瞬間的な要素の総体かもしれないけどそれは必ずしも 
ライブでの感じられ方と同質とは限らない、ということだね。 



だから自分のやってることが大いなる矛盾を孕んでいることは自明なんだ。 
それをわかっていながらどう続けていくのかなというようなことが恐らく自分に 
問われてることだろうと思う。問うてるのはもちろん自分自身だけど。 



そんなことをちまちまと思い悩みながらもさらにちまちまと映像を編集して 
みたりして。ただの「暇なヒト」みたいだ。我ながら。ははは。 

 

 

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2010年

11月

14日

encho-jiga

寒くなってきた。今日はあたま痛いな。 
初めて母親を自転車の後ろに乗っけて駅まで走った。 
そこに意味はないけれど とても象徴的な出来事だ。僕にとっては。 





さて。 




「えんちょうじが」というソロアルバムを作ったのはいつだったかな。 
かなり前な気がする。うん、ずっと前だ。時間ばかり経ってしまった。 



いろんな紆余曲折を経てやっとカタチにできたのが去年だったんだから。 
でも既に2007年には全曲揃っていたように思う。 
いい加減 カタチにしてあげようと思ったきっかけは・・なんだったのか 
もう忘れちゃったな。「儀式」について考えはじめてからだと思う。 
いや間違えた、「儀礼」だ。通過儀礼の儀礼。 




それで一つの通過儀礼としてアルバムにするにあたってまず何をしたか? 




絵を描いたんだった。 
それも当時はMacユーザーではなくWindows PCを使っていたし、 
しかも今までの人生でロクに絵なんか描いた事がなかった。 
思い返せば小学校2年生の時に図工の授業でザリガニの絵を描くことになり 
描いてる途中で先生がみんなを呼び集めて「みんな、これを見ろ!これが 
ザリガニだってよ!」と僕の絵を指差し、そんなことを言う先生も先生だけど 
言われて集まった小学生もやはり小学生らしく軽蔑的大笑いをしてくれて 
それ以来「絵は向いてないな」と思っていた。 



それが35歳くらいになって突然「自分のアルバムくらい自分で絵でも 
描いてみるか」と思うに至ったのはやはり様々な絵(他人の描いたもの)に 
出会ってきた結果によるのだと思う。どれくらい絵に救われてきたか自分でも 
わからないくらい他人の描いた絵たちに心を動かされ、温められ、時に 
励まされもした。音楽と同じくらい作者の意図とは関係なく鑑賞する者の 
心を打つ瞬間があるのは自分にとって本当に「救済」だった。 




いや、感傷的な話っぽく見えるかもしれないけどそれはここまでの話。 

実際に絵を描いてみると、それは本当に軽蔑的大爆笑をされても仕方の無い 
レベルのものしか描けないことがよくわかった。技術がないのだ。 
それに、絵心? そんな言葉はついぞ見かけたことも聞いた事もない。 



とにかく小学生、いや小学校に上がる以前の子供達の人格形成期の初めの 
頃みたいな(と書くと語弊があるかもしれないけど)うまくカタチにならない 
ものしか描けないのだ。自分の才能に見切りをつけた僕はおもむろにPCを 
開き、その中のアクセサリか何かに最初から入ってるペイント機能を見つけた。 
それまでそんな機能があることすら知らなかった。 



でもとにかく見つけて画面全体を黒く塗りつぶした。それを消しゴムツールで 
消していったら何かのカタチに見えないでもないような気がした。 
それでその調子で6枚ほど描いてみたわけだ。絵に何を描くのかは最初から 
決まっていた。カエルだ。それも下島ガエルだ。それは形而上的なカエルなので 
実際には存在しないのかもしれないけれど、僕の中では既に一つの人格(?)の 
ようなものを持っていて、彼なりの視点を持った独立した生き物だった。 
でもカエルについて語り始めるとここには書ききれないほどの説明を必要と 
するので割愛させてもらう(割礼じゃないよ)。 





とにかくそれで絵を描いた。最初は黒く塗りつぶしたので次のは赤く、 
そのまた次のは緑色に。6枚描いてそれぞれに名前をつけた。 
名前を付けるという行為はなによりも象徴的だと思う。 



便宜的にとはいえこんな名前だ。月 想 詩 死 回帰 川。 



それらをいろいろと並べてはまた変えたりしてみて最終的に一つに 
してみた。それでジャケットは完成だ。最初は文字を入れずに手売りしていた 
のだけど、更に100枚増量するにあたって文字を入れることにした。 



もともと文字はある人にお願いをしていた。去年の冬のことだ。 
絵の加工もその人にお願いして1st editionは出来上がっていた。 
その人の「書」をちゃんと見た事はなかったのだが僕自身と深い縁のある人 
だったし、きちんと「書」についての心構えも技術も持っている人だった。 
でもそれは訳あって叶わなかった。 

今年になって自分で書こうとしたのだが、下手クソな絵以上に「書」は 
向いてないことが発覚。うすうすわかってはいたけれど。「書」は半ば諦めた。 


出来上がった絵のさらなる加工と印刷を一緒に活動してるアメリカ人の泥流に 
お願いした。彼も超多忙な生活をしてるのだが快く引き受けてくれ、少ない 
空き時間を僕の為に費やしてくれた。文字はやはり一緒に活動をしている弾き語り 
の千春に書いてもらった。こうして溜まった音源をどうにかカタチにすることが 
できたわけだ。 



音源そのものは4曲を除いてその他9曲全てを自分で弾き自分で録りミックスした。 
残り4曲はBang on recordの喜多野さんに録音、ミックスしていただいた。 
いや正確にはその4曲のうち2曲の歌モノ(どちらも歌詞はないけど)は2004年頃に 
録音してもらったものだ。声はeco(現在は「えこ」)とヒロコウイリアムスに 
歌ってもらった。その2曲はbassに田原キヨ、drumにレコーディング当日になって 
ベースのキヨさんが連れて来た鈴木タケオ(どんな字?)さん。その日以来その 
タケオさんとは会っていないのだが。。 

残り2曲はブラジルから戻って来て(荷物を向こうに残したまま...)、どうしようか 
身の振り方に迷ってある日、上記のえこにピアノを弾いてもらうことに決めた。 
当時のえこの部屋のピアノの横でマイクを立ててえこ自身が録音してくれた。 
いや、正確にはそのうちの1曲がそれで、もう1曲は結婚後のえこの新居に 
上記の喜多野さんと押し掛けて冬の季節に寒い寒い玄関先の廊下にマイクを 
立てて録ってもらった。ピアノと部屋を分けるためだ。 





・・・とかなり前置きが長くなったけれど、そういった経緯があり 
せっかくカタチになったので今まで手売りしかしていなかったのだけど 
ダウンロード販売もできるようにしてみたわけです。 


http://www.cdbaby.com/cd/keitakasugi 
*このサイトでは曲名の左横の三角のpreviewマークをクリックすると試聴できます。 

iTunesやらAmazon等、その他複数のサイトに反映されるまでには 
あと数週間かかるかもしれない。 



2枚目、3枚目とカタチにできるくらい曲ばかり溜まってしまったので 
区切りをつけるためにもひとまずここで1stについて書いておこうと思った 
のです。特にレコ発ライブとかやらないから。 



最後にこの「えんちょうじが」に関わってくれた全ての方々に 
感謝の気持ちをこめて。聴いてくれた方にももちろん。 





では今夜はおやすみなさい。

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